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日本でのマンガ表現規制略史(1938~2002)

歴史
【戦前・戦中】
1938年 ・旧内務省による「児童読物改善に関する指事要綱」。
漫画を含む児童図書33点が発禁処分(戦時下の言論統制)。
【戦後の「俗悪漫画」批判、「悪書追放運動」】
1949年 ・赤本(非正規流通)漫画ブームと俗悪批判。
1955年 ・「日本子どもを守る会」「母の会連合会」「PTA」による「悪書追放運動」。漫画を校庭に集めて「焚書」にするといった「魔女狩り」が横行。「図書選定制度」「青少年保護育成法案」といった動きの反面、出版界、編集者も批判に抵抗。のちの自主規制への道筋がつけられていく。
1959年 ・貸本漫画の残酷描写批判。貸本じたいの「衛生面」も非難の的に。
1962年 ・平田弘史「血だるま剣法」「積んではくずし」が部落解放同盟等から抗議を受ける。
1963年 ・出版界の自主規制団体「出版倫理協議会」結成。
1964年 ・東京都、青少年条例を制定。
【マンガの隆盛とハレンチ漫画非難、差別表現の「言葉狩り」】
1970年 ・永井豪「ハレンチ学園」への非難続出。
・ ジョージ秋山「アシュラ」の人肉食描写が問題化。一部で発禁。
・ 手塚治虫「アポロの歌」のセックスシーンが問題に。福岡で発禁。
・ 梶原一騎&矢口高雄「おとこ道」が朝鮮人差別描写で問題化。
1973年 ・「サンデー毎日」誌上での「劇画論争」。
1976年 ・「国際婦人年をきっかけとして行動を起こす女たちの会」が、永井豪「イヤハヤ南友」山上たつひこ「がきデカ」の女性描写を問題視。
・少年非行の増加を背景に、警視庁に少年課設置。
・41都道府県で青少年条例の制定強化。(~1980年)
【エロ劇画・ロリコン漫画・美少女系エロマンガ/成年向けコミックの台頭】
1978年 ・エロ劇画ブーム。
11月 ・「漫画エロジェニカ」刑法175条「わいせつ図画頒布」で摘発。
1979年 2月 ・「別冊ユートピア/唇の誘惑」が同じく摘発。
1980年 ・宮下あきら「私立極道高校」が実在する学校名を使用し問題化。
1982年 ・えびはら武司「まいっちんぐマチ子先生」が女性差別とされ問題化。
1984年 ・ティーン雑誌のセックス記事に対する非難、規制。
・自民党、青少年向け「図書規制法案」を準備(批判を受け提出せず)。
1982~88年 ・エロ劇画からロリコン漫画への人気移行。
・コミックマーケット、同人誌文化の拡大。
・ロリコン漫画から美少女系エロマンガへ(アングラとメジャーの線引きが曖昧になり、一般青年誌を中心に美少女系作家が進出。エロ劇画の衰退)。
【「黒人差別」騒動、「有害」コミック規制問題】
1989年 7月 ・関西在住のA氏一家で構成される市民団体、「黒人差別をなくす会」が藤子不二雄「オバケのQ太郎」150編「国際オバケ連合」の描写を差現と指摘。小学館は単行本出版中止へ。
8月 ・「連続幼女誘拐殺人事件」発生。犯人とされた男が「おたく」であっ たことなどがマスコミで喧伝され、マンガ、アニメにおける「過激な表現」が犯罪を誘発するといった非難が続出。
・平松伸二「マーダーライセンス牙」で、実際の「東アジア反日武装戦線」事件を死刑廃止グループに偽装したテロリストという設定で描写。支援グループが抗議。
1990年 8月 ・「黒人差別をなくす会」、鳥山明「Dr.スランプ」など「週刊少年ジャンプ」掲載の諸作における黒人差別を指摘。
・佐藤正「燃える!お兄さん」で、学校の用務員に対する職業差別描写に対し、自治労大阪府本部などが抗議。
9月 ・「朝日新聞」社説「貧しい漫画が多すぎる」掲載。「有害」コミック騒動の端緒となる。
・「黒人差別をなくす会」、手塚治虫漫画の差別表現に抗議。
・総務庁、出版倫理協議会に対しコミック自主規制要請。
・「コミック本から子どもを守る会」、和歌山県田辺市の主婦らによって結成。署名運動、陳情を開始。その後、各地の「親の会」「PTA」等が続々と陳情、抗議を繰り返す。
10月 ・出倫協、会員各社に自主規制を要請。
・成人向け図書出版社を中心とした「出版問題懇話会(現・出版倫理懇話会)」が「編集倫理綱領」「編集倫理規定」策定。自主規制に動く。
12月 ・雑誌協会系各社、有害指定コミックスの回収へ。
・このころ槍玉に挙がった「有害」コミックとしては、上村純子「いけない!ルナ先生」(講談社)遊人「ANGEL」(小学館)等。零細エロ出版社より、大手出版社の「ちょっとHな」作品が問題視される傾向。
1991年 1月 ・出倫協、「成年コミック」マークを発表。出問懇はマークを受け入れ。
2月 ・「成年コミック」マーク第一号はこしばてつや「IKENAI!いんびテーション(3)」(講談社)。
