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楽天イーグルスの感動エピソード

野球

東北楽天イーグルスに所属する選手やコーチの感動するエピソードを集めてみました。

柿澤貴裕#51

2012年の第84回選抜高等学校野球大会では、前年発生の東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻工業高等学校と1回戦で対戦した。チームは勝利したものの、柿澤は震災にも負けずにプレーする同校の選手に感動。石巻工と同じ宮城県に本拠を置く楽天へ入団してからは、初任給50万円を全額同校に寄付した。

藤田一也#6

美馬学#31

青山浩二#41&ダレル・ラズナー#17

田中将大#18&ダレル・ラズナー#17

この時期の助っ人の帰国はマイナスイメージを伴うものが多いが、ラズナーの場合はちょっと違う。8日にはKスタ宮城の監督室を訪れ、星野監督に報告。「こんなエキサイティングなシーズンに力になれなくて申し訳ない」と頭を下げたという。大和魂を持った助っ人はナイン一人ひとりにも声を掛けてから渡米。これには闘将も「ナイスガイや。俺は涙が出そうになった」と言って遠くを見つめた。

言葉を失ったのはリリーフ陣も同じだ。「なんとか一緒に胴上げとか、ビールかけをしたかったのに…」

8日のことだった。右肘検査のための米国への帰国を控え、Kスタ宮城にあいさつに訪れたラズナーに声を掛けた。「優勝する時に戻ってこられるのなら、戻ってきてください」。09年からともにチームを支えてきた同僚。手術に踏み切れば、全治は1年以上になる可能性もある。田中が正直な思いを伝えると、ラズナーは目を潤ませて喜んだという。

ラズナー!!ファンもチームメイトもあなたが帰ってくるのを心待ちにしてますよ!!

嶋基宏#37&青山浩二#41

不調だった楽天の青山が9セーブ目を挙げた。過去3試合連続で失点し、前日はラズナーに抑えの役目を奪われていた。この日は小山伸が登板予定だったが、嶋が「抑えができるのは青山さんだけと思っている。ここで抑えないと駄目になってしまう」と首脳陣に登板を推薦した。

それを聞いた青山は「ブルペンで泣きそうだった。意気に感じた」と女房役に感謝し、
9回を三者凡退に抑えてチームを2連勝に導いた。

元楽天 山崎武司#7

2011年4月30日
Goingの企画で応援しに来た被災地の中学生を試合前に激励し今日の試合でのホームランを約束。
その試合第一打席で約束通りの今季1号ホームラン。

2011年9月11日
球場外イベントで気仙沼さんま祭りを開催。恒例イベントという事で被災地気仙沼から今年も駆けつけてくれてさんまを振る舞ってくれた。
イベント後はボランティアの方を外野席に招待。試合は終盤までダルビッシュ登板で絶望ムードだったが交代した増井を山崎武司がホームランを打ち逆転。
打球はそのさんま祭りのボランティアの招待席に吸い込まれ、楽天の逆転勝ちで幕を閉じた。

アンドリュー・ジョーンズ#25

8月28日のオリックス戦(京セラドーム)から20試合連続出塁中で、9月の出塁率は驚異の・507。シーズン終盤で離脱した「弟」の分まで全力を尽くす。沖縄・久米島キャンプ2日目の2月2日。「ハッピバースデー、オ~レ~!」。23歳の誕生日だった島内がナインの前で歌わされた。周囲は爆笑。ジョーンズはハートの強さに共感し「俺のことを兄弟だと思ってくれ」と手を差し出した。打撃やトレーニングでは助言を送り、2人だけのグータッチも行っていた。その弟分が今月中旬に左肩関節唇を損傷し、全治6~8週間でポストシーズンの出場は微妙。「キャンプから多くの時間を過ごしてきた大切な仲間」と島内の思いも背負って打席に立つ。

ケーシー・マギー#3

長男のマッケイルが先天性の脳障害を患っており、全米脳障害連合のメンバーとして活動している。マッケイルが全米脳障害連合を代表して始球式を務めた2009年7月29日の対ワシントン・ナショナルズ戦では代打2点本塁打を放った。同年9月には球団の協力を得て試合チケットの売り上げを寄付金とするイベントも行った。

