株式会社CSKの創業者、大川功の生き様
1926年5月19日 – 2001年3月16日(満74歳没)
株式会社CSKの創業者。
1998年11月 個人資産2700万USDをマサチューセッツ工科大学(MIT)に寄付したことから、MITが「Okawa Center for Future Children」設立を発表。
(当時の為替レート1ドル=130.90円換算で約35億3430万円)
2001年1月 家庭用ゲーム機分野からの撤退を決めた株式会社セガに個人資産約850億円を寄付。
2001年3月16日15時47分、東京医科大学病院にて心不全のため逝去。
大川氏はナパ・バレーのワイン農園を所有するなど大富豪。関係者によると個人資産はなんと五千億円に上るという。ソフトバンクやヤフーなどのネット関連株に早くから投資していたようだ。
「残りの資産をすべてドリームキャストを使ったインターネット事業につぎ込んでもいいと言っている」(関係者)
MITはその40億円を原資に、西和彦さんが創出した$100パソコンのアイディア、を自らのプランのように発表することになる。「MITのネグロポンティはんは、子供たちとネット接続のために気張ってはるんでっしゃろ?」と大川氏、私が「はいっ」と言った瞬間に大川氏はMITに送金を指示!
大川氏は自分の力でゲイツと交渉し、ドリキャスのお客さまに継承プランを提示できなくなったと思われた。なおかつ、自分の関与がセガに良かったのかと思われ、死ぬ前に個人資産850億円をセガに寄贈され「ワシの開けた穴は少しでもこれで埋めといてんか?」と言って亡くなられた。
@ktamura777 大川さん曰く「古川君な、女子はんと別れる時には、好きでも嫌いで別れても5000万は用意せなあかん。」「それなら残りの人生は面倒みてくれた、できるだけのことはしてもろたと思う」「ええか、それ以上でもいかん、もっと欲しいと言うてきよるから」はぁ、でも無理です。
大川賞
大川賞(おおかわしょう)は情報・通信分野における研究、技術開発および事業において顕著な貢献を果たした人物に贈られる賞。財団法人大川情報通信基金から賞状、および副賞としての金メダルと賞金1000万円が贈呈される。