1955年:デビュー
1956年:映画初主演
1964年:『日本侠客伝』
1965年:『網走番外地シリーズ』
1975年:『新幹線大爆破』
1976年:『君よ憤怒の河を渉れ』
1977年:『八甲田山』
1977年:『幸福の黄色いハンカチ』
1978年:『野性の証明』
1980年:『動乱』
1980年:『遙かなる山の呼び声』
1981年:『駅 STATION』
1982年:『海峡』
1983年:『南極物語』
1994年:『四十七人の刺客』
1998年:紫綬褒章
1999年:『鉄道員(ぽっぽや)』
2006年:文化功労者
2012年:『あなたへ』
2013年:文化勲章
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自分がここで死ぬんだというところを早く見つけたい。:高倉健の残した名言。
2014年11月30日(83)でこの世を去る。
軍人の父と教員の母の間に福岡県で生まれる。
中学生のとき日本の敗戦を経験する。
英語やボクシングに夢中になり、文武両道を突き進んだ。
明治大学生のとき芸能プロダクションのマネージャーの面接を受ける。
しかし、面接時に居合わせた東映関係者にスカウトされ俳優業をスタートさせた。
俳優になるまでの間、ボクシング(6勝1負)、英語学習クラブを立ち上げる、貿易商、在学中に相撲部のマネージャー、数多くのことにチャレンジしている。
年齢に関係なく、人は様々なことにチャレンジすべきである。
人間は、自分がやりたいことを直感で察知する力がある。
ならば、今、気になっていることは、今始めないともったいない。
それが、もし「自分がここで死ぬんだ」というほどのものでなければ、途中で辞めるのもいい。
ただし、挑戦した後にだ。
勉強やスポーツに励み、自分の将来の選択肢を狭めずに、それを成した。
自らの可能性を広げ、様々なことに挑戦し、成功を掴んでなお、死に場所を求めるほど貪欲だった。
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養成所のレッスンを経て、1955年にデビュー、1956年には主役に抜擢されるも、泣かず飛ばずであった。
だが、1963年に「人生劇場 飛車角」に出演すると、寡黙なイメージとマッチし、次々とヒット作を生み出す。
銀幕のスターになってもなお、「何をやったか」は重要ではないと言う。
大切なのは、あくまでも「何のためにやったか」であり、人間の行動における意味や意義を問う。
多数の出演作、CM、トーク番組などの仕事において、やることの意味を自問自答したことが少なからずあったのだろう。
短い人間の一生のなかで、重要なのは結果でも数でもなく、濃度である。
自分の人生を濃いものにできるのは、時に「NO」と言える勇気がある自分だけなのだ。
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映画「幸福の黄色いハンカチ」で共演した武田鉄矢に贈った励ましの言葉である。
この作品で俳優デビューした武田は、山田洋次監督から毎日のように撮影現場で怒鳴られていた。
それを見ていた健さんが「お前、大変だったな。」と慰めると、「監督は、俺ばっかりいじめるんですよ。」と愚痴をこぼす武田鉄矢。
すると、「伸びない奴はしごかねーよ。」と励ます健さん。
その思いやりに溢れたエールに、武田鉄矢は宿まで泣きながら帰って行ったのであった。
高倉健の人気を不動のものにしたのは、70年安保の時代。
大好きな酒を断じ、アクション俳優としての地位を確個たるものとするため、体を鍛え上げた。
姿勢が良く、余計なことを喋らない寡黙な佇まいは、言いようもない迫力があった。
役どころも、理不尽な状況に耐え抜き、自らの悲願を達成する、侍のようなキャラクターが多く、混乱と反乱の時代、男性ファンの心を鷲掴みにした。
人は、忍耐強く、信念の強い人間に憧れる。また、そういった人物を尊敬する。
しかし、現代では、我慢をすることを忘れ、言い訳ばかりが登場する。
こういう時代なのだから、忍耐強い人間が際立つ。また、叩いてでも鍛えようと思ってもらえるなら、本望ではないか。
