生きろ。スタジオジブリ『もののけ姫』名言・名セリフ集 | 質問の答えを募集中です! 生きろ。スタジオジブリ『もののけ姫』名言・名セリフ集 | 質問の答えを募集中です!

生きろ。スタジオジブリ『もののけ姫』名言・名セリフ集

ジブリ

生きることについて考えさせられる、もののけ姫の名言・名セリフ集。この機会に映画も見直してみては?

スタジオジブリ作品『もののけ姫』

古の日本が舞台となる『もののけ姫』は、アシタカの故郷であるエミシの里をタタリ神が襲うシーンから始まる。

里を守るため、決死の覚悟でタタリ神に矢を放つアシタカ。しかし、タタリ神を殺めるも、腕に「死の呪い」をかけられてしまった。

老巫女のヒィ様に占われ、自らの呪いを解く鍵を探すために西へ旅立つ決心をするアシタカ。

その先に待つのは、「シシ神の森」と呼ばれる深い森であった。太古からの生命を宿し、もののけたちが今もなお生きる森。しかし、その森を脅かす人間たちの存在があった。

人間と森との争いの地で、「死の呪い」の原因を知るアシタカ。山犬の姫であるサンとの出会いから、人と森とが共存できる道を問う、神秘の物語である。

ジブリはもののけ姫が1番 人それぞれの生き方とか価値観とか考えることのできる作品

戦、行き倒れ、病に飢え。人界は恨みを残した亡者でひしめいとる。タタリというなら、この世はタタリそのもの

アシタカがジコ坊と初めて出会った夜に、ジコ坊がアシタカに語った言葉です。かつては村が栄えていて、そこには人がいた。しかし、あらゆるものが人の命を奪っていき、そこには誰も残っていない。唐傘連や地走りを率いて、世界の闇をも良く知っているジコ坊ならではの、重みのあるセリフとなっています。

賢しらに僅かな不運を見せびらかすな

「賢(さか)しら」とは、利口そうに振る舞ったり、物知りぶるという意味です。

アシタカが多くの民の前で呪われた右腕を見せびらかすように見せたエボシが放った言葉です。エボシはかつて、身売りされた子どもであったという過去があることから、アシタカの同情を誘うような青臭い行動に腹がたったのかもしれません。

我が名はアシタカ。東の果てよりこの地へ来た。そなたたちは、シシ神の森に住むと聞く古い神か

アシタカは西の森に住むというシシ神の森へ向かう途中で、撃たれた山犬を介抱する人間の娘を見つける。名を名乗るアシタカに対して、人間の親に捨てられて山犬に育てられ人間を恨んでいるサンは、アシタカに去るように言う。

誰にも運命は変えられない。だが、ただ待つか、自ら赴くかは決められる

ヒイさまは、アシタカの暮らしたエミシの里に住む老巫女。タタリ神と化したナゴの守からの呪いを受けたアシタカを占い、西へ赴くように導きました。その時に彼女が口にしたのがこの台詞。その後のアシタカの呪いを解く術を探すための旅の姿勢を決めた名言でした。

曇りなき眼で見定め、決める

もののけ姫の「曇りなき眼で見定める」はもともとアシタカが言ったセリフではありません。

最初にこのセリフを言ったのは一族の長老です。アシタカが祟り神に矢を放って呪われた後に「曇りのない眼で物事を見定めるなら呪いを断つ方法が見つかるかも」と言ったのが最初です。

祟り神の呪いを受けて命の危険にさらされている状態のアシタカは、長老の言ったことを心に刻んだんでしょう。

アシタカが言ったのはエボシに会って「(イノシシからでてきた)つぶての秘密を調べてなんとする?」と聞かれて「曇りなき眼で見定める決める」と答えたものです。

生きることは、まことに苦しく辛い。世を呪い、人を呪い、それでも生きたい

自身に「死の呪い」をかけたタタリ神の原因が、エボシ率いる石火矢衆から放たれた銃弾であったことを知り、アシタカはエボシへの怒りを露わにします。その際、石火矢の開発者としてエボシから守られ、看病されている病者たちの長がアシタカを宥めるために発したセリフ。

病と闘い、死に犯されながらも「生きたい」と願う辛さ。通常の人間からは想像しがたいほどの苦悩の中から生み出されたであろうこのセリフは、まぎれもなく深すぎる名言と言えるでしょう。

黙れ小僧!お前にサンが救えるか

ヒロインのサンを育てた犬神モロが、サンを解放しろというアシタカに放った名台詞。人間にも山犬にもなりきれないサンを育てたモロだからこそ言える言葉です。流行語にもなりました。

だが共に生きていくことはできる!

