日本人初のノーベル文学賞を受賞した作家・川端康成はなぜ自殺という道を選んだのか。
1899年(明治32年)6月14日生まれ
大阪府大阪市出身
東京帝国大学文学部国文学科卒業
横光利一らと共に新感覚派の旗手として活躍。
『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』などで、死や流転のうちに「日本の美」を表現する。
1968年には日本人として初めてノーベル文学賞を授賞、授賞式には紋付羽織袴で臨んだ。
孤独や憂鬱な気分から逃れるため伊豆へ一人旅に出た青年が、修善寺、湯ヶ島、天城峠を越え湯ヶ野、下田に向かう旅芸人一座と道連れとなり、踊子の少女に淡い恋心を抱く旅情と哀歓の物語。
(wikiより)
雪国
雪国を訪れた男が、温泉町でひたむきに生きる女たちの諸相、ゆらめき、定めない命の各瞬間の純粋を見つめる物語。愛し生きる女の情熱の美しく哀しい徒労が、男の虚無に研ぎ澄まされた鏡のような心理の抒情に映されながら、美的に抽出されて描かれている。
(wikiより)
老いを自覚し、ふと耳にした「山の音」を死期の告知と怖れながら、息子の嫁に淡い恋情を抱く主人公の様々な夢想や心境、死者の夢を基調に、復員兵の息子の頽廃、出戻りの娘など、家族間の心理的葛藤を鎌倉の美しい自然や風物と共に描いた作品。
(wikiより)
ガス自殺
1972年に逗子にて死去。自殺であると考えられている。
川端はマンションの自室で、長さ1.5メートルのガス管を咥え絶命しているところを発見され、ガス自殺と報じられた(秀子夫人は、ガス管は咥えていないとしている)。72歳で永眠。洗面所の中に敷布団と掛布団が持ち込まれ、入り口のガスストーブの栓からガス管を引いて、薄い掛布団を胸までかけて眠っているかのように死んでいた。常用していた睡眠薬(ハイミナール)中毒の症状があり、書斎から睡眠薬の空瓶が見つかった。
出典川端康成 – Wikipedia
動機
社会の近代化に伴い、日本から滅びてゆく「もののあはれ」の世界に殉じたという文学的見解
川端は敗戦後に、「日本古来の悲しみの中に帰つてゆくばかりである」という決意のもとに作家活動を続け、日本人の心性であった「もののあはれ」の世界が、歴史の必然によって近代的世界にとって代わるのならば、自身もその滅びてゆく世界に殉じるしかないと考えていた。
交遊の深かった三島由紀夫の割腹自殺(三島事件)に大きな衝撃を受けたという見解
三島の死にようが川端の心に衝撃を与えたことは、三島の才能を発掘し評価した川端の心事であった。両者は、「巨視的には戦後を否定する底辺の精神構造」で繋がっており、「夭折の美学」に惹かれる心は、川端の裡にも生き残っていた。
寝たきりで下の始末も自らできずに死んでいった祖父・三八郎を世話していた15歳の時の記憶が、老醜への具体的な恐怖となっていた。
盲腸炎の手術をしたり、体調が思わしくなかったことと、立野信之、志賀直哉、親しかった従兄の死が立て続けにあり、身も心も揺さぶられて気がめいってしまい、一瞬の魔がさしてしまったという理由。