イザヤ書2章について ものみの塔の『聖書に対する洞察』(以下『洞察』 とします)「エホバの日 | 質問の答えを募集中です! イザヤ書2章について ものみの塔の『聖書に対する洞察』(以下『洞察』 とします)「エホバの日 | 質問の答えを募集中です!

イザヤ書2章について ものみの塔の『聖書に対する洞察』(以下『洞察』 とします)「エホバの日

未分類

イザヤ書2章について

ものみの塔の『聖書に対する洞察』(以下『洞察』

とします)「エホバの日」の「滅びをもたらす裁き

が執行された時」の段落の4行目から、次のように
書かれています。

***

例えば、イザヤは、「万軍のエホバの日」に不忠実
なユダとエルサレムに降り懸かることになっていた
事柄を幻で見ました。その日は彼らの中の「自分を
高め、高ぶる者すべてに」臨もうとしていました。
(イザ 2:11‐17)

***

エホバの日 — ものみの塔 オンライン・ライブラリー
エホバの証人の公式ウェブサイトです。エホバの証人が様々な言語で発行している出版物を調べることができます。

『新世界訳聖書』のイザヤ書2章1節には、「アモ

ツの子イザヤがユダとエルサレムに関して見た事柄。」

とあります。ここから、2章に書かれていることは、

「ユダとエルサレムに関して見た事柄」である、と

言うことができると思います。

したがって、『洞察』にあるように、『その日は彼

らの中の「自分を高め、高ぶる者すべてに」臨もう

としていました。』と言ってよいと思います。「彼

ら」というのは、「ユダとエルサレム」の人々のこ

とを指している、と考えられます。

『新世界訳聖書』のイザヤ書2章12節と13節、

および16節に、次のように書かれています。

***

12節

それは大軍を率いるエホバの日。
全ての傲慢な人や高慢な人に、その日は来る。
身分が高い人にも低い人にも、皆に来る。

13節

高くそびえるレバノンの全ての杉と、
バシャンの全ての巨木にも、

・・・

16節

タルシシュの全ての船と、
全ての美しい小舟にも。

***

「(13節)高くそびえるレバノンの全ての杉と、

バシャンの全ての巨木にも、・・・(16節)タル

シシュの全ての船と、全ての美しい小舟にも(その

日は来る)。」と読むことができます。「その日」

とは、「大軍を率いるエホバの日」のことです。

2章1節には、「アモツの子イザヤがユダとエルサ

レムに関して見た事柄。」とあるのですが、13節

と16節を見ると、「ユダとエルサレム」だけでな

く、「ユダとエルサレム」以外の地にも、「エホバ

の日」は来ることが書かれています。

オバデヤ書15節に、「あらゆる国の民に対するエ

ホバの日が近いからだ。・・・」とあります。この

ことばから、「エホバの日」は「あらゆる国の民に

対する」日であることが分かります。

オバデヤ書の場合も、1節に、「オバデヤの幻。こ

れは主権者である主エホバがエドムに関して言って

いることである。」とあり、「エドムに関して言っ

ていることである」のですが、「『あらゆる国』の

民に対するエホバの日が近いからだ。・・・」と言

われています。

「エホバの日」は「あらゆる国の民に」臨む、と言

うことができると思います。

したがって、イザヤ書2章で、「エホバの日」は、

「ユダとエルサレム」だけでなく、「レバノン」と

「バシャン」と「タルシシュ」にも来る、と言われ

ているのだと思います。

そうすると、『洞察』では、『事実が示すとおり、

その「エホバの日」は西暦前607年にエルサレム

の住民に臨みました。』(「滅びをもたらす裁きが

執行された時」の段落の最後の文)と言われている

のですが、イザヤ書2章に書かれていることからす

ると、このとき、「エホバの日」は「エルサレム」

だけではなく、「レバノン」と「バシャン」と「タ

ルシシュ」にも臨んだ、ということになります。

『洞察』では、「イザ 2:11‐17」と参照箇所は示

されているのですが、「レバノン」と「バシャン」

と「タルシシュ」のことには触れられていません。

そのため、「エホバの日」は「エルサレム」にだけ

臨んだかのような印象を受けます。

イザヤ書2章11節から17節までを参照箇所とし

て示すのなら、「レバノン」と「バシャン」と「タ

ルシシュ」のことにも触れるべきである、と思いま

す。

「エホバの日」が「エルサレム」にだけではなく、

「レバノン」と「バシャン」と「タルシシュ」にも

臨むものであるとするなら、「西暦前607年にエ

ルサレムの住民に臨」んだのは、「エホバの日」で

はない、つまり『事実が示すとおり、その「エホバ

の日」は西暦前607年にエルサレムの住民に臨み

ました。』という理解は、間違っている、と言うこ

とができると思います。

このように言ってよい、と思われますか。

よろしくお願いいたします。

  1. 匿名 より:

    そもそもエホバの証人が「西暦前607年にエルサレムの住民に臨」んだのは、「エホバの日」である」と言いたいのは、彼ら自身が持つ1914年の預言が正しい、と言いたいからです。

    質問者さんが指摘するように、バビロン捕囚に対する主の裁きは、エルサレムだけではなく、周辺の国も含まれています。

  2. 匿名 より:

    ありがとうございます。

    ***

    そもそもエホバの証人が「西暦前607年にエルサ

    レムの住民に臨」んだのは、「エホバの日」である」

    と言いたいのは、彼ら自身が持つ1914年の預言が正

    しい、と言いたいからです。

    ***

    とあります。『「西暦前607年にエルサレムの住

    民に臨」んだのは、「エホバの日」である』という

    ことと、「彼ら自身が持つ1914年の預言が正しい、

    と言いたいから」というのは、どのような関連があ

    るのでしょうか。もう少し説明していただけるとあ

    りがたいです。

    つづきます。

  3. 匿名 より:

    ご回答、ありがとうございました。



 ⬇人気の記事!⬇

タイトルとURLをコピーしました