昔は天才、今は凡人
天才的なサッカーの才能を持ちながらも、心臓病というハンデを負ったプレーヤー・三杉淳。
その実力は小学生の時点ですでに完成され(ロベルト談)、テクニックや戦術眼などあらゆる面で翼を圧倒。
さしもの翼も三杉の実力の前に、一時は勝利を諦めかけたほどだった。
小学生編では武蔵FCのキャプテンを務める。
ポジションはMF。
準決勝で翼たち南葛と対戦。
心臓病に負担がかかるためひと試合フル出場は控えていたが、かねてより対戦を楽しみにしていた翼との試合は前後半フル出場で臨んだ。
なお三杉抜きの武蔵も一ノ瀬、真田、本間らの名選手がいるためそれなりに強い。
とは言っても常陸相手には苦戦しているので、三杉か加入するか否かでチームの総合力には格段の違いが生じる。
華麗なドリブル突破、味方への的確な指示、そして翼のお株を奪うオーバーヘッドキックなど、三杉が繰り出す技のことごとくが超ハイレベルなものであった。
オフサイドトラップという高等戦術も披露。
小学生にしてオフサイドトラップをマスターしている三杉と武蔵に、ロベルト本郷は驚愕していた。
2年間心臓病の治療に専念した中学生編
出典gamy.jp
心臓病の治療に2年間専念した三杉。
本人曰く「そのために2年を棒に振った」とのこと。
そして中学3年の夏、東京地区予選。
翼との再戦の想いを胸に全国大会出場の切符をかけ、決勝で日向ら東邦学園と激突する。
治療に専念した結果、フルタイム出場は許可されないものの、30分程度なら試合に出られるようになった。
前半で東邦相手に0-3とリードを許した武蔵は、本来なら後半から出場するはずだった三杉を早々と投入する。
中学編のナンバーワンGK若島津から30分で2点を奪う大活躍を見せるも、試合は2-3で敗れる。
なお、この三杉との対決が、日向をかつての師である吉良監督のもとに向かわせ、必殺のタイガーショットを編み出すキッカケにもなった。
コーチ兼選手として全日本に参加したジュニアユース編
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全国大会には出場できなかったものの、その実力は誰もが認めるところである。
片桐の勧めにより全日本ジュニアユースにコーチとして参加。
監督の見上に、MF松山の粘り強さとキープ力はDFにも向いているとしてDF転向を提案し、それが採用されている。
本大会には選手登録もされ、アルゼンチン戦では値千金の勝ち越しゴール、フランス戦では決死の守備とPK戦のゴールで勝利の貢献した。
決勝トーナメント進出をかけたアルゼンチン戦の終盤に出場。
ベンチに座っていながらもアルゼンチン選手のプレイの癖は把握済みで、蝶が舞い蜂が刺すかのような華麗なドリブル突破と、オーバーヘッドによる勝ち越しゴールを決めた。
翼、岬、日向に「心臓病というハンデが無ければ日本一の選手になっていた」と言わしめる。
準決勝のフランス戦にも後半途中から出場。
ピエールと一対一の互角の激突を演じる。
試合は延長にもつれ込むが、日本は交代枠すべてを使い切っていた。
許可された30分のみの出場時間を超える事になった三杉に対して、監督の見上は「構わないから辛くなったらその場で休め」と提言するも、三杉自身は最後まで死力を尽くしてプレイした。
雨の降る中、泥まみれになって日本ゴールを死守。
PK戦では4人目のキッカーとして見事ゴールを決めた。
心臓病が完治し、ポジションをDFに移したワールドユース編
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恋人の青葉弥生の献身もあってか、三杉の心臓病はついに完治。
思う存分サッカーができる体となって全日本ユースへ帰って来た。
前線や中盤にはタレントが豊富という理由から、自身はDF(リベロ)を希望。
そして翼の得意とするドライブシュートをもマスターしていた。
日向や岬らが鎬を削る高校サッカーでの三杉の動向は作中描写が無い。
中学編以上に心臓病の治療に専念していたものと思われる。
オランダユース親善試合にはメンバー入りしていないものの、勝利への戦略を提言するアドバイザーとして日本チームに協力。
なおこの時点では医大受験で忙しいという設定だった。
全日本ユースのメンバーは日向や岬、松山に若島津ら選抜された面々に加え、腕に覚えのある者の志願というシステムが設けられた。
三杉は後者としてチームに参加。
全日本復帰時にはチームメイトたちから手厚い歓迎を受けた。
ドライブシュートをも体得。
三杉曰く、中学時点の翼のドライブシュートは脅威だったが、この年齢でこのシュートを打つのは決して珍しい事ではないらしい。
なお、RJ7の弓倉もドライブシュートを扱える。
