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作者急逝により未完の小説・漫画のまとめ20選!

マンガ ライトノベル 懐かしマンガ 漫画

作者の急逝により未完となった小説や漫画についてまとめました。※別人が続きを製作した作品も含みます。

・亡くなられた時系列が新しい順に記載しています

佐藤大輔さん52歳(さとう・だいすけ=作家)22日、虚血性心疾患のため死去。葬儀は近親者で営んだ。

2017年3月22日、虚血性心疾患のため死去。仮想戦記作家として多くの戦記小説を記した一方、学園黙示録HOTDの原作者としても知られる。

架空世界を舞台とする戦記小説。

原作を担当。作画は佐藤ショウジ氏。

2016年10月20日午後9時50分頃、奈良県御所市城山台の国道24号脇の歩道で顔から血を流して倒れている所を発見され、1時間後に死亡が確認された。46歳没。当時、小路は家族に「和歌山にサイクリングに行く。」と伝えていた。リカンベント型自転車による事故とみられている。

【犯罪王ポポネポ】【ごっこ】の作者。

出典tweez.net

作者逝去により、第7話で掲載終了になった事がミラクルジャンプ公式サイトにて発表された。

2016年5月2日、病気により43歳で急逝したことを、集英社ダッシュエックス文庫編集部が公式ツイッターで発表した。

【迷い猫オーバーラン!】【パパのいうことを聞きなさい!】の作者として知られる。クイーンズブレイド(第一期)や涼宮ハルヒの並列など複数のアニメやゲームのシナリオも担当した。

『迷い猫オーバーラン!』・『パパのいうことを聞きなさい!』・『オトメ3原則!』に続く、著者の松による集英社からの刊行4作目となる。今作はダッシュエックス文庫より刊行される。イラストの矢吹健太朗とは『迷い猫オーバーラン!』の漫画版以来のタッグとなる。

2016年5月2日、松智洋が急逝したため、絶筆作品となった。

藤原ここあ(かつて魔法少女と悪は敵対していた。)

『妖狐×僕SS』(いぬぼくシークレットサービス)などで知られる漫画家の藤原ここあさんが、3月31日に亡くなった。藤原さんが連載していたスクウェア・エニックス「ガンガンJOKER」公式サイトで発表された。取材に対し、編集部は「死因は病気」と明かしたが、それ以上は公表されなかった。

2015年3月31日に死去。2012年にアニメ化された【妖狐×僕SS】の作者。

藤原さんが「ガンガンJOKER」で連載していた『かつて魔法少女と悪は敵対していた。』は、4月号(3月20日発売)掲載分が最終回とし、単行本に未掲載分の刊行など、今後に関しては、決まり次第改めて本誌および公式HPで告知する。

2016年3月に3巻が発売された。

帯ひろ志(新装版がんばれゴエモン)

2014年8月2日夕方、脳幹出血を発症して倒れ緊急入院。手当の甲斐なく翌8月3日朝7:40に死去。享年54。

取り急ぎお知らせ致します。昨日夕方、帯ひろ志が、脳幹出血で入院。本日七時四十分急逝致しました。申しわけありませんがお仕事の方は進められませんので、対応宜しくお願い致します。(妻より)

『がんばれゴエモン』シリーズの単行本は長く絶版となっていたが、2013年にシリーズ1作目の『がんばれゴエモン ゆき姫救出絵巻』全3巻を1冊にまとめた新装版が発売された。

Twitterアカウントの名前が『帯ひろ志・新装版ゴエモン続刊準備中』である事から、2作目以降の新装版も予定されていたと思われるが、現時点では以降の新装版の発売が行われるかは不明。

※続編の新装版が発売された場合、更新します。

2014年2月13日午前3時42分に原発性左上葉肺腺癌のため京都市の病院で死去。57歳没。

2012年に癌で入院、一度は退院するも2013年に再入院していた。

雑誌『中央公論』に2013年11月号から連載していた「平安楽土」が絶筆となった。最後となった同作の第6回を編集者に送ったのは死去前日、亡くなる約5時間半前であった。

山本兼一 - Wikipedia

なお、「平安楽土」第6回は3月10日発売の『中央公論』2014年4月号に掲載された。

佐渡川準(あまねあたためる)