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【高倉健の名言、座右の銘】 拍手されるよりも | 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味 新型コロナウイルスに関する情報について ホーム ピグ アメブロ 芸能人ブログ 人気ブログ Ameba新規登録(無料) 本好き精神科医の死生学日記 ~ 言葉の力と生きる意味 「こんな苦しみに耐え、なぜ生きるのか…」必死で生きる人の悲しい眼と向き合うためには、何をどう学べばいいんだろう。言葉にでき…
現代人は常に、「人にバカにされたくない、人の歓心を買いたい」と強く願って生きている。
他人を貶(けな)すことで、自分をよく見せようとする愚か者も沢山いる、自分を大きく見せたり、威圧したりと本当の自分を知られないように怯えて生きている。
こうした行動は、全てちっぽけで本当は孤独で浅ましい自分を隠すための虚しい方法でしかない。
こういう時代だからこそ、自分に注目を集めることで必死になり、他人に目を向ける余裕がない。
「拍手されるより拍手する方が、ずっと心が豊かになる」と、見事に一言で表現している。
拍手を浴び多幸感に包まれ、もっと大きな拍手を求め、あらゆる手段を使って認知欲求を満たそうとする。
しかし、それでは心の豊かさは得られない。
拍手をする側、褒める余裕を持っ。こうすることで、もっと、豊かな心が得られる。
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健さんの言葉に触れると、僕らは豊かさをはきちがえているんじゃないか、と反省する。一期一会と礼儀を何よりも大切にした男は、生き急ぐ現代の日本人にやさしい警鐘を鳴らしてくれる。効率とライフハックに毒された僕らに響く、不器用でやさしい名言を集めてみた。
誰だって裏切られた経験があるだろう。
「自分が誤解していただけ」というのは、相手が言ったことを誤って理解していたという意味に留まらない。
自分が、相手を信頼できる人間だと評価していたことが誤っていたという意味や、物事を自分が甘く考えていたという意味も含まれる。
平気で他人を裏切る人間に対する防衛策は、関係を断ち、距離を置くことしかない。説得など通用しない相手もいるのだ。
他人のせいでも、自分が勝手に誤解していただけだとしても、誰かに裏切られたとき、人はそれを認めたくない気持ちや、絶望感でいっぱいになる。
しかし、そういうときこそ、忍耐が試される。裏切りのショックを乗り越えた時、人は本当の輝きを手に入れるのだろう。
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高倉健の名言。高倉健の残した数々の名言を40個紹介しています。
インターネットが普及し、様々なサービスが発達した現代では、人と人の関わりが次第に薄くなってきている。
誰とも会話せずとも、スマホひとつでほとんどの物はネットで買うことができる。
また、直接出向かなくても、オンラインを通じて様々な人と愉しむことだってできる時代だ。
人間関係など面倒なだけ、できるだけ人付き合いは避け、自分だけか、ほんの数人の気のおけない相手がいればそれで良いと考えている人は、かつてなく増えている。
しかし、人は人から学ぶことが非常に多い。多様な価値観を受け入れ、相手の心理や思いを察することに想像力を働かせることで、人間としての深みが生まれてくる。
世の中には数多くの面白いものがあるが、人間そのものの面白さには敵わない。
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不遇の新人時代から数多くの役柄をこなしてきた。
ヤクザ、刑事、軍人、武士、経営者、スナイパー、鉄道員と、幅広い芝居で銀幕を彩っている。
しかし、変幻自在に様々な役をこなすのと、カメレオンのように何色にでも成り代われるのは違うと断言する。
あくまで己があり、自分自身の魅力をその役柄に投影しなければならないのだろう。
様々な役柄になりつつも、寡黙であり続け、余計なテクニックに頼りはしなかった。
また、どこまでも自分の生き方にこだわり、その生き方が役柄に反映されるという信念を強くもっていた。
男の生きざまは、晩年、必ず顔に出る。
