頭の中であれこれ考えるより行動して 経験したほうが確かな答えが得られるからでしょうね!
考えるよりも行動と言う言葉は、
悩んでるくらいだったら動いてみろよ。と言う意味を孕んだ言葉だと僕は思っています。
本当に考えてたら押すなり引くなり行動に出ますが、悩むと言うのは大体は大したものは得られませんからね。
もちろん考えて行動すべきですが、行動したくなくて考える人もいますからね。
「兵は拙速を聞くも未だ巧の久しきを見ざるなり」
まさにこの言葉は、”小田原評定”にて申したいことですね。
主君が迷うようならば、家臣はついていくはずがない。
断固毅然と処するならば、鬼神もこれを避けるのです。
自分がどうありたいかを考えれば、為すべきことについてだけを考えれば良いはずです。
発言しながら耳が痛いですけど。
(計画)より一つの行動のほうが勝る
「まず戦闘に入るべきであって、しかるのち何が起きるかわかる」みたいなことを言ったヨーロッパの武将がいましたが、状況の中に身を入れてみれば、あとは状況のほうが次に何をすればいいのか教えてくれるから「(いつでも)考えるよりも行動だ」です。
とはいえ大雑把な(克明なものだと、それが手足を縛ります)見取り図、計画は最初に作成した上で戦闘に入る必要があるのは言うまでもないでしょうが。状況が指示することだけをやっていたのでは、はてなんのために自分はそもそもこの戦闘に入ったんだろうかって、やがて首をひねらざるを得なくなったりもしますでしょうから。
「一ダースの綱領(計画)より一つの行動のほうが勝る」とか、
「生きるとは行動すること以外のなんであるか」とか言った哲学者もいるようで、ことほどさように行動するということは第一義的なことなのでしょう。
行動の原動力については、広い意味で欲求ではないですか。
「人が何かを凝視するということは、その何かに対する欲望を秘めている」と言った人もいます。まったく関心のないことに人は心を動かされたりはしないでしょうから、なんらかの行動を取る、あるいは行動を決意するということは、そこになんらかの欲求が働いているからではないでしょうか。