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高倉健の他人に影響されない生き方

映画

1955年:デビュー
1956年:映画初主演
1964年:『日本侠客伝』
1965年:『網走番外地シリーズ』
1975年:『新幹線大爆破』
1976年:『君よ憤怒の河を渉れ』
1977年:『八甲田山』
1977年:『幸福の黄色いハンカチ』
1978年:『野性の証明』
1980年:『動乱』
1980年:『遙かなる山の呼び声』
1981年:『駅 STATION』
1982年:『海峡』
1983年:『南極物語』
1994年:『四十七人の刺客』
1998年:紫綬褒章
1999年:『鉄道員(ぽっぽや)』
2006年:文化功労者
2012年:『あなたへ』
2013年:文化勲章

年齢に関係なく、人は様々なことにチャレンジすべきである。
人間は、自分がやりたいことを直感で察知する力がある。
ならば、今、気になっていることは、今始めないともったいない。
それが、もし「自分がここで死ぬんだ」というほどのものでなければ、途中で辞めるのもいい。
ただし、挑戦した後にだ。

勉強やスポーツに励み、自分の将来の選択肢を狭めずに、それを成した。
自らの可能性を広げ、様々なことに挑戦し、成功を掴んでなお、死に場所を求めるほど貪欲だった。

多数の出演作、CM、トーク番組などの仕事において、やることの意味を自問自答したことが少なからずあったのだろう。
短い人間の一生のなかで、重要なのは結果でも数でもなく、濃度である。
自分の人生を濃いものにできるのは、時に「NO」と言える勇気がある自分だけなのだ。

高倉健の人気を不動のものにしたのは、70年安保の時代。
大好きな酒を断じ、アクション俳優としての地位を確個たるものとするため、体を鍛え上げた。
姿勢が良く、余計なことを喋らない寡黙な佇まいは、言いようもない迫力があった。
役どころも、理不尽な状況に耐え抜き、自らの悲願を達成する、侍のようなキャラクターが多く、混乱と反乱の時代、男性ファンの心を鷲掴みにした。

人は、忍耐強く、信念の強い人間に憧れる。また、そういった人物を尊敬する。
しかし、現代では、我慢をすることを忘れ、言い訳ばかりが登場する。

こういう時代なのだから、忍耐強い人間が際立つ。また、叩いてでも鍛えようと思ってもらえるなら、本望ではないか。

しかし、それでは心の豊かさは得られない。
拍手をする側、褒める余裕を持っ。こうすることで、もっと、豊かな心が得られる。

他人のせいでも、自分が勝手に誤解していただけだとしても、誰かに裏切られたとき、人はそれを認めたくない気持ちや、絶望感でいっぱいになる。
しかし、そういうときこそ、忍耐が試される。裏切りのショックを乗り越えた時、人は本当の輝きを手に入れるのだろう。

世の中には数多くの面白いものがあるが、人間そのものの面白さには敵わない。

どれほどの人が、自分に対して確固たる自信を持って、自分というものを確立し、崩さずに生きていけるだろうか。
八方美人の生き方は楽かもしれないが、己を貫いて生きる人生にこそ価値や深みがあるのではないか。

1位

日本アカデミー賞(1981年・最優秀脚本賞)
北海道を舞台に、誤って人を殺して警察に追われる男と、牧場を経営する母子の出会いと別れを描いた人情ドラマ。

2位

原作の『網走番外地』(プレス東京刊)を、「関東テキヤ一家」の村尾昭が脚色し、「必殺 博奕打ち」の佐伯清が監督した“新番外地シリーズ”第三作。

3位

“昭和残侠伝シリーズ”第九作。任侠一筋に生き抜かんが為に義理に縛られ、無益な争いに捲きこまれる男たち、そして情に涙する女たちのそれぞれの生き様を描く。

加藤秀男の原作を新藤兼人が脚色し関川秀雄が監督した。主演の三国連太郎はこの作品でブルーリボン賞主演男優賞を受賞。

5位

日本アカデミー賞(1978年・3部門)
刑務所帰りの中年男が、偶然出会った若い男女とともに妻の元へ向かうまでを描いた山田洋次監督によるロードムービー。過去を持つ主人公の物語と若いカップルのラブストーリーが北海道の四季とともにつづられ、1977年に公開されるや大ヒットを記録し、その年の映画賞を独占した。

「日本侠客伝 白刃の盃」の鈴木則文と、「男の勝負」の鳥居元宏が共同でシナリオを執筆し「日本侠客伝 白刃の盃」のマキノ雅弘が監督した侠客もので“昭和残侠伝”シリーズ第四作目。