犬神の言葉に対する主人公のアシタカの返答です。戦うのか、逃げるのか。どんなに辛くても、どんな方法を選んでも、「生きる」ことは出来るじゃないか。この言葉が、この作品の根幹を作り上げているのです。

生きろ。そなたは美しい

作中でもっとも有名と言っても過言ではないこのセリフ。

タタラ場でのサンとエボシの戦いを止め、サンを気絶させて連れ出したアシタカでしたが、彼女を担いでタタラ場を立ち去る直前に銃弾により負傷し、倒れてしまいます。そしてサンが意識を取り戻し、弱ったアシタカの首にナイフを突きつけた場面でこの名言が生み出されました。

思わぬ言葉を受けたサンは、思わず後ずさり、ナイフを背けます。

「生きろ」と「美しい」のもつ意味に魅了されてしまうような、言わずもがなな深い名言ですね。

天地の間にある全てのものを欲するは、人の業というものだ

シシ神から奪った首を運び、デイダラボッチ(シシ神の夜の姿)から逃げ回るジコ坊。その際、首をシシガミに返すべくジコ坊の前に立ちはだかるサンとアシタカに対して向けられたジコ坊のセリフ。

この一節に、欲深い人間の姿がありありと表現された名言です。人の業に堕ちないためにはどうあるべきか……そんなことを考えさせられてしまいます。

そなたの中には夜叉がいる

森を蝕む人間たちとエボシへの深い憎しみから、タタラ場を襲撃するサン。そこで繰り広げられたサンとエボシの一騎討ちの際に、ふたりを止めに入ったアシタカがエボシに向けて発したセリフと、それに返答するエボシのセリフ。

もののけ姫では、誰かが完全なる「悪」として表現されるのではなく、それぞれの役回りからの複雑化された視点によってストーリーが展開されています。

これは現実世界でも同じであり、それぞれの立場によって異なる善悪があり、双方の心に異なる「夜叉」がいることを暗示するような深い名言です。

森と人間が争わずにすむ道はないのか?

「モロ。森と人が争わずにすむ道はないのか。本当にもう止められないのか」これはアシタカがモロの君に言ったセリフです。モロの君はエボシだけは許せないと言っていて、それに対してのセリフだったのですが、これは現代に生きる人間へのテーマでもあり、森など自然と共に生きようとするのであればとても大事なテーマだと思います。

生きてりゃなんとかなる!

シシ神の首が狩られ、デイダラボッチ(シシ神の夜の姿)から溢れ出した液体によってタタラ場にも火の手が上がります。その壊滅状態になったさまを見て、川の中から甲六(夫)が「もうダメだ」と言った際にトキが放ったセリフです。

絶望的なシーンで生まれたこのセリフには、今を、そしてこれからを生き抜く力が力強く込められています。

死などこわいもんか!!人間を追い払うためなら生命などいらぬ!!

出典eiga.com

こちらのセリフは、上記のシーンのあと、サンをかばって瀕死の重傷を負ったアシタカに、さらに刃を向けつつ言い放つサンのセリフです。普通にのうのうと日々を暮らしている我々からは想像もつかないセリフなんですよね。モロの君に育てられたサンの宿命というものをこのセリフから感じます。

まだ終わらない。わたしたちが生きているのだから

モロの君も死んでしまい、森ももう駄目になってしまうと絶望したサンに対するアシタカのセリフ。ここも本当にかっこいいですよね。サンはアシタカに、アシタカからもらった短剣を突き立ててしまうんですけど、アシタカはそれでもサンをぎゅっと抱きしめるわけですよね。

いやあ、まいったまいった。馬鹿には勝てん

ジコ坊は「師匠連」という謎の組織に属する男性。その組織の命令により、不老不死の力を宿している言われているシシ神の首を狙っています。常に笑みを浮かべて飄々とした態度を崩しませんが、目的のためなら手段を選ばない一面があり、エボシ御前にシシ神を撃たせるという「神殺し」をさせて、シシ神の首を手に入れることに成功します。

その後、戦いの末にアシタカとサンに首を渡すことになり、アシタカとサンは自分たちの手で首をシシ神へと返します。それによって、首を失ったシシ神の力によって失われていった森や山々の緑が再び芽吹き出し、ジコ坊はこの台詞を言います。最後まで飄々と笑った彼らしい一言でした!

アシタカは好きだ。でも人間をゆるすことはできない

アシタカと共にシシ神に首を返し、新しい森の生命が芽吹き出したシーン。そこでアシタカの「死の呪い」が癒された後にサンがアシタカに伝えたセリフ。

人間を許すことはできないが、アシタカという人物が確かにサンの心を癒したと理解できるようなひと言です。サンからアシタカへ向けられた愛情深い眼差しが印象的な名シーンとなっています。

そして、このセリフは次に紹介するもうひとつの名言を引き出すこととなります。

それでもいい。サンは森で、私はタタラ場で暮らそう。共に生きよう。会いに行くよ。ヤックルに乗って

上に挙げたサンのセリフに続くアシタカのセリフ。

「死の呪い」が癒された後も、サンの側に残りタタラ場で生きることを宣言したアシタカ。森と人間との架け橋となるであろうふたりの誕生は、清々しく希望に満ちた名場面です。

人間を許すことはできないと断言するサンさえも、大きく包みこむほどの包容力のあるセリフにグッときます。

みんなはじめからやり直しだ。ここをいい村にしよう

アシタカとサンによってシシ神の首が返され、そこから生み出された突風によって新しい森の命が芽吹いた印象的な美しいシーンのあと。崩壊したタタラ場と、その民衆たちに向けてエボシが言いました。モロによって片腕を失ったエボシが、なんとも言えない晴れやかな表情で発したこの言葉は、森と人にとって少し明るい未来を感じさせるような深い名言といえます。



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