【18*エホバの証人[この道]について!】
■o_run_xさん
》キリスト教のある組織について“母”に例えられる教えは聖書にはありません。
●見つけた!
検索 — ものみの塔 オンライン・ライブラリー
エホバの証人の公式ウェブサイトです。エホバの証人が様々な言語で発行している出版物を調べることができます。
》聖書にない教えを『ものみの塔発行書籍』が教えているとするなら…
●今回の『母なる組織』とかは、出版物に書かれていたとかの話ではないでしょう。
(私の発言が「出版物で見かけたようなぁ?」の話です。)
》自分で自分を“母”と推薦する統治体のようですが、パウロでさえ【私たちは、限度を越えて誇りはしません】と言いました。
●組織(統治体)は個人ではありません。
誇ってもいないでしょう。
“推薦”でもないでしょう。
まぁ 私個人には、意図を正確に汲み取ることは出来ませんが、『ふさわしい敬意』とかの認識を持つようにではないかな?
と、推察します。
まぁ 「poteto_poemさん」からの“伝聞”なので、私もよく解りませんが?
●組織の出版物が、語ることに関して[一致]に貢献していると思いますが、貴女の宗教プロテスタントではどうなのでしょうか?
友達に聞きましたが、「公教要理に大きく外れなければ、どんな解釈も許される!」とか?([公教要理]はカトリックだけなのかな?友達は、カトリックもプロテスタントも経験した姉妹から、また奉仕で会った家の人からも聞いたそうです。)
貴女ご自身は、これを★おかしい!★とは思われないのですか?
ちょっと今週は忙しいんですけど、合間を縫って回答させて頂きます。補足があれば遅れるかも知れません。すみません。
>●見つけた!
ちょっと読みましたけど、天的級はエホバの妻であるという見解を裏付けるために聖書を引用されておりますが、しかし文脈を無視した聖書の引用であるという印象を受けました。
ここからは、yangmaskさんへの返信も兼ねて。
>イエス・キリストが「子羊の結婚」によって天で14万4000人のクリスチャン、つまり「キリストの花嫁」と結ばれるのはご存知かと思います。
はい。しかし世のキリスト教には天的級という概念はありませんので、すべてのクリスチャンはキリストの花嫁です。
>これと似ている関係はエホバ神と天使たちの組織との関係です。それはガラテア4:21-26にあるとおり、アブラハムとサラによってあらわされる婚姻関係にあります。
ここでパウロが展開していることは、「束縛と自由の比較」と「5つの事項を例にあげた比較」です。創世記15章で、アブラハムは息子が生まれるとの約束を受けました。これはアブラハム契約に基づくもので、それを信じたアブラハムは信仰によって義とされました。ところで、アブラハムには約束の子を得るための道が2つありました。
(1) 最初は人間のわざによる道です。彼は、女奴隷ハガルによって約束の子を手に入れようとしますが、誕生したのは奴隷の子イシュマエルでした。
(2) 次は恵みによる道です、彼は、自由の女サラによってイサクを手に入れます。この子は、神の一方的な恵みによって誕生したので、自由の子となりました。
以上の出来事を個人の信者に適用すると、次のようになります。
(1) ハガルによって子を得る道は、「わざによる救い」を示しています。
(2) サラによって子を得る道は、「信仰と恵みによる救い」を示しています。
次に、「5つの事項を例にあげた比較」には、以下のような比喩があります。
(1) 女奴隷のハガルは、シナイ契約を表しています。この契約は、律法主義に人を閉じ込め、霊的な奴隷を生み出しました。シナイ契約が結ばれたシナイ山もまたハガルに例えることができます。さらに、ローマの支配下にあった(奴隷となっていた)当時のエルサレムもまた、ハガルであると言えます。
(2) それに対して、自由の女サラはアブラハム契約を表しています。この契約は「信仰による義人」(つまりキリストの福音)という祝福をもたらし、人を自由にします。
カルバリの丘は、人を自由にするためにイエスがいのちをささげた場所ですから、サラに例えることができます。また、天のエルサレムは自由の都であるがゆえに、サラであると言えます。
結論として、この箇所で教えていることは… あなたは救いの方法として、女奴隷のハガル(律法主義)と、自由の女サラ(信仰による義)のどちらを選びますかというものです。ここでパウロは、アブラハムはエホバを表わしている云々は全く想定内にありません。
>このように、エホバ神もイエス・キリストも一つの組織・集団を一人の妻として婚姻関係を持っています。
文脈を見ますと、全く根拠になっていないことが分かります。
>天使たちの組織(上なるエルサレム)はイエス・キリストと14万4000人の油そそがれたクリスチャンを生み出しました。
>根拠は啓示12:1-6(イエスについて)とガラテア4:26(油そそがれたクリスチャンについて)です。
は?天使たちの組織がイエスを生み出した?
