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私は、今まで、【法華経】をバカにしてたし嫌いでした。それは、【浄土教】を勉強していたから、【他…

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私は、今まで、【法華経】をバカにしてたし嫌いでした。それは、【浄土教】を勉強していたから、【他宗の教え】と思っていたからです。
デモ、バカなのは、私でした。
っというか?
マダわかりませんが?【仏教】の【創始者のお釈迦さま】は、
【浄土教】での主に取り入れてる【無量寿経】ですが、あれって【お釈迦さま】の前の語りで、その後に【法華経】を語りだしたようで?知りませんが?それは、【無量義経】の話ですが、【無量寿経】の話では、ないですが?
デモ、【無量義経】ってのが、【法華経】と関係してうようで?
その【法華経】には、「過去の話は全て仮の教えであった。今から真実を話すから心して聞くように」とかいてあるようで?
っという事は、【浄土教】での教えは、お釈迦さまは、前に語っていた事で、【法華経】の教えの方が正しいって事ですか?
っていうのは、日蓮さんの【なむほれんげきょう】っていうのをバカにしてました。が、
モシ!
お釈迦さまが、いたら、【なむあみだぶつ】より、そっちの方が、良いのでは・・・・と言いますか?
【仏教】って難しくて、ワケわかりません。 教えて下さい。

  1. 匿名 より:

    ■ 法華経の本当の意味

    小乗仏教は小中学生の義務教育の教科書であるといえます。小中学校で基本的な真理を学びます。卒業生を阿羅漢といいます。

    大乗は義務教育の小中学校を卒業した人の教科書です。主に人々に真理を教える立場の人です。これを菩薩といいます。
    したがって、義務教育を卒業していない者には大乗を読んでも意味は解らないと思います。ただ、理解したと思い込んで人々に教えているわけです。だから誰一人大乗の意味が解らず、辻褄が合わないまま納得しているのです。

    まず、小中学生の教科書である小乗(阿含経)から始めるべきなのです。

    ☆阿含経**********************************************

    人間は「六道(地獄・畜生・餓鬼・人間・阿修羅・欲天)」の世界に生まれ死に生まれ死にを繰り返しているのです。
    その原因は「貪(性欲)瞋(怒り)癡(無知)」の力によります。
    そこで、四諦、八正道などを修行して、死後六道から解脱して寿命の長い天界に生まれなさい。
    これが阿含経の修行です。

    ☆大般若経**********************************************

    阿含経の修行が終わって、仏になるためには大般若経の修行をしなさい。
    この世界は空(幻)の世界です。つまり煩悩が造った幻の世界なのです。
    だから一切は映像であり、すべては存在しないのです。したがって、仏の教えも幻の教えなのです。
    だから、人々は幻の苦しみによって苦しんでいるので、人々に阿含経の修行を教えて、苦から救って下さい。これが仏になる道であり、菩薩の修行です。

    ☆法華経**********************************************

    阿含経から大般若経の修行をしてきた菩薩の皆さんに最後に本当のことを教えます。
    この世界は幻の世界ですから幻の修行法を説いてまいりました。
    しかし、幻を見るには幻ではない実在の世界がなくてはなりません。なぜなら、幻は実在の世界においてのみ見ることが出来るからです。
    だから、真実、あなた方は実在の世界に住んでいるのです。

    真実を明かすこの法華経は最終的なもっとも大事なお経です。だからこのお経に書いてあることを忘れないようにしなさい。

    忘れそうになったら、土で塔を造って、それを見て法華経の内容を思い出しなさい。また、法華経の題目「南無妙法蓮華經」だけを記憶しておき、法華経の内容を忘れそうになったら、「南無妙法蓮華經」と唱え法華経の内容を思い出しなさい。
    **********************************************

    この世界は幻(空)の世界であるが、幻は幻でない実在の世界がなくては幻単体では存在できません。夢を見ている世界がなくては夢の世界もないのと同じです。実相の世界の説明が法華経です。

  2. 匿名 より:

    私は、今までは、【浄土真宗】ダケの信仰でしたし、阿弥陀如来ダケを信仰してきましたが、
    バカでした。?これからは、一からもどります。人間の正しく生きていく基礎とも言える【阿含経】も知らずに生きていましたので、これから勉強していきます。

  3. 匿名 より:

    まず御釈迦様の滅後100年ごろにはすでに根本分裂と言って教団は大きく二つに分裂してしまいます。仏教には法灯と言ってきちんと伝統が伝わっているはずなのですが、それ以来素人目にはどこにお釈迦様の真意があったのかわからなくなってしまいました。

    日本に広まったのは主に大乗仏教や密教です。 まずこの大乗仏教で言う仏と言う感覚が少しスリランカやタイの人とは違うのです。大乗仏教の側から見れば、時代が変わって言葉は色々に訳されても要するにお釈迦様が説いた内容を伝えたのが法華経や無量寿経などを含む大乗経典です。

    しかし科学的な目に見える証拠としては、現存の仏典はどれも本当にインド大陸に歴史上存在したお釈迦様が直接説いた言葉をそのまま書き写したものだと言う証拠はどこにも存在しません。全て弟子たちが教団の中で教え語り継いできた仏の言葉を地域や時代によって訳されて数百年経ってから文字に起されたものです。 その点ではどこの国の仏典も同じです。

