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啓示7の書の疑問点をご回答お願いします。 1、4節の中で144000人のイスラエルの子らのすべ…

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啓示7の書の疑問点をご回答お願いします。
1、4節の中で144000人のイスラエルの子らのすべての部族の者たちが調印を押された。と書いてあり、どこの部族かを5~8節に詳細が記述されておりますが、もうすでに144000人は決まっており、イスラエルの子となっていますが、エホバの証人の先日の大会では新たに油注がれたものが発表されたような話を聞きましたが、その人はイスラエルの子なのでしょうか?また、人数も144000人を超えてしまうと思うのですが、どのように理解出来るのでしょうか?

2、9の中で「だれも数えつくすことができない大群衆がみ座の前と子羊の前に立っていた」と記述があるのですが、エホバの証人の考えでは大群衆は地で復活すると聞きましたが、地で復活する大群衆が天にあるみ座と子羊の前にどうして立つことが出来るのでしょうか?

  1. 匿名 より:

    黙示録7章の理解は少し難しいので、慎重にいきたいと思うところです。わたしはものみの塔の解釈に同意していませんが、どのように教えられているかは知っているので、お答えしてみます。

    第一の点です。エホバの証人の解釈では、14万4,000人とは天に行く一部のクリスチャンたちの文字通りの数である、となっています。なお彼らが生来のイスラエル人である必要はないとのことです。

    今でも少数ながら14万4,000人が選ばれていることについては、以下の二つによって説明されているようです。

    ①1935年におおかた定員が集められたとは言え、完全に集め終えられたわけではない。
    ②14万4,000人の中にも、後にクリスチャンでなくなる人がいるので、その分補欠しなければならない。

    第二の点ですが、大群衆は確かに「み座の前」にいます。幻の象徴的な意味はさておき、この幻自体の情景を思い描くなら、彼らは天にいると考えた方が自然です。「神の前とあるが実際には天を指すわけではない」という実例がわずかながら聖書にあるのは事実ですが、それをわざわざこの節に当てはめなければならない理由はあまり見当たりません。

    聖書の遠い文脈を持ってくるよりも、もっと近い箇所、例えば7:11や8:2、8:3にある位置に関する表現が文字通りであることにまず注目できるはずです。

    さらに7:15によると、大群衆は「神殿」にいます。これはギリシャ語でnaosと言いますが、黙示録には他に3:12、11:1,2,19、14:15,17、15:5,6,8、16:1,17、21:22に出てきます。これらの箇所においてnaosは一貫して神と子羊、み使いたちがいる領域を指していますから、やはり7:15の神殿も同じ領域を指していると考えるのが自然だと思います。

  2. 匿名 より:

    多くのご回答ありがとうございます。聖書を広げて私なりに理解出来ればと考えております。

  3. 匿名 より:

    ご参考までに。

    復活に関し。。。。。。。。。。

    *** 洞‐2 673–674ページ 復活 ***
    復活の目的 復活はエホバの無限の力と知恵だけでなく,エホバの愛と憐れみをも明らかにし,エホバがご自分に仕える人々の保護者であることを立証しています。(サム一 2:6)エホバは復活の力を有しておられるので,ご自分の僕たちがまさに死に至るまでご自分に忠実を保つということを示すことさえおできになります。サタンは,「皮のためには皮をもってしますので,人は自分の魂のためなら,持っているすべてのものを与えます」と主張しましたが,エホバはサタンのこの告発に答えることができます。(ヨブ 2:4)エホバはサタンが限界まで事を進め,自分の偽りの告発を正当化するためにむなしい努力を払い,人々を殺すことさえお許しになることがあります。(マタ 24:9; 啓 2:10; 6:11)エホバの僕たちがエホバへの奉仕のために命そのものをさえ喜んで捨てるということは,彼らの奉仕が自分だけのことを考えたものではなく,愛から出ていることを証明しています。(啓 12:11)それはまた,彼らがエホバを全能者,宇宙の主権者,彼らを復活させることのできる愛の神として認めていること,さらには,自分本位の物質的な理由のためではなく,エホバのすばらしい特質のゆえにエホバに全き専心をささげていることの証明でもあります。(ロマ 11:33‐36; 啓 4:11; 7:12に記されているような,神の僕たちの感嘆の声の幾つかを考慮してください。)復活は,エホバがアダムに言明された,地に対するご自分の目的を確実に遂行するための手段でもあります。―創 1:28。
    人間の幸福にとって不可欠 神の側の過分のご親切である死者の復活は,人間の幸福のために,また,人類に臨んできたすべての有害な事柄,苦しみ,抑圧などを除いて元の状態に戻すためにも不可欠です。それらの事柄は,人間の不完全さと病気,人間が行なってきた戦争,犯された殺人,悪魔サタンの差し金で邪悪な人々が行なってきた非人道的行為などの結果として人間に降り懸かってきたものです。復活を信じないとすれば,人間は完全には幸福になれません。使徒パウロはその気持ちを次のように言い表わしました。「今の命でキリストに望みをかけてきたことがすべてであれば,わたしたちはあらゆる人の中で最も哀れむべき者となります」―コリ一 15:19。
    復活の希望はどれほど前から与えられたか アダムが罪をおかして自分自身に死をもたらし,それによって自分の子孫となる人たちに死を持ち込んだ後,神は蛇に向かってこう言われました。「そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」―創 3:15。
    最初に死をもたらした者は除き去られる イエスは反対者であった信心深いユダヤ人たちに,「あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです」と言われました。(ヨハ 8:44)この言葉は,蛇という手段を通して話したのが悪魔であること,この者が,うそで固めたその極悪な歩みの始めから人殺しであったことの証拠となります。キリストは後にヨハネに与えた幻の中で,悪魔サタンが「初めからの蛇」とも呼ばれることを明らかにしておられます。(啓 12:9)サタンは人類の父であるアダムを唆して神に反逆させることにより,アダムの子供たちに対する影響力を自分のものとし,人類を自分の支配下に置きました。それでエホバは,創世記 3章15節の最初の預言の中で,この蛇が除き去られるという希望をお与えになりました。(ロマ 16:20と比較。)サタンの頭が砕かれるだけでなく,サタンの業すべてが打ち壊され,破壊され,取り除かれて元の状態に戻るのです。(ヨハ一 3:8; 新世,欽定,聖ア)当然ながら,この預言が成就するためには,アダムの罪の結果としてシェオル(ハデス)に行くアダムの子孫を復活によって取り戻すことを含め,アダムが持ち込んだ死を取り除いて元の状態に戻すことが必要になるでしょう。アダムの子孫はアダムの罪の影響を受け継いでいるからです。―コリ一 15:26。