啓示12:1-6で教えていることは、ヨハネは天に現われた巨大なしるし(幻)を見ますが…
(1) ひとりの女が現われます。この幻の背景になっているのは、創世記37:9~11に出てくるヨセフが見た幻です。太陽は父ヤコブを、月は母ラケルを、そして12の星はヤコブの12人の息子たちを表わしています。
(2) 従って、太陽と月と星で飾られたこの女がイスラエルを指していることがわかります。
(3) この女は、産みの苦しみと痛みを経験していました。これは、イスラエルがメシアを産み出す直前の状態にあることを表わしています。
つまり、天使がイエスを生み出したのではありません。イエスはイスラエルの民の中から生まれたということをヨハネは論じているのです。
>ガラテア4:26
26節【しかし、上にあるエルサレムは自由であり、私たちの母です】とは、文脈を見ると上記でも述べましたように、サラを比喩的に表わしたものです。ですから結論として31節で【私たちは奴隷の女(ハガル)の子どもではなく、自由の女(サラ)の子どもです】とパウロは語っています。
霊的生まれ変わりというのは、天使の業ではなく、神の業です。天使がクリスチャンを生んだのではありません。
※ 誤字訂正致しました。
皆さんご回答ありがとうございました。
【yangmask_2さんへの補足】
o_run_xです。
>>イエス・キリストは霊によって生まれるクリスチャンの初穂として、天使たちの組織から生み出されたということです。
>この啓示12章は、サタンを天から追放し、天でイエスが王座に就いた時に成就しました。
なぜこれほどまでに話が噛み合わないのかやっと気付きました。世のキリスト教には「天的級/地的級」という概念はありませんし、また、「イエス=ミカエル」、「1914年に天にイエスの王国が設立された」という概念もありません。
ですから、そのような概念が前提にあると… 「ほぇ~!そのような見解になるんだ~!」という驚きとともに、やっと貴方の仰りたいことを理解してきました。賛同はしませんけどね。
>「イエスはクリスチャンの初穂として・・・ 創世記3:15やガラテア4章などにも基づいています。
何度も繰り返し言いますが、文脈を見る限り全く根拠になっておりません。そもそもエホバの証人の聖書研究スタイルは、「初めに統治体の見解ありき」であり、それを裏付ける形で(文脈を無視した)聖書の引用をされているということを、今回明確に知ることができました。感謝致します。
>使徒10:34-35。
この聖句は、神の選びについて語っているのではありません。「救い」は、ユダヤ人も異邦人も分け隔てなく同じ福音によって救われる、というのがペテロの強調点です。
>1世紀にもユダヤ人を特別扱いしようとした人々がおり、それらの人たちは「割礼組」と言われていました。(ガラテア2:11-14)。
語弊があると思います。当時は、まだキリスト教というかたちを築かれていなかったのですから、当時の習慣に縛られていたといったところでしょう。使徒たちでさえ、異邦人(コルネリオ)が救われるまではユダヤ教の延長線上にある状態でした。
例えばペテロは、神から与えられた幻によって「どんな人のことでも、きよくないとか、汚れているとか言ってはならない」ということを学ぶまでは、ユダヤ人が異邦人の家に入ることや、食事をともにすることは律法違反になりますので、異邦人との接触を避けていました。ですから、そのような禁じられていた場所で、割礼を受けていない異邦人のコルネリオが聖霊を受けたのを見て驚いたのです。
とは言え、神の視点から見れば、ユダヤ人は神との契約のゆえに永遠に特別な民であることは確かです。これは「不変」です。
また、私の信じている神は「義」なるお方ですから、「約束を必ず守られる」お方です。しかしエホバの証人の信じている神は、「約束を破る」お方です。ものみの塔協会は口には出さないでしょうけど、「神は、イスラエルの民に一方的に契約を与えておきながら、神自らそれを破棄される不義なるお方である」と言っているようなものです。