どれほどの人が、自分に対して確固たる自信を持って、自分というものを確立し、崩さずに生きていけるだろうか。
八方美人の生き方は楽かもしれないが、己を貫いて生きる人生にこそ価値や深みがあるのではないか。
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ほとんど取材を受けない高倉健が認めた貴重なインタヴュー集。日本を代表する映画俳優・高倉健。「すみません」「お願いします」「ありがとう」──寡黙で、礼儀正しく、思いやりに溢れる稀代の名優の言葉は、日本人が忘れ去ってしまったものを思い出させてくれる。健さん自身のセリフや演技への想いをはじめ、『網走番外地』『昭和残侠伝』『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』『駅 STATION』『夜叉』『居酒屋兆治』『…
幼稚園児でも分かる社会のルールだが、それが必ずできる人はどれだけいるだろうか。
シンプルなルールは、実は達成するのが非常に難しい。だからこそ、約束を守る人間には価値が出る。
おそらく他人にではなく、自分自身への戒めの言葉に違いない。
孤高のヒーローでも、自分に言い聞かせながら必死に生きていたのだろう。
晩年まで「俳優は肉体労働」と言い切ってトレーニングを欠かさなかったが、休みたい日もあったろうし、酒を飲んで弱音を吐きたい夜もあったはずだ。
しかしそうはしなかった。
弱い自分を認めながら、戒める。
それが本来、求めるべき、真の強さだ。
◆
高倉健高倉健(本名:小田剛一)生年月日:1931年2月16日俳優・歌手。愛称は健さん。福岡県中間市出身数々の映画やCMに出演し、男としての様々な言葉を残されました。1996年タバコのCMでは「大人になりた…
高倉健の母親は教員だった。品のある身のこなしや言動、そして優秀だった学生時代を鑑みれば、その教育は厳しく高潔なものだったことが想像できる。
世の中の多くのルールで、母親に恥じるような行動をしないという基準は、唯一にして最高のルールと言えるだろう。
人生の選択を迫られたときに、堂々と母親に説明できるだけの道を歩みたいものだ。
福岡で生まれ、学生時代から何事にもチャレンジを続け、自分を貫いた高倉健。
その功績は数多くの賞やハリウッド映画出演などの実績とともに、日本の芸能史に輝いている。
高倉健が出演した映画ランキング30
1位
日本アカデミー賞(1981年・最優秀脚本賞)
北海道を舞台に、誤って人を殺して警察に追われる男と、牧場を経営する母子の出会いと別れを描いた人情ドラマ。
2位
原作の『網走番外地』(プレス東京刊)を、「関東テキヤ一家」の村尾昭が脚色し、「必殺 博奕打ち」の佐伯清が監督した“新番外地シリーズ”第三作。
3位
“昭和残侠伝シリーズ”第九作。任侠一筋に生き抜かんが為に義理に縛られ、無益な争いに捲きこまれる男たち、そして情に涙する女たちのそれぞれの生き様を描く。
加藤秀男の原作を新藤兼人が脚色し関川秀雄が監督した。主演の三国連太郎はこの作品でブルーリボン賞主演男優賞を受賞。
5位
日本アカデミー賞(1978年・3部門)
刑務所帰りの中年男が、偶然出会った若い男女とともに妻の元へ向かうまでを描いた山田洋次監督によるロードムービー。過去を持つ主人公の物語と若いカップルのラブストーリーが北海道の四季とともにつづられ、1977年に公開されるや大ヒットを記録し、その年の映画賞を独占した。
「日本侠客伝 白刃の盃」の鈴木則文と、「男の勝負」の鳥居元宏が共同でシナリオを執筆し「日本侠客伝 白刃の盃」のマキノ雅弘が監督した侠客もので“昭和残侠伝”シリーズ第四作目。
7位
明治34年末、日露戦争を目前にして陸軍は寒冷地教育の不足を痛感していた。ロシア軍と戦うためには雪中行軍をして、雪とは何か、寒さとは何かを知らねばならなかった。
アドベンチャー(冒険)、生き残りを賭けた極限のサバイバル、雪山で遭難する、冬に見たくなる
日本アカデミー賞(1982年・2部門)
オリンピックの射撃選手でもある刑事と3人の女性の宿命的出会いと別れを3部構成で描いた人間ドラマ。1967年。
9位
伊藤一の原作を、「網走番外地(1965)」の石井輝男が脚色、石井輝男が監督した、網走番外地の続篇。撮影もコンビの山沢義一。
