信長の野望シリーズで、武田信玄の評価が高い理由は?
お世話になります。
KOEIのゲームの信長の野望ですが、
初代からプレイしているファンなのですが、
なぜか歴代の能力値総合で、いつも武田信玄が一位です。
最新の創造で織田信長に一位を譲ったようですが、
それでもポイント1しか変わらず、実質同順1位です。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1317542438
http://www17.atpages.jp/nobuyabo/data.php?sort=souwa&sort2=ID_A&order=desc&order2=asc
http://souzou2013.wiki.fc2.com/wiki/%E5%88%9D%E6%9C%9F%E8%83%BD%E5%8A%9B%E5%80%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0
これは、プロデューサーのシブサワ・コウさんの意向でしょうか?
そもそも30年前の初代バージョン(フロッピー版)は、
信長か、信玄しか選べませんでした(その後全国版が出ましたが)。
歴史人物というのは、だいたい時代によって評価が変わります。
大河ドラマで抜擢された人物が再評価されるなどザラです。
(今川義元や斎藤道三も、再評価される前は低いステータスでした)
たしかに武田信玄の政治力はすごく、実績は申し分ありません。
1.甲斐一国の小国だったのを、信濃・岐阜・駿府を切り取り、
生存中は、自国領内では一度も戦争をしなかった。(軍略家)
2.治水(信玄堤)や金山の採掘をして自国を裕福にした(内政力)
3.強力な家臣団をまとめあげ団結させた(カリスマ性)
3.甲州法度之次第、孫子の旗印など、哲学家・文筆家としても
高いレベルの教養を持っていた(思想家)
こうした実績から、武将の理想像として
徳川家康や真田昌幸などのファンを作ったのはあると思います。
やはり、伝統的な「戦国武将」としては優れたものがあります。
しかし、それを壊したのは信長、秀吉で、戦国時代を終わらせました。
こうした発想力・創造性の部分では能力値にしにくい、ということでしょうか?
また、ちょっと話がずれますが、武田信玄および武田家というのは、
現代にも通じる影響力を持っていたりするんでしょうか?
(多摩・新選組の祖先が、武田家の生き残りという説もどこかで見ました)
信長の野望シリーズに詳しい方だけでなく、
武田信玄への評価、ご私見を頂けるとありがたいです。
初代信長の野望なつかしいですね。甲斐信濃が16番で尾張が17番だったのを覚えてます。(民忠誠度・兵士忠誠度無双なゲームでもありました)
初代信長の野望(1983年)が発売された頃って、武田信玄の人気が高かったようです。
天と地と 1969年の大河ドラマ(主人公・上杉謙信のライバル)
風林火山 1969年の映画
影武者 1980年の映画(黒澤明さんが監督)
という具合に武田信玄が持ち上げられ、甲府市が観光で潤うことがあったといいます。
あと、シブサワコウさん(襟川陽一さん)が最初に出したテレビゲームが川中島の合戦(1981年10月)です。
私は母の実家が山梨県だった関係で、武田信玄は子供の頃から好きでした。ただ、史実の武田信玄は江戸幕府の創始者である徳川家康と戦う立場にあったからこそ持ち上げられている面がある感じがします。
武田信玄があと10年長生きしていれば天下を取れた的なフィクションがありますが、あと10年生きていたらば織田信長に滅ぼされて全く別な評価になっていた可能性もあったのでは?と個人的に思います。
当時は「川中島の戦い」「風林火山」など武田信玄主観のゲームが多くリリースされ「初代信長の野望」の流れから武田至上主義は始まります。
その武田信玄は甲斐の小国で屈強な家臣団を持ち、その突然の死まで信長のライバルとしての位置付けがみてとれます。