yangmaskの別IDです。
>>この女が最初に産み出したのは、ほかならぬイエス・キリストでした。
これは私の見解ですが、「産み出した」というのは決して創造したという意味ではありません。イエスは「だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない」と言いました。(ヨハネ3:5-6)。イエス・キリストは霊によって生まれるクリスチャンの初穂として、天使たちの組織から生み出されたということです。
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>地上に派遣されたのはエホバ神です。
これは誤解です。天使たちの組織「が」イエスを派遣したと言ったのではなく、天使たちの長として天使たちの組織に属していたミカエル(イエス)が、神のご意志にしたがって、天使たちの組織の「中から」地上に遣われたという意味でした。
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>イスラエルの役割というものを全く理解しておりません。
「あなたがたは、律法の言うことに耳を貸さないのですか。アブラハムには二人の息子があり、一人は女奴隷から生まれ、もう一人は自由な身の女から生まれたと聖書に書いてあります。 ・・・この二人の女とは二つの契約を表しています。子を奴隷の身分に産む方は、シナイ山に由来する契約を表していて、これがハガルです。 ・・・他方、天のエルサレムは、いわば自由な身の女であって、これはわたしたちの母です」。ガラテア4:21-26。
つまり、ハガルは「古い契約」、つまりモーセの律法に基づく律法契約のことです。一方、正妻のサラは「新しい契約」のことで、つまり、キリストの贖いに基づく神とクリスチャン会衆との契約のことです。その両者の結末については続いてこうあります。
「しかし、聖書に何と書いてありますか。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になってはならないからである」と書いてあります」。 ガラテア4:30-31。
つまり、「女奴隷(ハガル)とその子を追い出せ」という物語のとおりに、イスラエル人は神の選民ではなくなりました。代わって、神と契約を結んだクリスチャン会衆こそが祝福を受け継ぐ相続人となりました。とはいえ、個人としては、使徒たちがそうであったように、ユダヤ人であっても、クリスチャン会衆の一員となることにより、再び神の恵みのうちに入ることが可能です。
補足:
run_2_oxさん
>では将来のある時点で、イエスはクリスチャンの初穂として天使たちの組織から生み出されるということでしょうか。意味が分かりません。
この啓示12章は、サタンを天から追放し、天でイエスが王座に就いた時に成就しました。その時、「男子」が「女」から生まれたことが記されていますが、その男子はイエスの王権を表わしています。
「わたしは、天で大きな声が次のように言うのを、聞いた。「今や、我々の神の救いと力と支配が現れた。神のメシアの権威が現れた。我々の兄弟たちを告発する者、/昼も夜も我々の神の御前で彼らを告発する者が、/投げ落とされたからである。」」 啓示12:10。
上記の 「イエスはクリスチャンの初穂として天使たちの組織から生み出される」の根拠は啓示の書だけでなく、これまで討議してきたように、創世記3:15やガラテア4章などにも基づいています。
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さらに、イスラエル人だけが特別扱いされるということはもはやありません。
「そこで、ペトロは口を開きこう言った。「神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。 」 使徒10:34-35。
1世紀にもユダヤ人を特別扱いしようとした人々がおり、それらの人たちは「割礼組」と言われていました。(ガラテア2:11-14)。