殺した相手の娘を気にかけ、伯父と偽り文通を続ける一方、堅気になれずヤクザの世界で破滅していく男の姿を描いたドラマ。関東の東竜会幹部、加納秀次は、会長を裏切り、関西の暴力団に寝返った松岡を殺害する。
11位
べらんめえ芸者と大阪娘
12位
緋牡丹博徒
13位
昭和残侠伝 死んで貰います
14位
侠骨一代
15位
ブラック・レイン
16位
新幹線大爆破
17位
昭和残侠伝
18位
昭和残侠伝 唐獅子牡丹
19位
鉄道員(ぽっぽや)
日本アカデミー賞(2000年・3部門)
20位
夜叉
21位
ジャコ萬と鉄
22位
網走番外地 望郷篇
23位
侠客列伝
24位
昭和残侠伝 唐獅子仁義
25位
あなたへ
26位
網走番外地 大雪原の対決
27位
昭和残侠伝 一匹狼
28位
昭和残侠伝 吼えろ唐獅子
29位
あ・うん
30位
日本侠客伝 花と龍
高倉健さんの養女として話題の小田貴月さんが、11月10日の健さんの命日を前に著書を上梓。それを機に、胸中を語ってもらった。健さんと過ごした時間、そして健さんがいなくなってからの時間。彼女の思いは…。
ある時、北島三郎さんの「風雪ながれ旅」を聴きながら気分が高まったんでしょうね。“なんちゃって日本舞踊”を踊りながら、「僕はね、養成所では『見学しててください』って言われた落ちこぼれなんだよ。でもね、その後、着流しが似合う俳優って言われたこともあるんだから、運だよな」って話していました。
高倉健の不器用でやさしい10の名言
◆
「人に裏切られたことなどない。自分が誤解していただけだ」
相手が心変わりをしたのではなくて、自分が相手を間違えて認識していた。いつだって悪いのは自分だと思えれば、世界はもっと明るくなる。敵なんてどこにもいない。
◆
「拍手されるより拍手する方が、ずっと心が豊かになる」
僕らはいつも拍手されるためにがんばっているけど、自分が褒めてもらうより誰かの笑顔を見るほうが心は潤う。プレゼントはもらうより贈る方が幸せだ。
◆
「人間にとっていちばん寂しいのは、何を見ても、何を食べても、何の感動もしないこと」
僕らが生きる証は、笑って、泣いて、心が揺さぶられること。それがなかったら生きてる意味なんかない。毎日見る景色や食べるもの、目の前にいる人を大切にしたい。
◆
「人生ってそれ(出会い)だけだって気がします。泣いたり、笑ったり、憤ったり、感動したり……」
自分勝手に生きている僕だって、みんなのおかげでここにいる。僕が今日笑っていられるのは、僕の人生に足を踏み入れてくれたみんなのおかげ。それくらいわかりたい。
◆
「すべて、私の不徳のいたすところです」
「ぜんぶ僕のせいです」これが言える男がいちばん強い。
◆
「人生っていうのは、人と人の出会い。一生の間にどんな人と出会えるかで、人生は決まるんじゃないですか」
あの人に憧れたから今の僕がある。あの人に育ててもらえたから、あの先生に出会えたから、あいつらと悪いことをしたから、あの人と恋に落ちたから、今の僕は誰かに必要とされている。
◆
「俳優になろうと思ったのはお金がほしかったからです。恋をした人がいて、その人と暮らすためにお金が必要でした」
誰かと恋をして、その人と暮らすために、僕らは生まれてきた。
◆
「何をやったかではなく、何のためにそれをやったかである。今それが大切に思えてきている」
成功をおさめても、人生のむなしさに身もだえして哀しい晩年をおくる人たちが多いのは、これを理解していないからだという。何のためにがんばっているのかが身に沁みていれば、どんな労苦も気にならない。
◆
「一日も早く、あなたにとって大切な人のところへ帰ってあげてください」
一生懸命生きてるつもりでも、愛する人のためにがんばっているつもりでも、僕らは人生に迷って、道をあやまることがある。何をするにしても、大切な人のそばにいよう。それが一番大事なことだ。
◆
「いい風に吹かれたいですよ。きつい風ばかりに吹かれていると、人に優しくなれないんです。待っていてもいい風は吹いてきません。旅をしないと……」
人を傷つけるのは、いつも傷つけられた人だ。弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く。きつい風が吹いたら逃げればいい。逃げられないなら旅に出よう。そこを動かないのは自分自身だから。