そしてゲームの終盤に片付けるであろう伊達ナントカやら島津ナンチャラとのバランスを考えた上の能力値が信玄に割り振られています。
信長の野望ですからメインの信長が一番強かったら
ゲーム的には面白くないでしょう
当面のライバルはそれなりに強くしておく必要が
あります。
現実的にも、武田信玄が存命中は勝てないというか
かなり下手に出ていましたしね。
戦略的にはともかく、信玄存命中は戦の強さでは
信玄の方が上だったんじゃないですか
甲斐の国の当時の国力は非常に低く
それゆえ他国へ常に攻め入らねば飢え乾いてしまう状態だったと言われています。
そんな不利をものともせず、戦国大名でも屈指の版図を広げた才覚は文句の付けようもありません。
数値的な話は他との比較で、かつ全盛期を基に決められていると思われるので
例えば政治の能力は他と比較してトップクラス
戦争の上手さでも上杉謙信と互角に戦えねばならず
智謀でも教養の高さを他と比較して劣るように思えず
魅力の面でも武田家の信玄公への忠節振りを見れば徳川なんか屁みたいなモンです(ぉぃ)
武田信玄の能力値を低くする要素があんまりないのですよね。
で、戦略ゲームはよりすぐれた相手に勝つことを楽しむものですし
現実の世の中も、全てにおいて優れた人に
例えば一点では負けるけれども、一点では勝る人というのも存在します。
その相克が面白いのだと考えるならば、まあラスボス的存在として信玄が立ちふさがるというのはゲームバランス的に必要じゃないですかね。
特に信長の野望は信長でやるのがまず第一になるので、例えば信玄存命中に武田家を圧倒できれば溜飲が下がりますし、史実風に信玄にはひたすら戦を挑まないという選択肢も選べるわけで、その辺は多少加味されてる強さはあるかと思います。
他の戦国ゲームでも、武田信玄は強すぎて初心者向けですし。
武田信玄が有能な戦国武将であったことは間違いないことだと思います。
その配下にも、数多くの有能な武将達がいました。
武田家滅亡時の勝頼も、後の評価は分かれますが、冷静にやったことを見るとかなり有能な武将です。信玄亡き後、衰えた今川家を侵食し、一部北条氏の領地にも攻め込んでいます。信長がいなければ、家康も圧倒できていたでしょう。
長篠の敗戦後もその姿勢は貫いていましたからね。
武田軍の本当に凄いのは、これら武将達が綺羅星のごとく存在し続けたその軍団ぶりです。
周囲を上杉謙信、北条氏康、今川義元、斎藤道三と言った当時超一流の武将達の国に挟まれ、甲斐信濃の中でも、小笠原、諏訪、村上等の有力大名達と争い続けたことで、鍛え上げられていたんでしょう。
信長が世に出た頃に既に出来上がっていたんですよ。
人材的には当時の日本一であったのでしょうね。
ただ、あまりにも場所が良くないです。
京に遠すぎます。先に示したように、周囲に強敵が居すぎます。
特に上杉謙信が厄介でしたね。戦いが強すぎた。彼を押さえるため、北条と今川と同盟してやっと対抗していた状況です。
そんな状況では、他国との謀略や戦争はともかく、大胆な内政改革とか、京に上洛するとか、信長がやったことは真似できません。
常備軍実現のための必須条件である兵農分離もできませんでしたし、堺を信長に押さえられて、鉄砲の大量購入も厳しかったです。
彼に信長と同じ境遇があれば・・・
まあ、五分五分くらいでしょうかね?
信長もタイプは異なりますが、謙信同様で超天才でしたからね。実際強かったし。
信玄は苦労や失敗をきっちり克服してきた秀才タイプですので、信長とは違うやり方だったように思います。
現代に通じる影響と言うと、質問者さんも記されている通り、軍楽的な思想等が残っています。
更に、武田家滅亡後、生き残った歴戦の武将達が殆ど家康の配下に落ち着き、後の徳川家の繁栄を下支えしたのは間違いのない事実です。
井伊隊の赤備え、徳川の敵方ですが大阪の陣での真田信繁の赤備え・・・いずれも武田軍団の主力、山形隊の赤備えの真似です。
戦場で強烈な印象を残していたんでしょうね。