  4. 匿名 より:

    後半の点について、例えば、申命記18:7にはこう書いています。

    「その者は,自分のすべての兄弟,すなわちそこでエホバの前に立つレビ人たちと同じように,その神エホバの名において奉仕しなければならない。」

    「エホバの前に立つレビ人」、彼らは当然、古代イスラエル人、地上の人間でした。それでも「エホバの前に立つ者」でした。それを踏まえた読み方をされるとよいでしょう。

    ところで、前半の疑問の「人数も144000人を超えてしまうと思うのですが・・・」の根拠は? 未だだれも(人間は)その人数の正確な数をカウントしていません。ゆえに、すでにそれは集められたのかもしれず、まだなのかもしれません。分からない、というのが現状でしょう。

  5. 匿名 より:

    (^^)/~~~(^^)/~~~(^^)/~~~(^^)/~~~(^^)/~~~

    ①お近くのエホバの証人にお聞きして、『時世』について聞かれ、その言葉の意味を正しく理解される事をお勧めします。

    ②既に書籍で解説されて今ので、参考資料を載せておきます。

    天で,それとも地上で?
    12 大群衆が『み座の前に立っている』といっても,天にいるという意味ではないことが,どうして分かりますか。このことに関しては,たいへん明確な証拠があります。例えば,ここで,「の前に」と訳されているギリシャ語(エノーピオン)は,文字通りには,「[の]見るところに」という意味で,エホバ「の前に」,あるいはエホバ「の見るところに」いる,地上の人間に関して何回か使われています。(テモテ第一 5:21。テモテ第二 2:14。ローマ 14:22。ガラテア 1:20)イスラエル人が荒野にいたころ,モーセはある時,アロンにこう言いました。「イスラエルの子らの全集会にこう言ってください。『エホバのみ前に近づきなさい。あなた方のつぶやきをお聞きになったからです』」。(出エジプト記 16:9)その時,イスラエル人はエホバのみ前に立つため天に移される必要はありませんでした。(レビ記 24:8と比較してください。)それどころか,彼らはまさしくその荒野で,エホバから見えるところに立っており,エホバは彼らに注意を向けておられました。

    13 さらに,こう記されています。「人の子がその栄光のうちに到来(すると)……すべての国の民が彼の前に集められ(るでしょう)」。この預言が成就する時,全人類が天にいるわけではありません。『去って永遠の切断に入る』者たちは,確かに天にはいません。(マタイ 25:31‐33,41,46)それどころか,人間は地上でイエスから見えるところに立っており,イエスは人々に注意を向けて裁きを行なわれます。同様に,大群衆はエホバとその王キリスト・イエスから見えるところに立っているので,「み座の前と子羊の前に」おり,このお二方から有利な裁きを受けます。

    以上です。
    夕方の奉仕に出掛けてきます。(^O^)(^O^)(^O^)(^O^)(^O^)

  6. 匿名 より:

    ①4.には、イスラエルの子孫のあらゆる部族の者が印を押される事になっています、そして、純粋なイスラエルの12部族である筈のダンの部族の代わりにマナセが入っていますから、肉の、目に見える形におけるイスラエル(ユダヤ人)がユダヤ人ではなく…文字ではなくて霊における心の割礼が割礼なのです。(ローマ2:28.29.4:11.)。
    そして、14万4千人の数が満ちれば、4人の御使いが押さえている四方の風が解き放されている筈です。
    ② 大群衆は肉体のまま地上に復活しません。
    復活は全て、御使いたちのようなイエスの復活体に似た霊の体になると書かれています。そして、最後まで生き残っている者たちは空中で主に会うのですから、御座と小羊の前に立っている事になりますし、小羊(イエス)と14万4千人の花嫁の婚宴の席に招かれてもいますから、血肉の体はあり得ません。
    第1のアダムは血肉の先祖でしたが、第2のアダムは、霊の先祖と成られたので、キリストの血で洗った白い衣を着ている以上、霊の体になっていると思います。



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