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Fateシリーズの(エミヤを除く)日本人アーチャーってノッブ、俵藤太、あとアチャフェルノぐらい…

Fateシリーズの(エミヤを除く)日本人アーチャーってノッブ、俵藤太、あとアチャフェルノぐらいですけど、日本人の中で弓にまつわる偉業は「那須与一」ぐらいしか思い浮かばないのですが、
日本人限定で弓にまつわる偉人って他に誰が思い浮かびますか。
ただ教科書などには載るほどの人物で、弓が卓越しているという人物でもいいです。
(坂本龍馬もライダーで現界していますがセイバーの適正もあるようですし、
コロンブスも略奪者としての一面はあるが、冒険家という側面に隠れてしまっているというような要素でもOKです)

  1. 匿名 より:

    古くは武士のことを「弓矢の家の者」とも称していましたし、騎乗の弓術「流鏑馬・笠懸・犬追物」の「騎射三物」などで腕を磨いており、弓の名手と伝承されている武将は数多いです。
    パルティアンショットにも長けていたといわれ、元寇の際には元の指揮官も「ここまで弓矢に優れているとは。」とも評していたそうです。
    ただ、時代が下るほど武将でも統治者クラスは戦場で腕勝負の戦闘に励んでいたわけではないので教科書に載るほどの人物は少ないですね。

    ・源為朝:源頼朝・義経の叔父にあたる人物。船を一射で沈めると言われたほどのパワータイプのアーチャー。

    ・板額:「巴板額」と巴御前に並び称される(と、いうか史料的記録の乏しい巴御前の後世における伝承の下敷きになったともいわれている。)平安末期の女性武将。越後平氏である城氏の娘。『吾妻鏡』にも「女ながら弓は百発百中で、父や兄を凌ぐほど」と記されており、城氏が鎌倉府勢に攻め込まれた際にその百発百中と言われた弓の腕で奮戦するが腕を射抜かれ、城氏は敗れ捕虜となる。敗軍の将として処遇をはかられる際に甲斐源氏の一族である浅利義遠が時の将軍である源頼家に「この女との間に武芸に優れた子を成して鎌倉のために役立てたい。」と申し出て許され、彼の妻となる。

    ・結城朝村:鎌倉府の武将。結城朝光の子。幕府大上洛の際、摂家将軍である鎌倉四代将軍の藤原頼経が兄の二条良実邸を訊ねたおり、頼経の弟が飼っていた鳩が籠から庭内の木々に逃げ込んでしまった。頼経はこれを生け捕らえることを弓の名手として名を馳せていた朝村に命じたところ、朝村は弓と引目(鏃のない矢)を取って木の下に歩み寄り、密に茂っている枝の向こうに鳩がとまっている様を見て、小刀で引目の頭部分に切れ目を入れてから機を見て矢を射ると、鳩は引目の切れ目の間に捕らえられて枝から落ち、籠に戻すと元気に鳴き始めた。この妙技を見てその場にいたものは喝采し、朝村は二条良実に気に入られ後に傍に仕えることになった。

    ・土岐頼遠:南北朝期の婆娑羅大名。名高い猛将ではあったが、弓の名手というより弓に関する暴戻な逸話の持ち主。酒席の帰りに光厳上皇の牛車に行きあったにもかかわらず、道を譲るどころか酔った勢いで、「院と言うか。犬というか。犬ならば射ておけ。」と罵って牛車に矢を射るという狼藉を働き失脚する。

    ・大島光義:戦国時代の武将。別名・大島雲八。弓で鉄砲兵を射殺するほどの腕で「百発百中ノ妙ヲアラワス」と記録に残り、また非常に長寿で織田信長→豊臣秀吉→徳川家康→秀忠と、時々の天下人に仕え続け、93歳で関ヶ原の戦いにも参戦している。

    ・今川義元
    ・徳川家康:共に「海道一の弓取り(戦上手)」という異名がある。

  2. 匿名 より:

    丁寧かつ詳細を答えていただきありがとうございます。こうしてみると弓に関連する日本の偉人が多いことに驚きました。
    ありがとうございました。

  3. 匿名 より:

    ・卜部季武
    頼光四天王。FGOだと頼光の宝具の弓矢部分担当
    坂上田村麿の遺品の弓を御神体に将軍宮松尾丸社を創設したと伝えられる

    ・源為朝
    平安末期の武士
    大人四人がかりで弓を曲げて、一人が弦を張る五人張りの強弓の使い手だったという

    ・板額御前
    巴御前と並んで女傑の代名詞
    百発百中の弓の名手だったという



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