7位

明治34年末、日露戦争を目前にして陸軍は寒冷地教育の不足を痛感していた。ロシア軍と戦うためには雪中行軍をして、雪とは何か、寒さとは何かを知らねばならなかった。

アドベンチャー(冒険)、生き残りを賭けた極限のサバイバル、雪山で遭難する、冬に見たくなる

日本アカデミー賞(1982年・2部門)
オリンピックの射撃選手でもある刑事と3人の女性の宿命的出会いと別れを3部構成で描いた人間ドラマ。1967年。

9位

伊藤一の原作を、「網走番外地(1965)」の石井輝男が脚色、石井輝男が監督した、網走番外地の続篇。撮影もコンビの山沢義一。

殺した相手の娘を気にかけ、伯父と偽り文通を続ける一方、堅気になれずヤクザの世界で破滅していく男の姿を描いたドラマ。関東の東竜会幹部、加納秀次は、会長を裏切り、関西の暴力団に寝返った松岡を殺害する。

11位
べらんめえ芸者と大阪娘
12位
緋牡丹博徒
13位
昭和残侠伝 死んで貰います
14位
侠骨一代
15位
ブラック・レイン
16位
新幹線大爆破
17位
昭和残侠伝
18位
昭和残侠伝 唐獅子牡丹
19位
鉄道員(ぽっぽや)
日本アカデミー賞(2000年・3部門)
20位
夜叉
21位
ジャコ萬と鉄
22位
網走番外地 望郷篇
23位
侠客列伝
24位
昭和残侠伝 唐獅子仁義
25位
あなたへ
26位
網走番外地 大雪原の対決
27位
昭和残侠伝 一匹狼
28位
昭和残侠伝 吼えろ唐獅子
29位
あ・うん
30位
日本侠客伝 花と龍

高倉健の不器用でやさしい10の名言


「人に裏切られたことなどない。自分が誤解していただけだ」
相手が心変わりをしたのではなくて、自分が相手を間違えて認識していた。いつだって悪いのは自分だと思えれば、世界はもっと明るくなる。敵なんてどこにもいない。


「拍手されるより拍手する方が、ずっと心が豊かになる」
僕らはいつも拍手されるためにがんばっているけど、自分が褒めてもらうより誰かの笑顔を見るほうが心は潤う。プレゼントはもらうより贈る方が幸せだ。


「人間にとっていちばん寂しいのは、何を見ても、何を食べても、何の感動もしないこと」
僕らが生きる証は、笑って、泣いて、心が揺さぶられること。それがなかったら生きてる意味なんかない。毎日見る景色や食べるもの、目の前にいる人を大切にしたい。


「人生ってそれ(出会い)だけだって気がします。泣いたり、笑ったり、憤ったり、感動したり……」
自分勝手に生きている僕だって、みんなのおかげでここにいる。僕が今日笑っていられるのは、僕の人生に足を踏み入れてくれたみんなのおかげ。それくらいわかりたい。


「すべて、私の不徳のいたすところです」

「ぜんぶ僕のせいです」これが言える男がいちばん強い。


「人生っていうのは、人と人の出会い。一生の間にどんな人と出会えるかで、人生は決まるんじゃないですか」
あの人に憧れたから今の僕がある。あの人に育ててもらえたから、あの先生に出会えたから、あいつらと悪いことをしたから、あの人と恋に落ちたから、今の僕は誰かに必要とされている。


「俳優になろうと思ったのはお金がほしかったからです。恋をした人がいて、その人と暮らすためにお金が必要でした」
誰かと恋をして、その人と暮らすために、僕らは生まれてきた。


「何をやったかではなく、何のためにそれをやったかである。今それが大切に思えてきている」
成功をおさめても、人生のむなしさに身もだえして哀しい晩年をおくる人たちが多いのは、これを理解していないからだという。何のためにがんばっているのかが身に沁みていれば、どんな労苦も気にならない。


「一日も早く、あなたにとって大切な人のところへ帰ってあげてください」
一生懸命生きてるつもりでも、愛する人のためにがんばっているつもりでも、僕らは人生に迷って、道をあやまることがある。何をするにしても、大切な人のそばにいよう。それが一番大事なことだ。


「いい風に吹かれたいですよ。きつい風ばかりに吹かれていると、人に優しくなれないんです。待っていてもいい風は吹いてきません。旅をしないと……」
人を傷つけるのは、いつも傷つけられた人だ。弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く。きつい風が吹いたら逃げればいい。逃げられないなら旅に出よう。そこを動かないのは自分自身だから。

生き急ぐすべての日本人に贈る、高倉健の不器用でやさしい10の名言 | 茅ヶ崎に風が吹いてる。
健さんの言葉に触れると、僕らは豊かさをはきちがえているんじゃないか、と反省する。一期一会と礼儀を何よりも大切にした男は、生き急ぐ現代の日本人にやさしい警鐘を鳴らしてくれる。効率とライフハックに毒された僕らに響く、不器用でやさしい名言を集めてみた。


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