【閲覧注意】世界を震撼させた10の未解決事件【戦慄記録】

事件

未解決事件の概要

未解決事件が存在することは犯人が社会的に裁かれるのを不当に免れることになり、被害者と遺族の苦しみが続き、犯罪を犯した者は法によって裁かれ、罪を償わせる目的を達成させることができない。また犯人による再犯の恐れもあり、社会にとって重大な不利益となる。また、犯罪捜査を責務とする捜査当局(警察)にしても、犯人を取り逃がすことで公訴時効を迎えてしまう場合もままあるため、警察の信用も損ねる、由々しき事態となる。

広義では捜査当局によってある程度犯人を特定され、指名手配されている場合があるものの、国外へ逃亡している場合も多いため刑事裁判が開けない事件も未解決事件として扱われる場合がある。

足利事件のように、民間の調査機関やジャーナリストの手で真相を捜査されて真犯人が特定したと主張して警察へもその捜査の要請がなされているケースも社会的に真犯人特定とされない場合は未解決事件と認識されてしまう事がある。

一部には人間の故意による事件ではなく、事故に過ぎないものが事件とされて未解決事件と扱われることもある。また、公訴時効が過ぎた未解決事件について、自ら犯人を名乗り出る者もいる。

一度は犯人が特定された被疑者が裁判や再審で無罪となり、冤罪事件となって真犯人が検挙されていない事件も未解決事件として扱われる。冤罪事件の場合、被疑者が長期裁判や再審無罪になった時には長い年月が経っていて、公訴時効を迎えていたり、証拠が集められなくなるなどの理由で未解決事件となりやすい。

●イル・モストロ事件

イル・モストロ事件はイタリアのフィレンツェで発生した連続殺人事件。主にカップルが狙われ、8組16名が殺害されたといわれている。事件の名称の由来は事件の犯人を「イル・モストロ・ディ・フィレンツェ(Il Mostro di Firenze、『フィレンツェの怪物』の意)」、もしくは「イル・モストロ」と呼んだことによる。または単にカップル殺人犯などとも呼ばれている。

夏場の月のない、休日の前日の晩に犯行をおかす。ドライブ中のカップルが狙われる。
22口径のベレッタを使用して被害者を射殺する。被害者の死後、遺体を切開し性器を持ち去る。
犯行は年に1回程度のペースで行われ、通常の連続殺人のように犯行の間隔が短くなることはない。また、被害者を選定した形跡はほとんどみられない。

1993年に農夫の男性が容疑者として逮捕されたが、犯行を否認したまま1998年2月22日に73歳で心臓発作により死去した。2013年現在未解決。

●ボーイ・イン・ザ・ボックス

ボーイ・イン・ザ・ボックスとは、1957年にアメリカ合衆国で発生した殺人事件の被害者に冠せられた通称。被害者はおよそ4~6歳の少年で、「America’s Unknown Child」とも呼ばれている。2013年現在未解決。

遺体は1957年2月25日、ペンシルベニア州フィラデルフィアの北東部にあるフォックスチェイス地区(Fox Chase)において、全裸で段ボール箱の中に入った状態で発見された。遺体には体中いたるところにあざがあった。
遺体は発見時、J.C.ペニーで販売された揺り篭の段ボールの空き箱内に、毛布に包まれた状態で遺棄されていた。遺体を発見した男性は、発見現場付近にマスクラット捕獲用の罠を仕掛けていたため、発見時はその具合を調べていたと主張していた。後にその男性は、遺体発見時、近くの学校の生徒たちへののぞきをおこなっているところで、それが彼の習慣になっていたと明らかにした。

事件はフィラデルフィア一帯のマスコミの注目を集め、情報提供を呼びかける少年の写真入りポスターは、フィラデルフィア中のガソリンスタンドに貼り出された。しかし、そのような事件当時の呼びかけや、長年の事件に対する断続的な関心にもかかわらず、犯人はおろか少年の身元も依然不明である。