2013年8月13日、茨城県北相馬郡利根町の利根親水公園で首を吊って死亡しているところを発見された。34歳没。

代表作に『無敵看板娘』。

『週刊少年チャンピオン』に連載中であった『あまねあたためる』については遺族の了承を得て、完成原稿の分を2013年38号(8月22日発売)、2013年39号(8月29日発売)に掲載し、連載を終了した。

また、『あまねあたためる』の最終巻となる単行本第3巻も2013年11月に発売されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E6%B8%A1%E5%B7%9D%E6%BA%96

ヤマグチノボル(ゼロの使い魔、烈風の騎士姫、ストライクウィッチーズ・スオムスいらん子中隊)

2011年7月15日に、自身が末期癌にあり、抗がん剤による延命治療中であること、
(中略)
2年にわたる闘病生活の末、2013年4月4日に死去したことがMF文庫J公式サイトにて編集長名義で発表された。
(満41歳没)

筆者であるヤマグチは2012年9月の段階でラストまでのプロットを完成させたと述べていたが、2013年4月4日に死去したため、20巻あとがきで表明していた残り2巻を残して当作品は絶筆となった。

アニメ版(4期)のシリーズ構成を担当しており、そちらは完結している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%AD%E3%81%AE%E4%BD%BF%E3%81%84%E9%AD%94

なお、他の作者による21巻の発売が決定した(下記項目参照)。

残されたプロットを元に、21巻が2016年2月25日に発売されることが公式サイトで発表された。(2015年11月25日現在、作者名は公開されていない)

ルイズの母親であるカリーヌ・デジレを主人公に、その若き日を描くスピンオフ小説作品。本編内ではまだ、『ゼロの使い魔』との関係は明かされていない。

四ノ巻は2009年初春発売予定であったが長らく延期し、著者本人も「出ないってことはない」「(設定について)いらん子を書くにあたって悩んでいることがある」と執筆には意欲的だったものの2013年4月4日に亡くなった為絶筆となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%BC%E3%82%BA

 青山景(よいこの黙示録)

2011年10月9日、講談社の関係者から「青山氏と連絡が取れない」と相談を受けた警視庁調布警察署の係官などが自宅を訪問したところ、浴室で首を吊った状態の青山を発見、その場で死亡が確認された。32歳没。その3日前の10月6日には、twitterにおいて遺書めいた書き込みをしていた。

『イブニング』(講談社)にて2010年から約1年間連載していたが、2011年の青山の死により未完となった。

よいこの黙示録 - Wikipedia

第2作となる『えむえむっ!』はテレビアニメ化を果たしたものの、完結を待たぬまま2011年4月18日に32歳の若さで死去した。死因については公表されていない

(8.5巻、9.5巻を含めると12巻)

2008年10月時点でトータルで100万部を超える作品となったが、作者急逝のため絶筆となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%88%E3%82%80%E3%81%88%E3%82%80%E3%81%A3!

臼井儀人(クレヨンしんちゃん)

2009年9月11日、かねてより登山が趣味であった臼井は妙義荒船佐久高原国定公園・荒船山へ単身で日帰り登山に行くと言って、早朝自宅を出発。9月19日になり、荒船山の岩壁にておよそ高さ120mの崖下に転落している男性が登山客によって発見され、佐久消防署に通報された。9月20日に群馬県警察の捜索隊が現場へ直行し、男性を収容して下仁田警察署へ搬送。収容された男性が臼井儀人本人であることが判明した。当地での警察による検視の結果、死因は全身強打による肺挫滅であり、死亡推定時刻は11日午後頃と推定された。

自殺や事件性が疑われたが、現場に残されたデジタルカメラから【崖の下を覗き込むように撮影された写真】が見つかり、誤って足を滑らせて転落した可能性が高いと報じられた。

臼井の死去のため2010年に連載終了。同年からアシスタントらにより『新クレヨンしんちゃん』のタイトルで連載を再開している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%A8%E3%83%B3%E3%81%97%E3%82%93%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93

臼井儀人&UYスタジオ名義で出版が続いている。

2007年には自身が白血病との闘病中であることを明かし、一時は退院したことを発表するなど、経過を『風の聖痕』のあとがきに記していたが、その後、同作が未完のまま2009年7月20日に病没した。享年37。なお、死因については病死であるとしか公表されておらず、生前に公表していた闘病生活との関連性は明らかにされていない。

2007年にはアニメ化、漫画化、ゲーム(テーブルトークRPG)化などのメディアミックス展開が行われた。

富士見ファンタジア文庫(富士見書房)より、2002年1月から2010年3月までに既刊12冊(本編6冊、短編集6冊)が刊行されたが、2009年に作者が死去したため未完のまま終了した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E3%81%AE%E8%81%96%E7%97%95

