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対戦成績 ジャイアント馬場vsアントニオ猪木 全16回行われた

ジャイアント馬場

今から47年前の1961年5月25日はジャイアント馬場vsアントニオ猪木の初対決が行われました。

そもそも1960年春にブラジル遠征中の力道山に現地でスカウトされたアントニオ猪木とプロ野球・読売巨人軍の投手として活躍していたジャイアント馬場。この2人は同期入門で60年9月30日同日デビュー。馬場が白星、猪木が黒星スタートとなり、馬場が先行して、猪木がこれを追いかける形となっていた。力道山はこの同期の両者をなかなか対戦させようとはせずに、鈴木幸雄(マンモス鈴木)や大木金太郎などと競わせる毎日が続いており、ようやく両者の初対決が実現したのは、デビューから8か月目の61年5月25日富山市体育館のことであった。

両者デビュー戦時道場で汗を流す両者馬場の足を逆エビに捕えようとする猪木
この時代は先輩選手の技や、今みたいに容易く前座で大技など使うなんてことはご法度の時代。若手は道場で体力作りと基礎のテクニックのみを道場で叩きこまれ、試合ではこれだけで行っていた。両者の対決はグラウンドでは互角であったが、馬場が体重の多さを活かせ猪木に押しかぶさる。しかしスタミナでは猪木が勝り、馬場はなかなか決めるまでにはいたらない。そこで馬場は長い腕を活かしたフルネルソンで猪木を絞めあげる。耐えに耐えた猪木であったが、がっちりと組んだ馬場の両こぶしが猪木の後頭部に食い込み、猪木は堪らずギブアップ。馬場が初対決を勝利で飾ったのでした。

日本プロレス「第3回ワールドリーグ戦」 富山市体育館
15分1本勝負
○馬場正平[10分00秒羽交い絞め]猪木寛至●

これを機に馬場vs猪木の対決は解禁となり、63年10月まで計16度対決していますが、その全対戦成績はこのようになっております。

1961年
5月27日 岐阜市民センター
○馬場正平[5分30秒逆エビ固め]猪木寛至●

6月10日 徳島市民会館
○馬場正平[9分50秒エビ固め]猪木寛至●

6月16日 八幡市黒崎安用体育館
○馬場正平[8分5秒エビ固め]猪木寛至●

6月20日 別府市市民温泉プール
○馬場正平[9分19秒エビ固め]猪木寛至●

6月28日 大阪府立体育館
○馬場正平[11分17秒エビ固め]猪木寛至●

1963年
4月25日 豊岡市総合グラウンド
○ジャイアント馬場[12分3秒体固め]アントニオ猪木●

7月19日 リキ・スポーツパレス
○ジャイアント馬場[17分21秒体固め]アントニオ猪木●

7月28日 静岡・三島大社境内
○ジャイアント馬場[2-1]アントニオ猪木●
(1)○馬場[12分6秒体固め] (2)○猪木[2分18秒体固め] (3)○馬場[2分48秒体固め]

8月3日 大阪府岸和田市港市場
○ジャイアント馬場[2-1]アントニオ猪木●
(1)○馬場[10分27秒体固め] (2)○猪木[5分15秒体固め] (3)○馬場[1分22秒体固め]

8月9日 東京・足立区体育館
○ジャイアント馬場[10分26秒体固め]アントニオ猪木●

8月16日 リキ・スポーツパレス
○ジャイアント馬場[2-0]アントニオ猪木●
(1)○馬場[11分45秒体固め] (2)○馬場[4分8秒体固め]

9月4日 愛知・刈谷市営球場
○ジャイアント馬場[2-1]アントニオ猪木●
(1)○馬場[12分6秒体固め] (2)○猪木[2分18秒体固め] (3)○馬場[2分48秒体固め]

9月23日 秋田・大曲市営競技場
○ジャイアント馬場[14分5秒体固め]アントニオ猪木●

9月28日 福島市県営体育館
○ジャイアント馬場[11分55秒体固め]アントニオ猪木●

10月2日 栃木・足利市月見ヶ岡体育館
○ジャイアント馬場[12分00秒体固め]アントニオ猪木●

計16戦 ジャイアント馬場の16戦16勝0敗

1961年7月から馬場はアメリカに初武者修行するまでに6度。38年3月に帰国して10月に再渡米するまでに10度対決していますが、スター街道を走っていた馬場に猪木は一度も勝利することは出来ませんでした。猪木が馬場に初めて追いついたのは、69年5月にワールドリーグ初優勝の時。両者がデビューしてから8年半の月日が経過してからのことです。



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