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土神様あるいは方位神の一つ歳刑神と、平景清の関係について教えてください。 私の本家の北東の隅に…

土神様あるいは方位神の一つ歳刑神と、平景清の関係について教えてください。
私の本家の北東の隅に3柱の神が祀られているのですが、3体の向かって右の石碑に「?藤七兵衛??」と彫ってあります。Wikipediaで調べたところ、平安末期から鎌倉初期の武士で「伊藤七兵衛 藤原景清」という人が居て、平家側に就いたことから「平景清」、怪力で敵の鎧の一部を引きちぎった逸話から「悪七兵衛景清」と呼ばれていたと知りました。また、その武勇から能の題や歌舞伎の演目にもなっているとも知りました。さらにFGOに「歳刑神・平景清」として登場することもわかりました。
そこで質問です。平景清は実際に土地神様として祀られる信仰があるのでしょうか。また、どういう経緯で土地神になったのでしょうか。
日本史に詳しい方、民俗信仰に詳しい方、FGOに詳しい方、ご教示いただけたら幸いです。

  1. 匿名 より:

    詳細は不明ですが
    各地の旧家などの庭や敷地などに武将やその一党などを祀る祠、小宮、
    石神などがみられます。その多くがその経緯や意味などが伝わっていないような状態です。
    平景清はそのお宅のご先祖様と関係があったか、また平景清を崇拝したとか
    何か考えられないでしょうか。
    特殊な例では個人の住宅で庭に徳川家康を祀る小祠があります。
    それは先祖が家康を崇拝し個人的に祀ったそうです。
    この祠は江戸時代に地元の藩から「恐れ多い」ということで
    かなり尋問を受けたそうですが、遠い先祖が祀ってしまったということで
    お咎め無しで、それが令和の今に伝わっています。

  2. 匿名 より:

    ご回答ありがとうございます。由来が忘れられて信仰だけが残るというのも寂しいものですが、そうしたものなのでしょうね。大事に引き継いでいく事にします。ありがとうございました。



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