・当時の自民党政調会長が党所属国会議員に宛て、コミック規制の請願文例を添えた「コミック雑誌等有害図書への対処法について」の通知を送付。
・警視庁、「わいせつ図画販売目的所持」容疑で都内漫画専門店を摘発。H系同人誌が対象で、書店店長、発行者、作家の計74名が検挙される事態。
3月 ・東京都、初のコミックス「不健全」指定。
7月 ・東京都議会、「都革新」1会派を除く6会派(自民、社会、共産、公明、民社、大衆)の賛成により、「不健全(有害)図書類の規制に関する決議」を採択。行政指導の強化と青少年健全育成条例の「改正」を求める。
9月 ・都議会生活文化委員会で青少年条例のコミックス規制強化を全会一致で採択。この後続々と、各地方自治体の青少年条例が強化される。
・条例強化反対を掲げる「『有害』コミック問題を考える会」が集会開催。漫画編集者、フェミニスト、フリーライター、子どもの人権確立の活動家など、幅広い枠で構成される同会が、市民レベルでのマンガ規制反対運動のさきがけとなる。同会はのちに「マンガ防衛同盟」と改称し、98年の「児童ポルノ禁止法」問題でもマンガ表現規制阻止に尽力する。
10月 ・出版労連がコミックス規制と青少年条例改悪に反対決議。
12月 ・日本ペンクラブがコミックス規制に対し反対声明。
・山本英夫「おカマ白書」が同性愛に対する偏見であると「動くゲイとレズビアンの会(アカー)」が抗議。単行本第3巻の発売が白紙に。
1992年 1月 ・書店組合、マスコミ労組、弁護士会等から反対声明相次ぐ。
・文部大臣、文化庁長官が書協理事長、大手3社の編集責任者、出倫協関係者を招致し、事業税の軽減措置延長の条件として「文化的」「非文化的」出版物を線引きする「ガイドライン」策定を政府と業界が共同ですすめる協議機関の設置を提案。
3月 ・マンガ家、編集者、書店主らが「コミック表現の自由を守る会」旗揚げ。 代表は故・石ノ森章太郎。
・「コミック表現の自由を守る会」発起人である山本直樹の「Blue」が都条例で「不健全」指定。光文社は「Blue」の破棄を決定。
5月 ・東京都、レディスコミックも「性的・残虐」を理由に不健全指定へ。
7月 ・宮崎県でパソコンソフト3種を「有害図書」指定。そのうち「電脳学園」を制作したソフトメーカー「ガイナックス」が同年9月に行政不服審査法に基づき異議申し立て。93年2月には処分取り消しを求め行政訴訟。
1993年 ・扶桑社「週刊SPA!」連載の小林よしのり「ゴーマニズム宣言」7.7掲載予定稿が直前に掲載拒否。皇室関係のパロディ部分が問題に。のちに「ガロ」誌上に掲載。
・「コミック表現の自由を守る会」から発展した「マンガジャパン」結成。
【『児童ポルノ禁止法』問題】
1995年 3月 ・「地下鉄サリン事件」を起こしたオウム真理教が「おたく世代」で、漫画、アニメなどから着想を得ていたとの指摘。89年の「連続幼女誘拐殺人事件」以降くすぶっていた「有害マンガ犯罪誘発論」が以後頻発する。
1996年 8月 ・ストックホルムで開催された「子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」で、日本の児童買春ツアーと児童ポルノ製作への対応の遅れに非難が集中する。日本側参加者から資料として写真誌「アリスクラブ」(コアマガジン)が提出され、掲載された漫画が議論の対象となる。
1997年 6月 ・自民、社民、さきがけ与党3党による「与党児童買春問題等プロジェクトチーム」発足。
・青少年条例による「不健全」図書指定の常態化に合わせて、コンビニでの自主規制強まる。レディコミ、成年向けコミック誌の多くが大手コンビニチェーンから姿を消す。
・「神戸連続児童殺傷事件」の犯人「少年A」の犯行動機を「マンガの影響」とする報道相次ぐ。これ以降、少年事件における「マンガ・アニメ」の影響を論じる空気が醸成される。
・沖さやか「マイナス」の人肉食描写が問題に。掲載した「ヤングサンデー」誌は回収措置。
1998年 3月 ・与党児童買春問題等プロジェクトチーム、「児童買春、児童ポルノに係わる行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律案」要綱を発表。「児童ポルノ」の定義に「絵」を含んでいたことから、「新たなマンガ表現規制」として波紋を広げる。また、当時社会現象となっていた「援助交際」をあからさまに規制する性質であったことから、「子どもの性虐待防止」と「子どもの性的選択権」を意図的に混同している等の批判も生む。
4月 ・出倫協、同法案に対する批判的見解を発表。
6月 ・衆議院第二議員会館にて「児童買春・児童ポルノ禁止法案を考える市民の会」主催の慎重派&批判派によるシンポジウム開催。
8月 ・エクパット関西による独自提案。「児童の性的自己決定権」と「旧来のわいせつ観に支えられた児童ポルノ処罰批判」を骨子とした対抗法提案が児童の商業的性的搾取に反対する有力団体からなされたことで、議論が加速する。
