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戦後、スギの拡大造林の原因は?(杉を植えすぎたのは結局誰の責任なのか?)

歴史

杉植えすぎたのは林野庁の責任だけではないという話
結局、何も語ってくれなかった
国会議事録を検索してみましたの続きです。

では「誰の責任か?」をまとめます。
重要なのは多くの国民が「国有林をどんどん伐れ。」と言っていたこと。これは忘れられていますが事実です。
伐ればすぐに苗木を植えなければなりません。そして大量のスギ苗が一斉に植え付けられました。これが現在同時期に成木になり、花粉をつけています。

ではなぜスギ苗なのか?これについては……
(1)建築資材として考えればスギが適切だった(当時、建築資材が極度に不足していた)
(2)大量の種苗を生産出来る体制が確立していたのはスギだった
上記2点が基本的な理由として挙げられます。

それでは、戦後スギの拡大造林の原因を、議事録等から考察してみます。

緊急造林は原因から全く違うので緊急造林後だけを考えますと、主に、
(1)木材価格高騰と住宅問題(民有林は既に壊滅)、それに伴う「木材を供給するためもっと国有林を伐るべき」という世論の高まり
(2)パルプ資材としての新たな木材需要の増加
が挙げられます。

ヤマネコ様のコメント
「林野庁は切り惜しみをしている」と半ば罵倒めいた社説を載せている新聞の切り抜き
や、国会議事録でも「周知の事実」として取り上げられる住宅問題などから見て、林野庁に対して相当のプレッシャーがあったと推察されます。

— 4/21追記 —
上述の、「社説」に関する情報です。(林業ニュース様より頂きました。情報ありがとうございます。)
第2回 林政審議会国有林部会(平成23年2月8日)配付資料1 国有林の歴史・現状と今後の課題(pdfファイル)
4(6ページ目)に当時の社説の内容が掲載されています。

以下引用

毎日新聞S36.5.25社説「木材対策はまず実行だ」
内容:既開発林に対し国有林では2倍~の蓄積を持つ未開発林が、木材の需給関係を改善するために開発の速度を速めようとはせずに、過熟枯死等資源の浪費に委ねられ、また低い成長量のまま
で放置されているのは、自慢できることではないからである。問題は開発のための投資である。

朝日新聞S36.8.13社説「木材価格の抑制は急務」
内容:木材価格値上がりの原因は供給力の不足にある。~国有林の増伐もやらねばなるまい。

毎日新聞S36.8.17社説「木材価格対策は十分か」
内容:天然過熟林をかかえる国有林のことだから、林道への投資を惜しまなければ増伐の可能性は十分あるだろうし、期待もできる。

朝日新聞S43.3.20社説「国有林の伐採制限の緩和を」
内容:当面はあらゆる手を打って国産材の供給を増やし、外材輸入の外貨を節約すべきである。まず、考えられるのは、国有林の伐採制限の大幅緩和だ

読売新聞S44.3.21社説「林業政策の改善充実を」
内容:国有林野事業特別会計によって、実質的に日本最大の山持ちである林野庁は増伐して木材価格の抑制につとめるべきであろう。

— 追記ここまで —

が、じつはそれだけではなく、
(3)林野庁自身が「計画的造林」には積極的姿勢
だった点が大変興味深いところでした。

無計画に伐採するのは良くないが、未開の山で施業できそうな所にどんどん林道を整備して人員を増強して……と、「伐れ!」という声に抵抗しつつも「世論がそうならしょうがないな~、じゃあ。」的なノリで結構”計画的”伐採を進めています。
これにより、国有林にあった広大な天然林が伐採されたと考えられます。議事録には、昭和29年 林野庁長官自身の「生産性の極めて低い天然林を人工林に変えることで、生産性を高める。」といった発言が残されています。

最終的には、昭和36年に大規模な造林を行いました。俗にいう戦後の「拡大造林」です。
これは森林施業的には決して計画的とは言えないほど、大規模なものでした。
(国有林の成長量の2~3倍に及ぶ伐採が行われました。)

その理由は、計画的施業=「伐り惜しみ」と思い込んだ国民の強烈な批判も当然ありました。
議事録からはこれらの批判について「周知の事実」「言うまでもなく」といった表現が散見されます。
が、それだけで単純に断ずることは出来ません。様々な立場の利権が絡んでいたようです。
議事録だけ見ても、パルプ業界、与野党議員等々(野党も!)、色々な人物の「林野庁は計画などにこだわらず伐るべき」という発言が多く見つかります。
実は林野庁自身も、造林面積が増える事は林道整備や雇用などに要する予算が増やせるのだから悪い事ではなかったようです。
30年代後半、増伐を行った国有林野事業は、木材価格の上昇もあり大幅な黒字で推移したそうです。
第2回 林政審議会国有林部会(平成23年2月8日)配付資料1 国有林の歴史・現状と今後の課題(pdfファイル)の5(7ページ)参照
そういえば、当時の林野庁官僚が大蔵官僚に料亭で「靴を揃えさせた。」という昔話を聞いた記憶がありますね。まあ、じきに赤字に転落するんですが。

誰が伐らせたかの答えは、「時代がそれを求めていた」としか言いようがありません。
上述した様々な立場(家を建てられない人達、パルプ業界、政治家、官僚)の思惑もさることながら、農林水産大臣の「増伐」発言も、時代に即していたのではないかと感じられます。

— ここから与太話 —

戦後まもなくの議事録にある、日本協同党の井出一太郎の発言を見ると、林業問題に抜きん出て詳しく、他を圧倒していました。
さらっとこんな発言もしています。
「御承知のように、林地には、林野には、相対的林地と絶対的林地があるはずであります。」
誰も御承知じゃねえよ
と、時代が時代ならツッコミを入れられそうですが、当時はまだこの手法がメジャーだったとは思えません。
「皆さんご存知のとおり」
と前置きをして自分にしか分からない話をするのは周囲に「ただものではないぞ。」を思わせるのに十分ですし、
「皆さんご存知のとおり」
と前置きをして自信のない話をすると、質疑応答で誰にも痛い腹を探られず安心です。おためしください。

その甲斐あってか昭和30年頃には与党自由民主党の議員となっており、更に時の農林水産大臣にまで登りつめています。
おめでとー。
そして農林水産大臣井出一太郎は、「増伐」を明言しました。
そりゃそうです。民有林には伐るものもモチベーションもない、と発言していたのは彼ですし、
建築資材その他で材木需要が増すと予言し、見事的中させたのも彼です。
「国有林こそ造林すべき。」とも発言していました。

専門の知識もあり、勝ち馬に乗る(勝ち馬を見分ける)能力もあり、戦後の混乱期を経て農林水産大臣まで上り詰めた男は、おそらく一目置かれていたでしょう。「こいつの言うことなら正しいだろう。」当時の多くの議員がそう思ったのではないでしょうか?
世間の風がどっち方向に吹いていたか位はガンガン感じ取り、その風に乗るべきかどうか位判断できていた人物だったんじゃないかなー、と私は議事録から勝手に想像しています。

— 与太話ここまで —

当時、住む所がない、家を建てられない(木材価格が高い)、というのは深刻な問題でした。

紹介はしませんでしたが、戦争直後の住宅用資材の不足は深刻だったようで、「非罹災者課税」などという法律を策定し、罹災者に住居を提供すべきという発言までありました。
う~ん。

戦後の「復興院」など、資料を読んでいても何か現在の状況(震災復興の議論)とダブる物がありました。



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