    そういうわけで、本来はどれが本物かを内容で判断すればいいのですが、経典がまた莫大な量な上にお互いに矛盾してしまう教えも含んでいるのでどれがお釈迦様の真意なのかは現代の日本ではわかりにくいし鎌倉時代もわかりにくかったようです。

    ただし無量寿経と法華経は同じ頃に成立しているはずだし、日本の浄土教は法華経を宗旨とする比叡山から派生した開祖も多いので法華経の内容を否定する事は誰もしていないと思うんです。

    ただ法華経は難し過ぎて末法の人には修行が無理だから仏の慈悲でもっと誰でも簡単に修行できる浄土教の教えが遺されたと教えていると思います。

    ところが法華経には阿弥陀如来が釈迦如来の十方の分身の一つとして法華経の仏が本体である事を証明しに登場します。
    だから法華を宗旨にする宗派では法華経及び法華経に登場するお釈迦様が本当の仏なのだと解釈します。
    細かい解釈は宗派によって色々です。

    ちなみに法華経に登場するお釈迦様つまり釈迦如来も現代の感覚では「神格化されたお釈迦様」と言う解釈をされています。お釈迦様の魂というか教えであって肉体を持ったお釈迦様そのものではないと言うような極めて現代的な解釈です。

    世親菩薩とか天親菩薩と言う名で知られているヴァスバンドゥ(300~400年頃)と言う人物は法華の宗派でも浄土教でも崇拝されていると思いますが、法華論と言う法華経の教えを説いた論の作者と言う事になっています。

    浄土教の観点から法華経が真実でないと否定するのは無理だと思われます。

    そして法華経自体にもそれまでに明かしていなかった真実を明かす事が説かれています。 それはお釈迦様が実はインド大陸で成仏したのではなく永遠の昔から成仏していて衆生を救いに世に出現したと言う事です。

    それから上行菩薩と言う弥勒菩薩でさえ法華経中で、とてもお釈迦様の弟子だとは思えないほどお釈迦様よりも古く見える仏の相を持った聖人が登場します。 実は法華経の布教はこの経典の中ではこの上行菩薩が末法に担当する事になっています。 そして不思議な事にこの菩薩が世に出現する時には「この人」と普通の人の姿で出現する事、それから色々な迫害に会うことが書かれています。

    少なくとも鎌倉時代まで世界のどこにもこの描写に当てはまる人物が登場しませんでした。 そしてこの人物が出現しないと法華経は出鱈目を教えていることになります。 そこに登場したのが上行菩薩の再誕であるとされる日蓮聖人です。上行菩薩は歴史上の存在ではないので、経典の描写は具体的には日蓮聖人の菩薩としての出現を予言した事になります。

    簡単にいうと日蓮聖人は、浄土教の教えで難しいから一般人にはわからないし修行できないとされた法華経の本当の意味を教えて、みながどのように修行してどのような本尊を拝んだらいいのかを様々な経典を読み修行した上で見つけ出し広めたと言えます。

    上にも書いたとおり浄土教でも法華と同じく竜樹菩薩や世親菩薩を崇敬しますが、世親菩薩にはお釈迦様の魂を真身の如来と言ってお釈迦様の肉身である応身の如来とは区別する考えがありました。 南無妙法蓮華経というのはそのお釈迦様の魂(霊魂ではなく心とか覚りという意味です)そのものである真身の如来です。

    親鸞和尚の師匠である法然和尚は時代は違っても日蓮聖人と同じ比叡山で同じ門流で同じ教義の影響を受けています。その点では全く違う事を教えているわけではないのですが、日蓮聖人から見ると比叡山で法華の教えを学び法華の教義を信じながら浄土教の経典に説かれる仏を信じるのは矛盾であると言う主張です。 真意は法華経にあるのでそのまま法華経にある久遠の釈迦如来と言う本体の仏(本仏・別名南無妙法蓮華経)を信仰するべきだと言うような主張になると思います。

  4. 匿名 より:

    このカテに限らず、頻繁にお釈迦さんがどう言った、こう言ったとかの議論好きが多々おられます。

    一番古いお経は…、そのお経はニセモノ…、中国で成立した…と様々な議論をされてます。

    仏教を学問の対象ととらえたら、その議論はおおいに結構。

    しかし、仏教を宗教、つまり信仰の対象とすると、そのような議論は無駄、不必要でしょうね。

    簡単に言えば、数年前に死んだ親の言葉、本心でさえ兄弟間で様々な意見、とらえ方があるのに、2600年前に亡くなったお釈迦様の心の真実、本当の言葉を議論しても、正解なんて出るわけがありません。
    また、100年後に成立したお経が、300年後に成立したお経よりも真実に近いなんて議論も無駄ですね。
    案外、古いお経の方が気持ちが入っていて、客観的でない可能性もあっておかしくないでしょう。

    と云う事は、信仰とは信じる事であり、無量寿経より法華経を信じれば「南無法蓮華経」と唱えれば良し、逆なら「南無阿弥陀仏」と唱えれば良いのです。
    自分が良いと思う信仰を他人に紹介する事は良いことですが、他人が信仰してる信仰を非難する事は悪行でしょうね。



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