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旧劇場版「エヴァンゲリオン」のあらすじは? 今さら聞けない…

エヴァ

ヱヴァンゲリヲン新劇場版「序」「破」の続編「Q」が2012年11月17日から公開されて話題になっていますが、そもそも旧劇場版「エヴァンゲリオン」をよく知らない……旧劇場版「Air/まごころを、君に」を中心に、新劇場版とのつながりやあらすじをまとめています。

■新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生
通称「シト新生」は、1997年3月15日公開。

■新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に
通称「THE END OF EVANGELION(EOE)」。
1997年7月19日公開。新劇場版公開後は、後者のEOEを指して「旧劇場版」と呼ぶことが多い。

※以下、ネタバレありですので未見の方はご注意ください。

TVシリーズ(第壱話〜第弐拾四話)の再構成である『DEATH』編と、第弐拾伍話のリメイク(実態は完全新作)の前半部分『REBIRTH』編の2部構成となっている

TVシリーズのリメイク劇場版というわけですね。では、なぜ放送終了の直後にリメイクをすることになったのでしょう。

シンジの周囲をみんなが取り巻く。ミサト、レイ、アスカ、級友、ネルフの面々、そして、両親。彼らがシンジを「おめでとう」と祝福する。
シンジは満面の笑みを浮かべて答える。
「ありがとう」と。

今回は放送時間の関係で、碇シンジ、彼の心の補完についてのみが語られる。

主人公たちの内面を描いたTVシリーズ第弐拾伍話と最終話の2話は、これまで張られていた伏線や謎の回収を完全に放棄しており、一般的な作劇の方法から見れば物語の完結と言えるものではなかった

「おめでとう」「おめでとう」「ありがとう」……の、有名なあのシーンで終わるTV版は、製作者も完結とは言えないと思っていたとのこと。

しかし、『REBIRTH』編の制作が1997年春の公開に間に合わないことが判明

春の映画では『DEATH』編と制作途中の『REBIRTH』編が公開され、夏に完全版『REBIRTH』編となる『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』が公開されることが発表

時系列を無視してまとめたものであるため、TVシリーズを見ていないと物語の理解は難しい

TV版を補完するためのセルフリメイクが「シト新生」だということですね。

『新世紀エヴァンゲリオン』の第弐拾伍話と最終話をリメイクし、完全新作として上映された

わかりにくいと評判だった第弐拾伍話と最終話を、さらに補完する完全新作という位置づけだったようです。

最後の使徒=渚カヲルは倒された。しかし、自分に好意を寄せてくれたカヲルを自分の手で殺した現実に対処できないシンジは、固く心を閉ざしてしまう。

TV版の第弐拾五、弐拾六話がシンジの心象世界を映したものだったのに対し、劇場版の第25話、26話は現実ではなにが起きたかを示すものだった……という解釈。

約束の時が訪れる。ゲンドウらと完全に決裂したゼーレは自らの手による人類の補完を目指し、戦略自衛隊による攻撃をネルフ本部に仕掛けてくる。戦闘のプロの前に、抗う術もなく血の海に倒れていくネルフ職員達。

自分を取り戻したアスカは、弐号機で反撃に出る。それに対してゼーレは、量産型エヴァンゲリオン9体を投入し、活動限界の迫る弐号機との血みどろの死闘が展開される。

これが旧・新劇場版で共通と言われる「アスカの眼帯」の元になった傷ですね。新劇場版の原因はこのことだかわかりませんが……

初号機とともにジオフロントに浮上したシンジが目撃したのは、量産型エヴァンゲリオンによって無残に破壊された弐号機の姿であった。我を失い、絶叫するシンジを乗せた初号機を依代として、サードインパクト(ゼーレの目論む人類補完計画)を引き起こすための儀式が始まる。

同じ頃、ネルフ本部のターミナルドグマでは、独自の補完を目論むゲンドウとレイにより、アダムとリリスの禁じられた融合が行われようとしていた。しかし、レイはゲンドウの掌のアダムのみを奪い去り、呆然とするゲンドウを残して、リリスに還ってしまう。

テレビシリーズの最終話では語られることのなかった、もう1つのエンディングを映像化している。

使徒ではなくヒトの手によるサードインパクトの発現(無への回帰による贖罪と完全な単体生命への進化)を目指すゼーレと、それを阻止しようとするミサト達の戦い、アダムとリリスの融合によりゼーレとは異なる人類の補完を目指すゲンドウ

大月俊倫は「あまり言うとネタバレになっちゃうんですが(笑)12年前の『エヴァ』では、あの頃の社会状況や庵野さんの内面の問題があったりして、 特に劇場版は世界が破滅して、シンジとアスカだけ生き残るという破滅的な形で終わりましたから、あの続きはありえないんですよ」とシンジとアスカのみが生存との製作側の認識を示している。

大槻ケンヂとの対談でどういう話(テーマ)なのかと聞かれた際、庵野は「最終的には、いいじゃん、他人がいても、ということですね」と述べている。



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