▼無敵超人ザンボット3は1977年に放送開始 その後の機動戦士ガンダムなどに続くリアルロボット路線への礎を築いたとされる
『無敵超人ザンボット3』(むてきちょうじんザンボットスリー)は、日本サンライズ(現・サンライズ)制作の日本のロボットアニメ。
テレビアニメとして1977年から名古屋テレビほかで放映された。
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無敵超人ザンボット3 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 移動先: 案内 、 検索 無敵超人ザンボット3 ジャンル ロボットアニメ アニメ 原作 鈴木良武 富野喜幸 総監督 富野喜幸 脚本 五武冬史、 荒木芳久 吉川惣司 、 田口章一 、 星山博之 キャラクターデザイン 安彦良和 メカニックデザイン 平山良二 大河原邦男 スタジオぬえ 音楽 渡辺岳夫 (作曲) 松山祐…
▼当時のロボットアニメのトレンド
▼ザンボット3もご多分に漏れずこの路線が受け継がれていたが、リアルロボット路線に向けての新たな試みも図られていた
従来のロボットアニメは正義のロボットが侵略する敵を倒すことで世界が救われる。
本来ヒーローであるはずの主人公たちが周辺住民から嫌われ追われる、登場人物が次々と非業の最期を迎えるなど、「アニメは子どもが見るもの、子どもに夢を与えるもの」という考え方が一般的だった当時の常識を覆すものであった。
スーパーロボットアニメ風な敵メカ登場時に、その名前がテロップで紹介されるなどの演出はあるが、戦火と荒廃の中での日常生活、戦闘シーンでのリアルな心理(特に戦闘に臨むことの恐さ)、ショッキングな人間の殺し方と初期から出演のサブキャラクターが犠牲者になる「人間爆弾」、主人公たちが周囲から非難の的になる、等のハードな設定と演出がある。
▼登場人物が人間爆弾に改造され次々と死んでいく
▼悲劇はこれで終わらなかった ヒロインの一人にも容赦なし
敵に捕らわれていた、ガールフレンドのアキを海で救出 キングビアル(移動要塞兼移民基地)の自分の部屋へ連れて帰る~勝平
▼終盤には最終回までに次週から誰も出ないとはいえ主要メンバーのほとんどが戦死
ザンボット 3 の最終回といえば、主人公の勝平以外、全員戦死という救いのないストーリーで有名。皆殺しの富野節が炸裂。
最終話で重傷を負い、愛機まで大破したことで、勝平に突破口を開かせるため、恵子と共にバンドックに特攻し、勝平の名を叫びながら短い生涯を終える。
宇宙太と共にバンドックに特攻し、両親にさよならの言葉を残し、宇宙太同様短い生涯を終える。
最終話でバンドック内にてザンボ・エースの足コックピットが被弾した際に死亡する。
最終話でガイゾックが滅びた後はかろうじて生き残っていたが、弟を救うために落下するバンドックを減速させ、ビアルI世と運命を共にする。
▼主要メンバーで生き残ったのは主人公の勝平のみ
これまでの戦いが無駄でなかった事を信じ、傷つきながら地球へと一人生還した勝平を暖かく迎えてくれたのは、かつて神ファミリーを忌み嫌っていた多くの地球人達だった。
勝平の母親の花江をはじめ非戦闘要員は地球に送り返されているため生き残っており、ラストの勝平の帰還の際にも駆けつけている。
▼主要メンバーが次々と死んでいくストーリーに当時の子供たちは言葉を失ったはず 富野 喜幸は「皆殺しの富野」と呼ばれる
物語の終盤にみられる、主要キャラクターが次々と死亡する展開は、富野の異名「皆殺しの富野」の原点の一つとして語られ、そのスタイルを印象づけた。
最終話の放映後、プロダクション、スポンサー、広告代理店が真っ青になったと富野は語っている。
▼1982年にはテレビ朝日で再放送され劇場版も企画されたが実現せず
1982年7月19日 – 8月26日(8月5日を除く23日間)、月曜 – 木曜10:00 – 10:30にわたりテレビ朝日で再放送された本作は大ヒットし、その放送終了後、富野総監督による『無敵超人ザンボット3』の劇場版も企画されたが、結局、立ち消えになってしまった。
千葉テレビ放送において1993年から1994年にかけて再放送された。
第1話から第4話までは、9月12日 – 10月3日の毎週日曜17:30 – 18:00に放映された。
しかし、そのシリアスなストーリー展開のため、第5話から最終話は、深夜帯の23:00 – 23:30に変更された(1993年10月5日 – 1994年3月15日、毎週火曜)。
結果として深夜アニメのパイオニアとなった経緯がある。