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二宮金次郎は何の本を読んでたの?『大学』説、『論語』説

歴史

二宮金次郎は何の本を読んでるのか興味を持ったので、ざっくり(ネットで)調べました。
結論から言うと『大学』説、次が『論語』説ですかね?
二宮尊徳 – Wikipedia

薪を背負いながら本を読んで歩く姿に関する記述は、1881年発行の『報徳記』で現れる。報徳記を基にした幸田露伴著の『二宮尊徳翁』(1891年)の挿絵で、はじめて薪を背負って歩く姿の挿絵が使われた。

二宮金次郎像の真実

 国際日本文化研究センター助教授の井上章一氏は以下のように述べている。

台北の絵本に孔子の人生を描いたものがありますが、それによると孔子は小さい頃、背中に柴を背負って本を読んでいるというのです。つまり、いつの間にか孔子の人生が二宮金次郎になっているのです。しかし実をいうと、私は二宮金次郎のルーツはイギリスにあると思います。ジョン・バニャンの「The Pilgrim’s Progress(天路歴程)」という宗教書があるのですが、その本の第1項目に出てくる少年のイラストは、背中に大きな荷物を背負って本を読んでいます。これが明治19年に日本語に翻訳されました。イラストもそのままです。評判がよかったのか、後に再版されます。そこでは男が和服になっていました。2年後、幸田露伴が「二宮尊徳王」という絵本に初めて柴を背負って本を読む二宮金次郎が出てきます。」(http://www.kvbc.jp/46/

元テキストはリンク切れなので孫引用。
なぜ二宮金次郎の銅像は小学校にあるの?

<教育現場>
教育の場では、1900(明治33)年の検定教科書「修身教典」に尊徳が登場し、1904(明治37)年から使用された最初の国定教科書「尋常小学修身書」では孝行・勤勉・学問・自営という4つの徳目を代表する人物として描かれ、また唱歌では1902(明治35)年の幼年唱歌に現れ、1911(明治44)年の尋常小学唱歌には「柴刈り縄ない草鞋をつくり、親の手を助け弟を世話し、兄弟仲良く孝行つくす、手本は二宮金次郎」と歌われたそうです。
尚、「報徳記」を読んだ作家幸田露伴(生没1867-1947)が1891(明治24)年に少年少女向けの「少年文学」の中で表した伝記「二宮尊徳翁」で薪を担いで読書する金次郎像を提示し、その後の教科書にも影響を与えたようですが、そのイメージの原型は世界中で翻訳され日本でも度々翻訳されたジョン・バニヤンの宗教書「天路歴程」の1886(明治19)年翻訳版の挿絵に登場する背中に大きな荷物を背負って本を読んでいるクリスチャンの少年に求められるとする説もあるようで、本来は荷物=原罪、本=聖書って感じのようです。

これもリンク切れ。
二宮尊徳のレポート

なお、読んでいる本は、「大学」で、素読の練習をしているものを表したと推測されます。

二宮金次郎 物語

なお、金次郎の持つ書「大学」には、次の文が書かれています。「一家仁 一國興仁 一家讓 一國興讓 一人貪戻 一國作亂 其機如此(一家仁なれば一国仁に興り、一家譲なれば一国譲に興り、一人貪戻なれば一国乱を作す。その機かくのごとし。)」

↑これは少し作りすぎ(画像あり)。

そんなことより!
人力検索はてな」ですごい質問と回答を見つけたよ。
【二宮尊徳の名言?】  以前ネットで、二宮尊徳(いわゆる二宮.. – 人力検索はてな

二宮尊徳の名言?】
以前ネットで、二宮尊徳(いわゆる二宮金次郎)の言葉に、
道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である
というのがある、と読み、いたく感銘を受けた……のですが。

よくよく考えると、どうも江戸時代にしては近代的すぎる言葉のような気がします。

ググってみると、「犯罪→罪悪・罪」「寝言→戯れ言」など、いくつかのバージョンがあるらしく、段々疑わしく思えてきました

事実であれば、原典は二宮金次郎のこれこれの書簡にあり、元の言葉遣いはこうである……といったことをご教示ください。
事実でないようなら、「この伝記に載っている」といったようなことを教えていただければと思います。
(「このサイトに引用されてる」という例はすでにたくさん見ましたので不要ですが、「これがネット上の初出である」という情報であればありがたく思います)

よろしくお願いします

「経済」という語は明治年に福沢諭吉が「political economy」の翻訳語として使った(作った)というのが定説。経世済民という言葉は古いけど、二宮尊徳翁が「経済」という言葉を使っていたかどうか、という話。
とても面白いので、回答はリンク先を見てね!

(追記)
ということで、「近代デジタルライブラリー」で幸田露伴二宮尊徳翁』を読む。

…一寸の日影も惜み身を使ひ心を使ひ母の為弟のためと先生は日毎に励み且は又、人と生れて聖賢の道も知らずに過ぎなむは口惜しきことの限りなりと、僅に得たる大学の書を懐中に常離さず、薪伐る山路の往返歩みながらに読まれける心掛こそ尊けれ

二宮金次郎が持っていた本は『大学』だけのようです(伝聞情報)。



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