1月末の来日後は家族と離ればなれになった。心が揺れた日もあった。キャンプ中の三木谷オーナーとの懇親会。宴もたけなわとなり、鈴木内野守備走塁コーチがマイクを握った。
「悲しい時、うれしい時、人は涙を流すのでしょう」。同コーチの知人で、進行性筋ジストロフィーを抱える男性がつくった歌だった。マギーは泣いた。翌日がマケイル君の誕生日だった。

マギー あの歌を聞いて、楽天に来て正解だと思った。マック(マケイル)の将来を思うと、感情的になる時もあるよ。でも、僕は障害のある子の父親として、強くなきゃいけない。

明るい振る舞いで、ムードメーカーにもなっている。「マックは階段を上るのも時間がかかるけど、決して文句は言わない。いつか日本に、なじんでくれると信じている」と力強く言った。
頼れるポイントゲッターとして、格好良いパパとして、マギーのシーズンが始まった。

メジャー通算434本塁打で昨季ヤンキースでも同僚だったジョーンズはオランダ代表でWBCに参加。
新外国人打者にとって大事な調整期間でもある2月下旬から3月下旬までチームを離れていた。
そこでマギーはジョーンズのためにオープン戦でパ・リーグの投手と対戦した際、打席で感じたことなどを書き込んだノートを作成した。
開幕前にソフトバンクとの対戦がなかったため、今回の3連戦では活用できなかったが、異国の地でともに戦うジョーンズを少しでもサポートしたいという気持ちは強い。

大久保博元#95

仙台市内に住む千葉瑠依ちゃん(小5)は、23日に家族と訪れた飲食店で楽天・大久保博元2軍監督(46)と遭遇し、試合に招待された。
「(試合を)初めて生で見た。迫力があり格好良くて興奮した。夏休み最後のいい思い出になった」と、サインで埋まった帽子を深々とかぶった。

出典http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130824-00000197-sph-base

元楽天 渡辺直人#2

<直人の送別会での出来事>

直人のトレードが決まり、すぐに高須洋介選手が「送別コンペやろう!」と言い出しました。直人はゴルフが大好きで、いつもシーズンオフになると選手達とラウンドをしていました。そこで、「みんなで一緒にゴルフをして、横浜へ送り出そう!」となり、ゴルフ好きの選手が集まりコンペをしました。コンペ当日は、なぜか大雨でした。普段なら選手間で連絡を取り合い「雨だから止めよう」となりますが、この日は参加の選手は雨の降る中ゴルフ場に集合しました。

みんな思いは一緒でした。

「今日が直人さんとラウンド出来る最後でしょ?直人さんの判断で決めましょう!」

続き
高須さんも、「そうだな!直人に聞くぞ」と全員を集め、直人に「今日はみんなおまえの判断に従うよ!」これを聞いた直人は驚いた顔で「いいんですか?最後なんで宜しくお願いします!」と笑顔で答えました。

本来、ゴルフ場も大雨でクローズで休みにしようとしていた所、支配人が「直人さんの為ならどうぞ!」と気持ちよく了承してくれました。

大雨の中で集まった選手、プレーをさせてくれたゴルフ場の皆さん、全て直人の人柄によるものです。最高に楽しかったですし、あのような大雨でゴルフをやる事はなかなか無いでしょう(笑)。

楽天で広報を担当していた、岩越亮氏(現・ソスニック・コブ・スポーツ・ジャパン代表取締役)が話してくれました。

2010年のトレードが決まり、地元のテレビ局に出演し、生放送が終わるとテレビ局から出てくる直人を待つファンが約300人いたそうです。当時のテレビ局の関係者は「あんな光景は見た事がない!」と驚いていたそうです。

