ヨハネの啓示20について再度、ご質問させていただきます。以前も会衆内でこの解釈について信者の方へ尋ねましたが、理解出来ない為、個人研究をしている別の長老さんへ再度、尋ねました。
お答えは幻で見た出来ごとを伝えているので、時系列で聖書を解釈する事は正確な理解ができないのですと言うお答えを頂きましたが私は幻であろうがなかろうが聖書に述べてある接続詞を1から順番に読んでいくと20:7以降は千年統治後の出来ごとになると思います。
しかし、エホバの方は11~13は千年統治期間で14,15は千年統治後と言うお答えと14,15は千年統治期間から千年統治期間後に跨っていると言う意見もありました。
質問
1、エホバの証人にとって復活が千年統治後ではいけない理由は何でしょうか?
2、20:5の聖句で第一の復活は何を指しますか?
3、20:5の()内は残りの死人は千年が終わるまで生き返らなかったと書いてありますから、どこかのタイミングで復活できる死人もいると推測できるのですが、千年期間中は復活できないと聖書は述べているのですから何時、復活できるのですか?
4、20:6の「第二の死」とは何を指していますか?第二の死も千年のあいだ彼と共に王として支配すると聖書に記載してあるのですが、千年期間終了後に復活する事も推測されますがいかがでしょうか?
5、6の聖句の「第二の死」と14の聖句の「第二の死」は同じ事を示しているのでしょうか?もし、同じであれば6の聖句の「第二の死」は千年のあいだ彼と共に王として支配すると書いてありますから14の出来ごとは千年統治後になると理解すべくだと思うのですがいかがでしょうか?
6、14の聖句火の海に投げ込まれたと書いていますが、15でも同じように火の海に投げ込まれたと聖書に書いています。そしたら、14,15は同じ時期の出来ごとと予想されますが、15に書かれている命の書に書かれていないものは~と言う表現は千年統治後に命の書が開かれて裁かれたと言う事ではないでしょうか?それと同時に14の聖句も千年統治後の出来ごとに当てはまりませんか?
7、13,14も「そして」と言う表現で並列の話になります。結局、7以降は千年統治後になると思います。
*聖書に書かれている事の理解を述べた事ですが、間違えがあれば指摘して下さい。
②黙示録が示す復活には二つあります。第一の復活は千年の始まりに起こるクリスチャンの復活、次の復活は千年の終わりに起こる非クリスチャンすべての復活です。
③非クリスチャンの復活は確かに千年中には起きませんね。ただしものみの塔は、「生き返らない」のはあくまで霊的な観点での話であって、肉体は千年中に生き返ると説明します。
④黙示録が示す死にも二種類あります。普通の死と、第二の死つまり千年後の裁きで命を得られない人たちが行く火の湖です。20:6が言うのは、「第一の復活で生き返った人たちはもはや裁かれて火の湖に行くことはないよ」ということです。
⑤一緒だと思います。ちなみに「彼ら」とは第二の死ではなく復活したクリスチャンたちのことです。
⑥⑦bonjinさんがおっしゃるとおり、自然に読む限り20:12-15が千年支配の後の出来事であるのは明白です。エホバの証人がなぜこれをあくまで否定するかと言いますと、bonjinさんが見落としている何らかの根拠がこの箇所に埋もれているからではありません。すでに独自の根拠が別にあるのです。そしてそれに基づいてこの箇所の所々の接続詞などを、ものみの塔の解釈に合うように説明しているのですが、どれ一つ自然な理解を覆すほどの決定的な説明ではありません。
ではなぜものみの塔が、こうも千年支配中に復活が起こると主張するのか、それが①の答えになりますが、「公正の神は、すべての人が神に関する知識をサタンの影響力のない状況で学ぶ機会を備えてくださるはずだ。したがって人々は、裁きの日よりもかなり前に復活していなければならない」と考えるからです。しかし、そうなさらない神は愛と公正の神ではない、と考える必要自体がありません。もしそうであれば、ハルマゲドンの時に赤ちゃんさえ滅ぼされる神は、愛と公正に欠けることになります。
コリント第一 15:20-28 において、イエスは『すべてをエホバに渡す』と言っています。 つまり完全な状態になった回復された人類、アダムを造った当初の目的を果たすにふさわしい状態にです。
復活して来る人々にも、罪はない!といえども、イエスの購いの益が必要なのは認められるでしょうか?