補足:
o_runrun_xさん
見解の相違については仕方がありませんね。
>「神は、イスラエルの民に一方的に契約を与えておきながら、神自らそれを破棄される不義なるお方である」と言っているようなものです。
しかし、この契約は何があっても履行するというものではありませんでした。イスラエル人が神に背く(つまり契約不履行)なら、神もその保護と祝福を控え、処罰が臨むことになっていました。そして、イエスがマタイ21:33-46などで述べたぶどう園と耕作人の例えにもあるとおり、不忠実な耕作人(イスラエル人)は神の選民としては退けられ、それに代わってクリスチャン会衆が神の組織となりました。「このゆえにあなた方に言いますが、神の王国はあなた方から取られ、その実を生み出す国民に与えられるのです」。マタイ21:43。
イエスは正当な離婚の唯一の根拠として「姦淫」を挙げました。(マタイ19:9)。したがって、神はイスラエル国民と婚姻関係のような関係にありました(ホセア3:1)が、繰り返し行われる「姦淫」、そして、最終的にはみ子イエスをさえも退けた(もはや矯正不能と断定できる根拠)ゆえに、その離婚(契約の破棄)は全く正当なものでした。
【yangmask_2さんへ】
>イエス・キリストは霊によって生まれるクリスチャンの初穂として、天使たちの組織から生み出されたということです。
貴方は、ヨハネの啓示は1世紀の終わり頃に書かれたものですから、啓示12章の記述は将来に起こる出来事であると仰いましたよね。では将来のある時点で、イエスはクリスチャンの初穂として天使たちの組織から生み出されるということでしょうか。意味が分かりません。
>イスラエル人は神の選民ではなくなりました。
古い契約(シナイ契約)は条件付きの契約でしたのでイスラエルの不信仰によって破棄されました。しかし神は、それに代わる新たな契約、新しい契約をイスラエル人と結ぶことを約束されました(エゼキエル16:59~60)。異邦人はイエスを信じる信仰によってこの契約の祝福に与る者とされました。これは、アブラハムによって祝福が異邦人に及ぶようになるというアブラハム契約の霊的祝福の成就です。
ですから、イスラエル人は今は不信仰のゆえに神に退けられていますが、異邦人の完成が成る時、イスラエルの救いが来ることをパウロはローマ11章で論じています。27節を見ると、【これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である】とあります。
つまり、【彼らに与えたわたしの契約】とは、エレミヤ31:33~34で預言された「新しい契約」のことです。この預言が、イスラエル人の上に成就します。
28b~29節では、イスラエル人の選びについて次のように書かれています。イスラエル人は、【選びによれば、先祖たちのゆえに、愛されている者なのです。神の賜物と召命とは変わることがありません】。
彼らは、神が先祖たちと結んだ契約のゆえに愛されています。【選び】とは、民族的選びのことです。
神の賜物は不変です。これは、契約がもたらす祝福のことです。
神の召命もまた不変です。これは、民族的選びのことです。
以上の2つは、取り消すことができません。なぜなら、アブラハム契約は無条件契約(神からの一方的な恵み)だからです。ですから、この契約はイスラエル人の不真実や罪によって破棄されるものではありません。イスラエルは神からの一方的な恵みによって選ばれたゆえ、今も神の民です。これは「不変」です。
異邦人クリスチャンの多くが、長い間、イスラエル人は不信仰のゆえに神に見放されたと考えてきました。パウロは、そのような異邦人の傲慢な姿勢を戒めています。「神の賜物と召命とは変わることがありません」。
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【yangmaskさんの補足2への返信】
