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戦国無双の石田三成と、加藤清正&福島正則って仲悪いんですか? 清正のストーリーをやったら仲良し…

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戦国無双の石田三成と、加藤清正&福島正則って仲悪いんですか?
清正のストーリーをやったら仲良し三人トリオだと思ってたのに、直江さんのストーリーやってたら、清正と正則が石田を殺そうとやってきてました。 もともと三人は仲良しじゃなかったんですか? まだ石田三成のストーリーやってないし、もしかしたらちょっと考えれば分かるバカな質問かもしれないですが、お願いします。

  1. 匿名 より:

    史実での出来事を簡単に説明します。

    (1)仕官時期・出身地・得意分野の違い
    まず、加藤清正と福島正則は、ほんの子供の頃から秀吉の下で暮らしています。彼らは尾張出身で武勇に長けており、秀吉に可愛がられていました。
    それに対して石田三成は、秀吉がある程度出世して近江国長浜に城を構えた頃から秀吉に仕え始めました。三成は近江人で理財に長けており、理財に強い官吏を重視し始めた秀吉に重用されるようになります。
    三人は年が近かったので(三成が1560年生、正則が1561年生、清正が1562年生)同輩関係になりますが、清正と正則にしてみれば、秀吉の寵愛を三成に横取りされたように感じられたのかもしれません。

    (2)朝鮮出兵
    戦国無双シリーズでは描かれていませんが、秀吉は晩年になって中国大陸を征服する野望を持ち、その手始めとして朝鮮へ兵を送り込みます。このとき加藤清正は最前線で奮闘し、石田三成は軍監として働きました。
    この朝鮮出兵で、清正は部下に対して厳しく当たったり、敵国へ送る書状に「豊臣清正」と勝手に豊臣姓を名乗ったり、仲の悪かった小西行長と先陣争いをしたりしました。「これは規律違反である」と感じた三成は、これらを細々と秀吉に報告します。
    これを聞いた秀吉は激怒し、清正を一時謹慎させます。三成からしてみれば「軍監としての役目を果たしただけ」でしょうが、清正は「父のように慕っていた太閤様に三成のやつが告げ口をしやがった」と思ったことでしょう。

    三成は清正以外の武将についても厳しく報告していたので、黒田長政らの反感を買っています。
    これが三成襲撃事件(無双2,3でいう「三成救出戦」)に繋がるわけです。
    清正・正則・黒田長政ら(武断派)は、秀吉のいなくなった豊臣家で辣腕を発揮する三成との関係を修復することができなかったので、関ヶ原では徳川方についたのです。

    無双では朝鮮出兵についてまったく描かれない(たぶんこれからも描かれないでしょう)のでわかりにくいですが、このような背景があります。
    朝鮮出兵以前は二人の仲はよかったという説もあるようです。

  2. 匿名 より:

    ありがとうございました。
    なんか悲しいな・・・なんて思ったりしました。

  3. 匿名 より:

    ようは三成がねたまれたんですね
    秀吉に可愛がられた三成に清正が嫉妬して徳川側についてしまうんですね
    三成ももちろん悪いんですが清正がもっと器が大きく知性があれば家康の天下もなかったかもしれませんね

  4. 匿名 より:

    悪いです。
    歴史の本みればーーーーーーーーー。
    朝鮮出兵のときからです検索検索しればーーーーー

  5. 匿名 より:

    下の方々が詳しく書かれていますので自分は別の事を……

    仲が悪くなったエピソードを知っていますと、清正の第五話、慶次の第四話、家康のED、左近のEDは泣けます。
    おねね様の第四話のミッションは面白いです。(笑)

  6. 匿名 より:

    (実際にどうかは別として、世間一般に抱かれているイメージ)

    石田三成…政(まつりごと)は得意だが、戦下手。腕っ節も弱い。
    秀吉にはかなり気に入られている。

    福島正則、加藤清正…通称「武断派」、いわゆる武勇一辺倒の武将たち。

    後方であれこれ指図するだけの石田三成が秀吉に重用され、
    戦の最前線で武功を立てた福島・加藤らがあまり評価されなかったために、
    秀吉の死後三成と福島らの対立が避けられなくなり、そこにつけ込んだ家康が
    「武断派」を次々自分の味方にして三成を討った…「関ヶ原の戦い」を
    かなり大ざっぱに説明するとこんな感じになります。
    当時会津にいた直江兼続は、三成と共謀して関東にいる徳川軍を挟撃する
    作戦を立てていました(実際には挟み撃ちできず)。
    つまり歴史的には、三成・兼続と福島らは最終的に袂を分かつ方向で
    描かれる方が自然だということです。

  7. 匿名 より:

    (o゚◇゚)ノあぃ
    戦国時代の話です。

    羽柴秀吉の家臣として初めのころから加藤清正と福島正則は仕えてきました。
    石田光成は家臣になったのは遅いのです。

    ですが、太閤亡きあと、実質的な覇権を取ったのは石田光成です。
    コレが気に食わないのではないでしょうか?

    ちなみに福島正則は関ヶ原の時に東軍(徳川家康)の方についています…



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