12月 ・エクパット関西案を採り入れた民主党案発表。
1999年 1月 ・超党派による同法案勉強会が発足。
3月 ・超党派案による「児童買春、児童ポルノに係わる行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律案」を参議院に提出。全会一致で可決。
11月 ・「児童買春・児童ポルノ禁止法」施行。
【「青環法」と「児童ポルノ禁止法『改定』」論議~現在の状況】
2000年 5月 ・参議院自民党が「青少年有害環境対策法案(素案)」を発表。
6月 ・法律、メディア関係者による同法案に反対する緊急アピール発表。(この間に、法案名にある「有害環境」が「社会環境」にすり替わる)
9月 ・岐阜県大垣市で、同法案推進を求める署名が自治会を通じて集められる。同調圧力による「民意の自作自演」の実態。
・日本民間放送連盟による同法案への反対声明。
10月 ・出倫協、雑協による反対声明。
12月 ・日本ペンクラブによる同法案撤回を求める声明。
・民主党、水島広子・肥田美代子議員を中心としたグループによる「子ども有害情報からの子どもの保護に関する法律案骨子」を発表。「有害情報」の定義が自民党案より拡大されるなど、批判が相次ぐ。
2001年 1月 ・民放TV各局キャスター6名による同法案反対声明。
2月 ・日弁連会長が同法案に対する見解発表。
3月 ・東京都議会が有害図書項目に「自殺の奨励、幇助」等を加え、書店での区分陳列を義務づけた青少年健全育成条例の改定を可決。反対は「自治市民’93」一会派のみ。「自殺」項目は、話題になっていた「完全自殺マニュアル」の発禁対策との指摘。
4月 ・民放連が民主党案への反対意見書発表。
10月 ・政府の「青少年育成推進会議」が「青少年を取り巻く環境の整備に関する指針」を発表。反対が相次ぎ、休眠していた法案が復活。
・ 改正都条例施行。区分陳列の書店側負担が大きく、成年向けコミックの取り扱いが激減。コンビニ置きの成年向けコミックの大半が姿を消す。
・雑協「出版ゾーニング委員会」が、18歳未満購入禁止の表示を検討。「成年コミック」マークに代わる表示案を発表。
11月 ・自民党、「青少年有害社会環境対策基本法案」を発表。 ・横浜で開催される「第二回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」で、日本のマンガ表現が「児童ポルノ」にあたるとされるステータスが準備されているという情報がもたらされる。翌年11月の「児童ポルノ禁止法」見直しへの反映を懸念したマンガ家、評論家を中心とした有志によりメーリングリスト「連絡網AMI」発足。同時に、「AMI12.18プロジェクト」が会議でのワークショップの準備を始める。
12月 ・ 民放連、自民党に公開質問状提出。
・ 横浜で開催された「第二回子どもの商業的性的搾取に反対する世界会議」にて、エクパット関西ユース、連絡網AMIがワークショップ「マンガはCSEC(児童の商業的性的搾取)ではない」を主催。同日夜、横浜で連絡網AMI主催の連動イベント。
2002年 2月 ・メディア9団体共催で公開シンポジウム「青少年有害環境法案を考える~法規制とメディアの自律~」が開催される。
3月 ・マスコミ、市民5団体主催のシンポジウム「メディア規制3法案反対緊急集会”やさしい顔”の言論統制」が開催される。「青環法」は、「個人情報保護法」「人権擁護法」と並んで「メディア規制3法案」と位置づけられる。
・成年向けコミック出版の松文館と道出版が「区分陳列」の書店負担を軽減する目的で、「報奨金制度」を導入。ゾーニングによる自主規制促進へ出版社が独自に動き出した初のケース。
4月 ・アメリカの「児童ポルノ防止法」が、マンガ、イラスト等の「絵」を規制対象にした法文の為、連邦最高裁で違憲判決を受ける。
5月 ・朝日新聞、日本が署名した「子どもの権利条約の選択議定書」のなかで児童ポルノの規定に「アニメ・マンガも禁止対象へ」とした記事を掲載。連絡網AMIが抗議した結果、後日訂正と謝罪。
6月 ・市民有志による「児童保護に名を借りた創作物の規制に反対する請願署名」がはじまる。マンガ関係者による初の政治的署名運動。
9月 ・ビューティーヘア「蜜室」が刑法175条「わいせつ図画頒布」で摘発。版元の松文館関係者、作者が逮捕される。マンガ単行本としては史上はじめての「わいせつ」での逮捕。
【年表作成:山本夜羽/参考資料「誌外戦」(コミック表現の自由を守る会・編/1993)「オルタブックス・有害図書の世界」(メディアワークス/1998)「コミック・ジャンキーズVol.5」(コアマガジン/1998)


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