2010年3月に出版された短編集の最終巻には、長編第7巻として準備中であった未完成の遺稿が収録された。

栗本薫(グイン・サーガ、夢幻戦記、他多数)

2009年(平成21年)5月26日19時18分 – 膵臓癌のため死去。享年56。

正伝が130巻、外伝が21巻(上下巻1編を含むため22冊)刊行されたが、著者が死去したため未完に終わった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AC

正伝131巻以降、外伝22巻以降も発行は続いているが、著者は巻ごとに異なる。

2006年5月までに15巻が刊行されたが、その後は刊行が途絶えていた。著者が死去したため未完に終わった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A2%E5%B9%BB%E6%88%A6%E8%A8%98

【新・魔界水滸伝】(4巻まで)
『魔界水滸伝』の第一部「魔界誕生編」、第二部「地球聖戦編」の後を受ける形で、第三部「銀河聖戦編」として1995年3月に角川文庫から書き下ろしで刊行が開始された。表紙、口絵、挿絵はいのまたむつみが手がけている。1996年11月までに4巻が刊行されたが、その後は刊行が途絶えており、栗本が2009年に死去したため、未完。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%83%BB%E9%AD%94%E7%95%8C%E6%B0%B4%E6%BB%B8%E4%BC%9D

【トワイライト・サーガ】(2巻まで)
表紙は天野喜孝が担当しており、1巻では主人公・ゼフィール王子の正面からの顔が、2巻では横顔が描かれている。文庫版『カナンの試練』あとがきによれば、第3巻の表紙ではゼフィール王子の後ろ姿が描かれ、それと同時に驚くべき真相が明らかになる予定である、とのことであった。しかし第3巻は刊行されず、作者の死去により未完となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%82%AC

【バサラ】(3巻まで)
第1巻巻末の「あとがき」によれば、本作品はもともと舞台の脚本として構想されたものだという。当初、本作品は三部作となることが予定されており、第1部で出雲の阿国と弥勒丸の物語を、第2部で天草四郎とバサラ衆の物語を、第3部で現代のパンクロックバンド「バサラ」の物語を描く構想となっていた。しかし、刊行は第1部の途中、第3巻を以て中断し、作者の死去により未完となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%B5%E3%83%A9_%28%E6%A0%97%E6%9C%AC%E8%96%AB%29

期待の新人として脚光を浴びるも2009年3月、肺ガンのため死去。2007年に作家デビューしてからわずか2年ほどで早逝したが、その作品はゼロ年代日本SFのベストに挙げられている。

伊藤計劃氏(いとう・けいかく=SF作家、本名聡=さとし)20日午後9時ごろ、肺がんのため東京都文京区の病院で死去、34歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者のみで済ませた。

元々は伊藤の第3長編として計画されていたが、冒頭の草稿30枚を遺して伊藤がガンで早逝、生前親交の深かった円城が遺族の承諾を得て書き継いで完成させた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%8D%E8%80%85%E3%81%AE%E5%B8%9D%E5%9B%BD

吉田直(トリニティ・ブラッド)

2004年7月15日に肺梗塞の為、逝去。
(満34歳没)

連載短編『トリニティ・ブラッド R.A.M.』と書き下ろし長編『トリニティ・ブラッド R.O.M.』の2つのシリーズからなる。角川スニーカー文庫より計12冊刊行され、トータルで100万部を超える大ヒット作となったが、作者急逝のため未完のまま終わる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%8B%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89

7巻「極光の牙」の序章までは執筆していた。

設定資料集ではあるが、前述の7巻「極光の牙」の序章、短編2本、生前の作者が残したプロット(今後の展開も含む)が収録されており、事実上の最終巻ともいえる。

たかもちげん(警察署長)

2000年4月頃からたかもちの療養のため、同年5月発売の号より長期休載状態となる。たかもちは同年7月5日に大腸癌により逝去した。

2000年4月頃からたかもちの療養のため、同年5月発売の号より長期休載状態となる。たかもちは同年7月5日に大腸癌により逝去した。連載当初、既に癌に冒されていたことを承知の上で執筆にあたっており、休載前の作品が絶筆となった。没後に「モーニング」誌上で訃報を掲載の上、未完のまま連載は終了となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AD%A6%E5%AF%9F%E7%BD%B2%E9%95%B7_%28%E6%BC%AB%E7%94%BB%29

