島津義弘VS織田信長 どちらが用兵上手ですか?
寡兵でもって釣り野伏せ戦術を行い
敵の大将首を挙げる島津義弘(家久も一緒)と・・・
寡兵では電光石火の奇襲戦術に
大量の鉄砲戦術(三段撃ちに鉄砲兵埋伏戦術)も
見せる織田信長。
どちらが用兵上手でしょうか?
また川中島、耳川、姉川のような川を挟んだ
野戦を両軍、2万ほどで対峙し決戦した場合は
どちらが戦場の勝者となるでしょうか?
島津義弘VS織田信長 どちらが用兵上手ですか?
寡兵でもって釣り野伏せ戦術を行い
敵の大将首を挙げる島津義弘(家久も一緒)と・・・
寡兵では電光石火の奇襲戦術に
大量の鉄砲戦術(三段撃ちに鉄砲兵埋伏戦術)も
見せる織田信長。
どちらが用兵上手でしょうか?
また川中島、耳川、姉川のような川を挟んだ
野戦を両軍、2万ほどで対峙し決戦した場合は
どちらが戦場の勝者となるでしょうか?
鬼島津の強さは攻撃力。
戦闘力ならば、島津でしょう。島津義弘の戦闘力は戦国最強です。
経済力、長期戦、城攻め、駆け引き、政治力、謀略ならいくさ上手は、織田信長でしょうか。
織田信長は実はモノマネ上手な知将なのです。
日本史上、最初に鉄砲を合戦に使用した人物は島津貴久の筆頭家老の伊集院忠朗です。
伊集院忠朗は釣りの伏せを考案しました。
実は三列縦隊の連射(うちがけ)は、伊集院忠朗が最初に合戦でしています。
1543年、日本の種子島に火縄銃2挺が漂着。
種子島時尭という武将が伊集院忠朗に火縄銃1挺を献上する。
伊集院忠朗は2挺のうち、1挺を伊集院城に持ち帰る。伊集院城城主は島津貴久。
島津貴久は関ヶ原で敵中突破した鬼島津、九州の覇王の島津義久ら島津四兄弟の父親です。
伊集院忠朗は火縄銃に衝撃を受け、感銘し、島津貴久に、「鉄砲合戦がいくさの勝敗を決定する」と強く進言するも、島津貴久はもたついて数年が経過する。
伊集院忠朗は火縄銃を改良。
1549年、加治木城攻め、黒川崎の戦いで、日本で初めて鉄砲を合戦に使用した。
この時、わずかに火縄銃は20丁。
織田信長は伊集院忠朗の三列縦隊連射撃を手本にして、加治木城攻め、黒川崎の戦いから26年後の1575年、長篠の戦いで、鉄砲を3000丁を使用した。
この長篠の戦いが教科書に「鉄砲を大量に使用し、天下統一の基盤を築いた織田信長の戦い」と載るようになり、あたかも織田信長が日本最初に使用した錯覚を植え付けている。
織田信長が鉄砲を3000丁も使用出来たのは、経済力であり、合戦力ではありません。
伊集院忠朗は先見の目があった先駆者であり、頭の優れた知将だった。
しかし、島津貴久が織田信長の様に機敏に行動に移さなかった❗
織田信長はそれを直ちに大量に導入した決断力、行動力が卓越したモノマネ上手な知将。
島津貴久が伊集院忠朗の歴史的に重要である進言をいち早く聞き入れ、早期に導入、鉄砲を独占せていれば、歴史は大きく変わっていたかも、知れない!
単純な合戦力、戦闘力、攻撃力、突破力なら島津が勝つでしょう。
回答の追記、補足。
来年の大河ドラマは西郷隆盛の「西郷どん」。
西郷隆盛は徳川幕府を倒し、武士の時代を終らせ、日本を革新した日本最後の武士。
トム・クルーズや渡辺謙主演の映画「ラストサムライ」は、西郷隆盛がモデル。
この西郷隆盛の美しい美人妻は、伊集院須賀夫人。
又、伊集院五郎元帥が伊集院信管を発明し、日露戦争でロシアに日本が勝利した。
日本最初にフランシスコ・ザビエルによりキリスト教が行われた場所が伊集院城。
JR伊集院駅前には鬼島津の銅像が聳え建っている。
鉄砲、日本の革新、発明に何故か?伊集院が絡んでいる。面白い歴史がある(笑),>秀吉も大軍で相手を飲み込む戦いをしますよね。
秀吉と信長の戦術は違うと思っています。
信長は多々、決戦を仕掛けるというか
事実、そんな戦い方になっています。
ただ秀吉は圧倒的な戦力をもって
相手との決戦を避け続け
相手を困らせており、その差は大きいと思います。,耳川などで2万とされ
これは違うのでしょうか?
あくまで義久が率いた?的な感じでしょうかね?
>用兵なら、まあ比べようがないですが、
>川中島は別として、耳川や姉川は拓けた
>所にあります。釣り野伏せは拓けた所では使えません。
でも耳川で使いましたよね?
それは???あと耳川の周囲は
森林地帯ですし小山ばっかで
開けてはいないと思うのですが・・・
どうでしょうか?
戦史でも伏兵戦術で破れたと書かれていますし。
どうでしょうか?
そもそも織田信長はイメージより戦は弱く、戦勝率約7割です。(約全勝の武田信玄や上杉謙信、伊達政宗には到底及ばない)そんな織田信長と鬼島津の島津義弘がまともに戦っても織田信長は勝てないと思います。
>寡兵でもって釣り野伏せ戦術を行い
全軍が寡兵である必要性はありません。
小勢しか指揮したことがない島津と
数万の軍勢を動かす信長ではそもそもの立地位置が違います。
義弘と謙信はともに寡兵で戦ったことで
現地部隊長的な能力は高かったでしょうね。
しかし、軍勢に圧倒的な差があれば
最終的には寡兵では勝つことが出来ません。
秀吉も大軍で相手を飲み込む戦いをしますよね。
そもそも義弘は8000人以上は率いたことがないので、そこで信長が一歩リードといえるでしょう。
やはり如何に良い策を見出してもそれを伝達し、実行する術が必用です。
それは家臣です。
信長は柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、明智光秀、羽柴秀吉この他にも強くて経験のある武将がいますが、義弘サイドには一部的には強いものの、経験が浅かったかりそもそも人数的に少ないです。
なので信長が正面衝突なら勝つでしょう。
用兵なら、まあ比べようがないですが、川中島は別として、耳川や姉川は拓けた所にあります。釣り野伏せは拓けた所では使えません。まあ正確には使えなくないが、見破られやすいでしょう。
そう考えると信長有利ですが、夜襲、奇襲で義弘が勝るので信玄のように本隊と奇襲隊に分け、挟み撃ちにすれば義弘にも勝ちはあります。
その地形なら信長有利ですが、義弘も奇襲・用兵を駆使すれば勝つ可能性もあります。