>この女(天使たちの組織)が最初に産み出したのは、ほかならぬイエス・キリストでした。
冗談でしょ。^^;
イエスは天地万物(天使さえも)を造られた創造者ですよ。イエスは天使に造られたのではありません。
>天使たちの組織から地上へ派遣されたイエスは…
イエスを救い主として地上に派遣されたのはエホバ神です。再臨に関しても、エホバ神がイエスを派遣されるのです。
>夫であるエホバ神に対して、天使たちの組織が妻のような存在
>まさしく、これはガラテア4:21-26で示されていたアブラハムとサラとの関係です。
すでに述べましたように、パウロは全くそのようなことを語っておりません。文脈を無視した引用です。
>啓示12章の「龍」と「女」の敵対関係は何を意味しているでしょうか。
ものみの塔協会は、イスラエルの選び、イスラエルの役割というものを全く理解しておりません。では、なぜ「龍」であるサタンは、「女」イスラエルに敵対するのでしょうか。
マタイ23:39で、イエスはイスラエルの民に対してきわめて重要な預言をされました。
【言っておくが、お前たちは、『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言うときまで、今から後、決してわたしを見ることがない】
この聖句は、イエスの再臨の条件が何であるかを預言しています。つまり、ユダヤ人たちがイエスをメシアとして歓迎するようになってはじめて、イエスが地上に再臨されるということです。
サタンはこの預言をよく知っていますので、それを阻止するためにユダヤ人たちを抹殺しようとしてきました。それが、反ユダヤ主義が起こる理由です。十字軍、ポグロム(大虐殺)、ホロコーストなどがユダヤ人に起こる理由は、背後でサタンが糸を操っているからです。もしメシアが再臨したなら、サタンは滅びるしかありません。
しかし、もしユダヤ人たちが地上からいなくなるなら、メシアの再臨がなくなり、サタンは安泰となります。ですからユダヤ人に福音を伝えることは、究極的には主イエスの再臨を来たらせるための営みなのです。
これが、「龍」であるサタンが「女」イスラエルを攻撃する理由です。
ところで、カトリックでも「母なる組織」と言われるそうですけど、これに関しては珍しく意見が一致したといったところでしょうかね。
申し訳ありませんが、何故か私の名前が登場しているので、横槍失礼します。
3rさん、あなたの以前の書き込みが正しいのであれば、2012年の地域大会の時には復帰しておられたのではありませんか?
だとしたら、「2012地域大会ー真理についての強力な証言」の2日目の午前最初のプログラムを覚えておられるはずです。
二人の兄弟の実演形式で扱われましたね。
1日目の最後のプログラムで、「今の時代にだれがエホバのご意志を行なっていますか」というブロシュアーが発表されましたが、このブロシュアーの用い方を話し合う場面でした。
このブロシュアーを用いて野外でも「組織」について積極的に紹介することが勧められたうえで、どうして「組織」について話すのが大切なのかを説明するために用いられたのが、
【箴言6章20節】でした。
「この聖句は、よく親子の関係で用いられますが、エホバと組織と私たちの関係にも当てはまるんですよ」と言い、
父→エホバ→ 父なるエホバ。
母→組織 → 母なる組織。
子→私たち → 従うべきである。
と、兄弟がはっきり言い切ったのを覚えていないのですか?
さらに、巡回大会の1日目の午前のプログラムでも強調されましたよね。
エホバと組織を同列に並べるとは…。
〉単なる伝聞
でないことは分かって頂けると思います。
いかがですか?
追記
3rさん。主語があれば理解できたのですが。
大変お騒がせいたしました。
笑ってお許しくだされば幸いです。
洗脳されると反対に考えるんだね。まず、組織が準備した聖書理解がベースになり、それを聖書に当てはめるとはどういう事。聖書を学んでいるのではなく組織から学んでいる?
エホバの妻のような組織を表わしているこの組織がエホバの証人だと何故、わかる。