- 屈辱の左遷から勢力を拡大させた劉邦をどん底に突き落とした「彭城の戦い」に至るまでをダイジェスト。
- 史上初めて中国を統一した秦を滅亡させた項羽は、お気に入りの諸侯を各地の王にして、思いのままに領地の分配をおこなう。
- 項羽は多く不満を買い、各地で反乱が続発した。
- 劉邦はその隙に乗じて関中へと出撃すると、一気に関中を手に入れた。
- そうして56万人にも膨れ上がった大軍勢で、項羽の本拠地・彭城(現在の江蘇省徐州市)を目指した。
- 彭城の危機を知った項羽は
- 反乱鎮圧に奔走する項羽が留守にし、わずかな守備兵だけを残していた上に英布の援軍も無い彭城は、劉邦が率いる56万の連合軍に太刀打ちできずアッサリと陥落した。
- 彭城の陥落を知った項羽は3万の精鋭部隊を編成
- 項羽は猛スピードで彭城へと引き返してくると、油断しきっていた連合軍56万を木っ端微塵に打ち破る。
- 連合軍は散り散りになって逃走し
- 劉邦は途中に家族が住む沛に立ち寄るものの既に父・劉太公や妻・呂雉ら家族はすでに項羽軍に捕らえられていた。
- 56万の大軍を擁しながら、わずか3万に大敗するというブザマさに各国は劉邦を見切る
- 劉邦らは命からがらケイ陽(河南省鄭州市)に逃げ込む。
屈辱の左遷から勢力を拡大させた劉邦をどん底に突き落とした「彭城の戦い」に至るまでをダイジェスト。
彭城の陥落を知った項羽は3万の精鋭部隊を編成
連合軍は散り散りになって逃走し
56万の大軍を擁しながら、わずか3万に大敗するというブザマさに各国は劉邦を見切る
【 関連まとめ 】
中国史上、最も壮大でドラマチックな戦いといっても過言ではない項羽と劉邦の覇権争い(楚漢戦争)をスーパーダイジェストしました。
史上初めて中国を統一した秦の滅亡のキッカケとなり、中国史上最もドラマチックな項羽と劉邦の戦いへの橋渡しとなった「陳勝・呉広の乱」をダイジェストにしました。
連戦連勝を重ねた項羽と、連戦連敗を繰り返した劉邦のタイトルマッチ、そんなふうにも表現できる「垓下の戦い」をダイジェストにしました。