たかもちの逝去から半年余り経過した2001年2月発売の「モーニング」9号にて「たかもちげん氏追悼読切」と銘打って、たかもちのアシスタントをしていたやぶうちゆうきが、「たかもちげん×やぶうちゆうき」名義で「誘拐捜査」(単行本4巻・文庫版3巻に収録)を巻中カラーで読切掲載する。2001年5月より脚本担当の高原泉を加え、再び連載が開始された。

多田かおる(イタズラなKiss)

『イタズラなKiss』連載中の1999年2月21日、引越し作業中に大理石製のテーブル下の床を雑巾がけしていて一息つこうと頭を上げたところ、そのテーブルに頭を打ちつけてしまう。夜になってから倒れて意識不明となり、18日後の3月11日急逝。38歳没。死因は頭部強打による脳内出血。

1999年3月号まで連載中だったが、作者の急逝により未完となった。単行本は全23巻。

後のアニメ版において、原作の未完部分を作者が遺した構想メモなどで構成し、結末が付け加えられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%BA%E3%83%A9%E3%81%AAKiss

石ノ森章太郎(サイボーグ009)

1998年(平成10年)1月28日死去。60歳没。死因はリンパ腫による心不全。誕生日の3日後であった。

石ノ森が本当の完結編として『Conclusion God’s War』の構想を立てて新たに創刊される『コミックアルファ』の目玉となる予定だったが、病に倒れ描かれることは無かった。2001-2002年のテレビアニメでは、生前の石ノ森が残したプロットを基にその序章部分を映像化している。
さらにそのプロットを、俳優・演出家である長男の小野寺丈が再構成し、本当の完結編となる小説『2012 009 conclusion GOD’S WAR』を執筆。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%82%B0009

藤子・F・不二雄(ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記、チンプイ)

1996年9月23日午前2時10分にその生涯を閉じた。62歳没。死因は肝不全であった。

漫画は62ページの途中あたりで絶筆した。表紙カバーと最初のカラーページ(3ページ)が藤子・F・不二雄の完成品であり、絶筆となった後の部分については下書きや原案を基に藤子プロが作成している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%81%88%E3%82%82%E3%82%93_%E3%81%AE%E3%81%B3%E5%A4%AA%E3%81%AE%E3%81%AD%E3%81%98%E5%B7%BB%E3%81%8D%E9%83%BD%E5%B8%82%E5%86%92%E9%99%BA%E8%A8%98

1991年2月 – 『藤子不二雄ランド』最終巻Vol.301にて、6年間にわたる連載終了。連載最終回では「単行本第5巻(最終巻)は書き下ろしの2話を加えて発行予定」との欄外表記があり、ストーリーとしては完結しなかった。
1996年9月23日 – 単行本第5巻が未刊行のまま、作者永眠。本作は未完に終わった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%B3%E3%83%97%E3%82%A4

手塚治虫(グリンゴ、ネオ・ファウスト、ルードウィヒ・B)

1988年3月に胃を壊し、一度目の手術を受ける。同年5月に退院するものの以前とまったく変わらない多作振りを見せた。しかし同年11月、中国上海でのアニメーションフェスティバル終了後に倒れ、帰国と同時に半蔵門病院に入院。医師の診断ではスキルス性胃癌であった。1989年(平成元年)2月9日午前10時50分死去。手塚の死に立ち会った松谷孝征によるとこの「頼むから仕事をさせてくれ」が手塚の最後の言葉であったという。

『ビッグコミック』(小学館)にて1987年8月10日号より1989年1月25日号まで連載され、作者の逝去により未完となった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B4

「ペンが重たくて、今の自分の状態だとペンが持てないんです」「代筆になっちゃってどうもすいません。本当にお疲れ様でした。」と優しい静かな口調で言い、原稿を渡した。それが竹尾が最後に聞いた手塚の言葉であった。原稿は『ルードウィヒ・B』の最後回(未完のため最後に描かれた回)になった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%92%E3%83%BBB

『朝日ジャーナル』での『ネオ・ファウスト』の連載は1988年1月から開始され1年近く続けられた。手塚は連載中に胃癌で入院するが、ベッドの上でも漫画を描き続けた。手塚は死の間際までこの作品の完成にこだわり、痛み止めのモルヒネを打ちながら、手が動かなくなるまでこの作品を描いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%



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