であれば、聖書全体の主題がアダムの罪の影響からの回復手段、“王国”なのだから、約束の胤、キリストの千年王国内にすべてが解決されてしかるべきではないですか? その上でエホバに返されるべきでは?
イエスが地上に居た時になされた事柄、奇跡は千年統治に起きる事柄の小規模な成就と見るのは、理にかなっていると思いませんか? その一つが復活です。
イエスが磔にあった時、隣の罪人に『私と共にパラダイスにいるでしょう』と言われた人は、いつどこの楽園に復活しますか?
聖書全体の言葉から洞察すれば、千年統治の期間中に復活しなければ、やはり意味がないと結論付けられます。
ヨハネ黙示録はAD1世紀末にローマ帝国の弾圧下で
ユダヤ人キリスト教徒が書いた物です。その時代背景を
理解していないと、編者の意図は全く理解できないだろうと
思います。
キリスト教徒の理解が黙示録の編者の意図とは全く違っている
内容を列挙しますと
①黙示録20/4に書かれたキリストと訳される χριστου は
黙示録の後に言われる様になったイエス・キリストの事ではなく
ユダヤ人を弾圧しているローマ帝国を追っ払う様な第3国(かつての
ペルシャの様な)のメシアを想定している事。
②黙示録の20章に書かれたキリストによる千年統治はキリスト教徒が
考えているイエス・キリストが統治する事ではなく、その第3国の皇帝か
王様による暫定的なパレスチナ統治の事である。
③悪魔と書かれている物はローマ帝国の事であり、千年統治の間は
ローマ帝国そのものが滅びる事はなく、千年統治の後にローマ帝国の
裁きがなされる。
④ここに書かれている人の復活とは、生身の人間が復活する事では
なく、真にユダヤの民の国が復活することを示している物で、千年統治
以降である。
以上です。もしキリスト教団やえほばの商人の戯言にうんざりしてるの
であれば、もう少し詳しく解説しても良いです。
子供の時第一の死は普通の死のことで、
第二の死は最後の審判の時、改心しない罪人が
地獄に落とされる事と教えられたと思います。
①JWが千年後でないと言う理由は、天で14万4千人が支配する地上の人々、特に旧約時代の忠実な人々の復活を考えに入れているのだと思いますが、聖書は、復活は主(イエス)と結ばれて眠っている者次いで生き残っている残りの者が一瞬に霊の体に変えられ空中で主に会う事になりますが、小羊の婚宴に招かれるイエスの血で洗って白くした衣を着た大群衆もキリストにある者ですから、サタンが縛られる千年の地上の王国で天の支配を受けるのに相応しい者と言えます。
ですから、千年期間の地上は白い衣を着た大群衆で一瞬に霊の体を着た者たちになります。②20:5.の第1の復活は、即永遠の生命を受けると言う事です。
復活後の裁きは無いと言う意味です。
③14万4千人以外は天に往き来出来ないと言う事です(黙示録21:23.~26.)
④第2の死は、永遠の消滅を意味しています。
6.の第1の復活に与る者には第2の死は支配力を持たないのですから、14万4千人はキリストと共に王また祭司として支配するのです。
⑤6.と14.の第2の死は、永遠の滅びで、同じ事を示しています。⑥同じ千年王国後、サタンが火の池に投げ込まれた後の事です。
*間違っている点は、④の第2の死が王として支配する点で、14万4千人が復活の初穂として永遠の生命を得た時点で死は王としての支配権は無くなっています。
1,の質問ですが、1は神は公正な方で大患難を通過する人、その前に亡くなった人すべてが神に関する知識をサタンの影響力のない状況で学ぶ機会を備えてくださいます。そして、千年をかけて完全な状況に人々はなっていきます。そして、最後の試み、サタンが解き放たれたときに神に忠節な人が生き残ることができます。このようなことがおこなわれなければならないので千年後の復活はありえません。