そんな、多く集まったファンの為にサインを一人ずつ丁寧に書く姿は、ファンを誰よりも大切にしていた直人ならではです。沢山のプレゼントや花束をもらい、局から帰りの車に乗り込んで走り出そうとした時に、集まった多くのファンが涙を流しながら渡辺直人の応援歌の大合唱が始まったのです。

仙台では伝説になっている出来事です。

2010年オフに選手会副会長に就任し、プロ4年目でチームの精神的支えとなっていた選手の放出はチーム内に大きな波紋を呼び、渡辺の涙のトレード会見の翌10日に契約更改に臨んだ鉄平(渡辺と合同自主トレをしてきた)、草野大輔(渡辺と社会人野球時代からの知己)、嶋基宏(渡辺と同期入団)が各々の記者会見の席上で、自らの話題よりも渡辺のトレードの件にふれて言葉をつまらせ、涙を流した。

11日には、山崎武司が「出すべき選手ではなかった」と渡辺のトレードに疑問を投げかけ、前述の契約更改の様子を聞いたコーチの田淵幸一も「渡辺だけは出すべきじゃなかった」とコメントしたと報じられた。同日夕方、仙台放送『スポルたん!LIVE』に渡辺が急遽出演し、渡辺の特集が組まれた。鉄平、嶋、そして意図せずして今回のトレードの関連人物の1人となってしまった岩隈がスタジオに急遽駆けつけ、花束を渡した。

元楽天 リック・ショート#55

2006年10月1日、シーズン最終戦(フルキャストスタジアム宮城)9回裏2アウトで代打として登場。あと1人塁に出れば、今季での引退が決まっていた飯田哲也に回るという場面だった。リックは打席へ向かう前に「イイダサン、ガンバルカラ(飯田さん、頑張るから)」と声を掛けた。その時飯田は彼の一言に涙を堪える事ができず、ネクストバッターズサークルでずっと泣いていた。結果リックはセカンドゴロに終わるが、飯田は「もしこの時自分に打席が回ってきても、おそらく涙で打てなかった」と、後の引退会見の場で発言している。

長谷部康平#20

天国の母にささげる7球だった。楽天長谷部康平投手(27)が7-4の8回1死走者なしで、4番手として登板。打者2人を完璧に抑えた。ベンチに帰ると号泣した。22日に母泰子(やすこ)さん(享年53)を亡くした。この日、故郷の岐阜では告別式が行われたが、前日23日に通夜に参列し、首位攻防第2ラウンドのロッテ戦に駆けつけた。気持ちのこもった投球でつなぎ、チームは2連勝。今日25日にも、球団史上初となる優勝マジックが点灯する。

好投しても、長谷部はうつむき加減にマウンドを降りた。3点リードの8回1死だった。代打岡田を二ゴロ。鈴木からは見逃し三振を奪った。最速144キロの直球中心に、ストライク先行で封じ込めた。チームメートから声をかけられ、ようやく笑ったが、ベンチに座ると我慢できなかった。端の方に座り、下を向いた。涙があふれ出た。斎藤がかけより、肩を抱いてくれた。

続き
22日に母泰子さんを病気で亡くした。「母親に頑張っているというのを見せたいと、気持ちを込めて投げました。いいボールがいったと思います」。降板後は落ち着いた様子で、気丈に答えた。本来なら勝利投手がもらうウイニングボールを最後を締めた斎藤から手渡されていた。「機会があれば、仏壇に持っていきたいです」と見つめた。

訃報に接し、22日に仙台から故郷の岐阜に戻った。翌23日からは2位ロッテとの首位攻防3連戦が控えていた。当初は「ロッテは良い左打者が多い。穴をあけたくない」と、中継ぎ左腕としてチームに残ることを希望した。最後は、球団と星野監督の「行ってこい」の声に送り出され、通夜に参列。告別式には出ず、この日の朝には仙台に戻ってきた。球場入り後、試合前練習では笑顔も見せた。「昨日、一昨日と、じっくり語り合ってきました。後は兄弟に任せて。こっちも大事なので」と言った。大事な一戦で、星野監督に「頑張るだけだぞ」と言われた。期待に応え、仕事をやり抜いた。



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