ポジションはMFからDFへ。
これ以降は三杉、石崎、早田、次藤が全日本ユースのスタメンDFとして固定された感がある。
なお松山はボランチ的なポジションに落ち着いた。
アジア予選ではサウジアラビアのマーク・オワイランに対して、「どちらが優れたリベロかはこの試合で証明して見せるぜ」とライバル心を燃やすシーンも。
なおアジア最優秀DFにはオワイランが選ばれている。
しかし作中では天才らしい活躍描写はあまりない。
むしろ松山共々相手チームのエースに抜かれる場面が目立つ。
片桐が言うにはDFは不慣れなポジションらしいが、それでも試合をこなすたびに慣れつつあるとのこと。
一応GKの若林は三杉(と松山)を「俺の前に出来た頼もしい壁」と評価している。
ワールドユース決勝のブラジル戦ではシュートブロックのシーンがあるが、その際にチームメイトたちは三杉に対して「ブロックはやめろ」「お前の心臓が・・・」と気遣っていた。
三杉本人は「優勝できるならこの試合で死んでも構わない」と気迫を見せる。
Jリーガー選手となりFC東京でプレイするROAD TO 2002
札幌ドームで行われた三杉(FC東京)と松山(コンサドーレ札幌)の試合は魅惑の黄金世代対決と呼ばれた。
三杉は松山の執拗なマークをかわし、フライングドライブシュートで見事先制ゴールをあげる。
松山の鉄砲水タックルでボールを奪われるシーンも
この時点で作中の三杉の実力は松山とほぼ互角と位置付けられる。
なお試合自体は1-1で引き分け。
FC東京でのポジションは右MF。
岬、松山とともに3Mを形成したGOLDEN-23
3MはMF岬、ボランチ松山、リベロ三杉の縦並びパターン、3人をMFにコンバートした横並びパターンの2種類。
デンマーク戦は3Mとダブルボランチの立花兄弟によって中盤を完全に支配。
しかしナイジェリアのスーパーテクニシャン・オチャドには松山共々あっさり抜かれるというWY編の再現と思しき描写も・・・
オチャド対策として3Mを中盤の三角形に配したこのフォーメーションは、しかし不発に終わる。
オールラウンダー井川、雑草男曽我といった新DFキャラが追加されたが、三杉もまたオールラウンダーであるためかスタメン落ちはしていない
G23で三杉のポジションはリベロ、右MF。
オーバーラップしてドライブシュートでゴールを狙うシーンもあるが、いずれも得点には結びつかず。
守りを固めたナイジェリア相手にゴールを狙うも、堅い守備に阻まれた模様。
3点差以上の勝利が必要なオーストラリア戦でも前半終了間際にドライブシュートを放つが、無情にもゴールバーに阻まれる。
心臓病時代に比べて明らかに三杉の凄さが低下しているのがわかるシーンである。
天才らしい活躍を再び見せ始めたライジングサン
マドリッドオリンピックのグループリーグ初戦オランダ戦の先制点は、三杉のオーバーヘッド。
この試合をテレビ観戦していたブラジルのサンターナとナトゥレーザも、このプレイに感嘆の声を上げていた。
クライフォートのオーバーヘッドを両足で空中ブロックするなど、三杉にしては珍しいアクロバティックなプレイも見せた。
アルゼンチンのディアスのドリブル突破を予測して止めるなど、要所要所で細かな活躍を見せる。
ドイツ戦では右サイドバックでプレイ。
逆サイドの早田と共に、オーバラップによるサイド攻撃の起点を担う。
記者のコメントによると、三杉はフィジカル面はやや劣るという評価のようだ。
恋人の青葉弥生との関係は?
小学校時代からマネージャーとして三杉を支えてきた弥生。
昔は三杉の事を「キャプテン」と呼んでいたが、中学のころにはすでに「淳」と親し気な呼び方に変わっている。
なお三杉も昔は「マネージャー」と呼んでいたが、今ではすっかり「弥生」である。
三杉が心臓病完治した際には弥生を抱きしめていた。
中学の頃から南葛のマネージャーの早苗と文通をしていた。
その際には三杉との仲良さげなツーショット写真も添えてラブラブぶりをアピールしている。
ちなみに弥生は、翼が南葛に転校する前の小学校のクラスメイトだった。
その後、弥生も転校し三杉と出会う。
中学編決勝の試合観戦のシーンでは、いつ知り合ったのか松山にもフレンドリーに話しかけている。
なお今では、松山の恋人の藤沢と仲良くスタンド観戦するシーンもチラホラ。
ちなみに石崎の母の事も知っている模様。
WY編で日向の母が倒れた時にはその介護に向かうなど、三杉以外であっても献身的。
三杉は心臓病は完治したものの、やはりまだ不安を抱えているらしい。
弥生を一生守ると約束できないため、プロポーズはしていない。
ちなみに翼は早苗とWY編後に結婚し、まもなく2児をもうける。
松山は藤沢美子と結婚予定。
井川は妻キャサリンと死別。