●ブラック・ダリア事件

ブラック・ダリア事件とは、1947年1月15日にアメリカで発生した殺人事件。1947年1月15日、黒い服を好んだことから「ブラック・ダリア」の通称(アラン・ラッド主演の映画『The Blue Dahlia』のもじりである)で知られていた優志願の性、エリザベス・ショートの死体がロサンゼルスで発見された。

死体は激しく損壊しており、胴の部分で2つに切断されていたが、洗い清められており、犯人につながる証拠は発見されなかった。また、事件発覚後に新聞社にブラック・ダリアの所持品が送りつけられてきたが、指紋は検出されなかった。
事件は非常に注目を集め、約1ヶ月にわたって『ロサンゼルス・エグザミナー』のトップ記事を飾り、500人に及ぶ自称犯人やその関係者が出頭するほどだったが決め手に欠けたために迷宮入りし、2013年現在も未解決である。

●切り裂きジャック

出典yaplog.jp

1888年8月31日から11月9日の約2ヶ月間にロンドンのイースト・エンド、ホワイトチャペルで少なくとも売春婦5人をバラバラにしたが、犯人の逮捕には至らなかった。署名入りの犯行予告を新聞社に送りつけるなど、劇場型犯罪の元祖とされる。神経症患者から王室関係者まで、その正体については現在まで繰り返し論議がなされているが、1世紀以上経った現在も犯人は不明。
切り裂きジャックは売春婦を殺人の対象に選んだ。犯行は常に公共の場もしくはそれに近い場所で行われ、被害者はメスのような鋭利な刃物で喉を掻き切られ、その後、特定の臓器を摘出されるなどした。そのような事実から解剖学的知識があるとされ、ジャックの職業は医師だという説が有力視されている。
ただ、このような事件が起きていた間に、被害者の性たちが警戒心もなく犯人を迎え入れている形跡がある事から、実は性による犯行とする説もあった。また、犯行は1年以上続いたという説もある。
「ジャック」とはこの場合特定の人物の名前を示すわけではなく、日本でいう「名無しの権兵衛」のように英語圏で呼び方の定まっていない男性を指す名前である。

●華城連続殺人事件

出典yaplog.jp

華城連続殺人事件は、1986年から1991年にかけて大韓民国の京畿道華城郡(現在の華城市)周辺で10名の性が殺害された未解決事件で、韓国史上最初の連続殺人である。2003年公開の韓国映画、『殺人の追憶』はこの事件をモチーフにしている。2006年4月2日に、最後の事件の公訴時効が成立、全ての事件について犯人を訴追することが出来なくなった。

2008年には、インターネット上で安養小学生拉致殺害事件で逮捕された39歳の男性が本事件の真犯人かもしれないという文章が掲載され、韓国で話題になった。この男性が本当に本事件の犯人であるか明らかになっていないが、信憑性は低いと思われている[。その理由として、第9の事件で精液等が取得されていることから、もしも彼が犯人であればDNA照合で警察側がすぐに犯人と断定できるはずであるのに、警察は何の動きも起こしていないことがあげられる。

●ヒンターカイフェック事件

ヒンターカイフェック事件とは、ドイツ史上最も謎の多い犯罪として知られる殺人事件である。1922年3月31日の夕方、ヒンターカイフェックの住人6名がつるはしによって殺害された。事件は現在も解決されていない。ヒンターカイフェックは、現在のヴァイトホーフェン(バイエルン州の都市インゴルシュタットとアウクスブルクの間、ミュンヘンの約70キロメートル北)の近郊にあった小さな農場である。

6名の犠牲者は、農場の主人の男性(63歳)とその妻(72歳)、夫妻の娘(35歳、未亡人)とその子供2名(7歳のの子と2歳の男の子)、そして農場の使用人の性である。2歳の男の子の父親は、農場の主人であると噂されており、彼らの近親相姦行為は多くの人々に知られていた。

●ボドム湖殺人事件

ボドム湖殺人事件は、1960年にフィンランドで起こった殺人事件である。
事件は首都ヘルシンキから西に約22キロメートル離れたエスポー近くにあるボドム湖[1]で起こった。1960年6月5日早朝(午前4時から午前6時にかけて)、湖畔にキャンプしにきていた4人の若者達が何者かにナイフと鈍器で襲われ、3名が死亡、1名が重傷を負った。

