神武以来の天才 加藤一二三
加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年1月1日 – )は、将棋棋士。
通算対局数、通算敗戦数は歴代1位(更新中)であり、1950年代、1960年代、1970年代、1980年代、1990年代、2000年代の各年代で順位戦最高峰A級に在籍したことがある唯一の棋士である。史上最年少(14歳)でプロ棋士になった記録は半世紀以上過ぎた今もなお破られていない。
18歳でA級八段となるという偉業を成し遂げ、「神武以来の天才」と呼ばれた。
常に最善手を探すタイプのため、序盤からたびたび長考する。
1968年の十段戦第4局で、一手に7時間も考えたことである(休憩時間も含む)。
長考するため終盤では持ち時間がなくなり、秒読みに追い込まれることが多い。しかし、そこからがまた強く、「秒読みの神様」あるいは「1分将棋の神様」の異名を持つ。
加藤一二三のネクタイ
ネクタイを畳に着きそうなくらい長く結ぶ。
対局時の出前は、鰻重を毎回数年単位の長期にわたって、昼夜連続で取り続ける。
箱根の旅館での対局時に人工の滝の音が耳障りであったため、滝を止めさせた。
1986年にローマ法王ヨハネ・パウロ2世から聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章。
有事の際には馬に乗って駆けつけなければならない、と、将棋観戦記者である東公平に語ったのは、湾岸戦争の話をしていた時であった。
上から盤を眺める加藤一二三。
2007年10月14日放送のNHK杯戦(羽生善治対中川大輔)で解説役を務めた際、最終盤で中川の玉のトン死(急転直下で羽生の勝ち)の筋に気づき、「あれー?!あれ、あれ、あれ、待てよ、あれ、あれ、おかしいですねぇ?あれ、もしかしてトン死?えと、こういって、あれれおかしいですよ。あれー、あれ、あ、歩が三歩あるから、あれ、トン死なのかな?えー。これとん死?トン死なんじゃないですかねー?(中略)大逆転ですね。たぶん。これは詰んでますよ。ですねきっと。ヒャァー。」という驚嘆の声を連発した。
部屋の引き出しに入った数十個の電気カミソリが、10日ほどで使えなくなるので買い換えていた、充電や電池交換を知らなかったらしい。
感想戦で二歩
詰め将棋のヒントを求められ 「まず王手をします」
無人島に持って行きたいもの「羽生さん」
対局中の賛美歌ハミング
テレビで対局の解説をするが、関係ない手筋にまで解説を始めて対局の研究を始めてしまう。アシスタントや番組を置いてけぼり、解説に解説が必要
敬虔なカトリックのため「一分将棋の神様」と呼ばれるのが嫌、「一分将棋の達人」と呼ぶように懇願
駒を打ったときに、右端の香車が飛び上がった
中原「加藤さんは、長考してる時は何も読んでないけど、一分になるとものすごく読んでるんだ。長考よりもむしろ秒読みのときのほうが読みが鋭い」
対局中、十数本のバナナを房からもがずに平らげた。
「みんな私が棒銀を指すのを知っていて、色々対策をしてくるんだけど、それでも3割は勝てる。
だから棒銀はそれだけ優秀な戦法なんで、3割勝てるうちは私は棒銀を指し続ける。」