事件は現在でも未解決のままで、新しい情報や見解が浮上する度にフィンランドのメディアに人気のあるテーマとして取り上げられた。

●ゾディアック事件

ゾディアック事件(ゾディアックじけん、英:Zodiac Killer)は、アメリカ合衆国の連続殺人事件。現在も継続捜査中である。ちなみに、「ゾディアック」は犯人が手紙の中で使っていた自称である(This is the Zodiac speaking.)。

1968年から1974年のサンフランシスコで警察が確認できた被害者5名を殺害。現在も犯人不明のまま、事件は解決されていない。
1990年代には、ニューヨークでこの事件を模倣した連続殺人が発生した。以後ゾディアックは連続殺人の代名詞にもなる。 結局本事件は犯人逮捕に至らなかったが、IQ136を誇るアーサー・リー・アレンが最有力容疑者候補とされる。当人の死後、彼の犯行を裏付ける証拠品が見つかった為である。 しかし後に手紙についていた唾液のDNA鑑定によって「シロ」と断定された。

●オスカー・スレイター事件

オスカー・スレイター事件は、1908年にスコットランドで発生した殺人事件である。グラスゴーに住む裕福な老婦人が撲殺され、ユダヤ系ドイツ人のオスカー・スレイターが国外逃亡犯としてアメリカで逮捕された。スレイターは一貫して無実を主張したが、裁判では多数の目撃証言を決め手として有罪とされ、死刑判決を下された。

しかし、裁判に対する疑問から集まった助命嘆願によりスレイターは終身刑に減刑され、小説家のアーサー・コナン・ドイルを始めとした多くの著名人も事件の冤罪性を訴えてスレイターを支援した。さらに捜査に加わっていた現職警官も真犯人の存在を指摘する内部告発を行い、政府による事件の再調査も行われた。再調査ではスレイターに対する有罪判決は覆らなかったものの、その後重要な目撃証人たちが相次いで証言を撤回し、冤罪を訴える声が高まったことにより政府は事件に対する控訴を認める特別法を定めた。そして、事件発生からおよそ20年が経過した1928年にスレイターは控訴審で無罪判決を受け、事件は冤罪と認められた。

●リンドバーグ愛児誘拐事件

リンドバーグ愛児誘拐事件とは1932年にアメリカ合衆国で起こった誘拐殺人事件。捜査機関によって犯人が特定されたものの冤罪説もあり、謎が多いことで知られている。

1932年3月1日、初の大西洋単独無着陸飛行に成功したことで有名な飛行士チャールズ・リンドバーグの長男チャールズ・オーガスタス・リンドバーグ・ジュニア(当時1歳8ヶ月)がニュージャージー州自宅から誘拐される。現場には身代金5万ドルを要求する手紙が残されていた。10週間に及ぶ探索と誘拐犯人との身代交渉をしたが、5月12日に邸宅付近でトラック運転手が、長男が死亡しているのを発見した。

2年後、身代券がガソリンスタンドで使用され、ドイツ系ユダヤ人[要出典]移民のブルーノ・リチャード・ハウプトマン(en:Bruno Hauptmann)が浮かび上がった。彼の家には1万2千ドル以上の券と拳銃が隠されており、これは仕事仲間のイシドア・フィッシュから預けられたものだと話していた。後にフィッシュはドイツで死亡していて、渡航の際に券を使用している。リンドバーグが身代を支払った後に、ハウプトマンは大工の仕事を辞めている。ハウプトマンが犯人として注目されると、目撃証言などが報告されている。なお、フィッシュとハウプトマンは詐欺を働いていた過去があった。

3年以上後に、殺人で告訴されたハウプトマンの裁判が始まった。ハウプトマンは裁判の終了まで無罪を主張し、弁護のために大を支払ったが、死刑判決が出され、1936年4月3日に死刑執行された。彼は事件当日に仕事をしているというアリバイがあり、夜の9時に妻を迎えに行っているが、出勤簿などは裁判までに消失している。

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