銀魂キャラ 史実上の人物比較(写真、絵が残っているもの)まとめ | 質問の答えを募集中です! 銀魂キャラ 史実上の人物比較(写真、絵が残っているもの)まとめ | 質問の答えを募集中です!

銀魂キャラ 史実上の人物比較(写真、絵が残っているもの)まとめ

2000年代のマンガ・アニメおもしろ記事! 銀魂

隊士たちから多大の信望を集める真選組局長。「人のいい所を見つけるのは得意だが、悪い所を見つけるのは苦手」と沖田総悟に言われるほどにお人好しな好漢。真選組を結成した後、隊士達をまとめあげ、今まで引っ張ってきた偉大な人物。他のキャラより下ネタ的行動が目立つ事が多々あり、隊士達からは呆れられているようにも見えるが、時として沖田を殴りつけ厳しく諭すなど、「漢」らしい場面も見せる。お妙が「商売として」彼のフォローをしてしまって以来、彼女に一方的な好意を抱き、悪質極まりないストーカー行為を繰り返している。

江戸時代末期の武士。新選組局長を務め後に幕臣に取り立てられた。

クールで熱い真選組の副長。後述のモデル同様、「鬼の副長」と呼ばれ恐れられる真選組のナンバー2。銀時のライバル的存在という一面もあり、顔を合わせる度にいがみ合う様子は「小学生並み」と称されている。極度のマヨラーで、マヨネーズをかけて合わないものはこの世に存在しないと考えており、チャーハンやプリンなどあらゆる料理に大量にかけて食べる。クールかつ二枚目な容姿の為かなりモテるものの、女性に対してはストイックでキャバクラは好きではない。近藤曰く、「真選組一のモテ男」。恋愛にはウブで、山崎や銀時にからかわれていた。ゲームは根っからの弁天堂派で、マリオファン。

幕末期の幕臣、新選組副長。諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。新選組時代には、鬼の副長と称され隊士たちから恐れられた。
戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として武名を顕し、またいわゆる「蝦夷共和国」では軍事部門の責任者に任ぜられて軍才を揮った。明治2年5月11日、箱館五稜郭防衛戦にて戦死。享年35。

真選組一番隊隊長。真選組副長の座および土方十四郎の命を常に狙っている。語尾に「〜でさァ」「〜ですぜィ」「~なんでィ」と付けてかったるく喋る江戸っ子口調が特徴。薄い色素の髪(茶系)と瞳(原作では青/アニメ版では茶~赤)を持つ、見た目は童顔でさわやかな好青年だが、好戦的かつ腹黒・毒舌・ドSである。黒いことを考えている時は不気味な笑みを見せる。短い時間で現実・仮想問わず女性を自分に絶対服従の下僕に調教できる。幼くして両親を亡くし、姉のミツバに育てられた過去を持つ。そのため、唯一の肉親である姉を心から大切にしていた。

幕末の武士、新撰組一番隊組長及び撃剣師範。

山崎と同じ真選組の監察方(密偵)。真選組乗っ取りを企てる伊東に味方する。

江戸時代後期の志士。新選組隊士(諸士調役兼監察方及び柔術師範)、御陵衛士。

メガネをかけた短髪の真選組参謀。真選組に入隊してからまだ1年程しか経っていない新参者だが、文武両道で能力的にかなり優れているため参謀の地位を任されている。武闘派揃いである為政治面に弱い真選組の政治面で主に活躍し(土方は「真選組の頭脳」と呼ばれているが、あくまでも戦闘面の参謀)、その為隊士からの信頼も厚かった。攘夷派・鬼兵隊と癒着しているが、鬼兵隊はただ真選組を壊滅させる為の捨て駒として利用していただけだった。

新選組参謀及び文学師範、のち御陵衛士(高台寺党)盟主

陰陽師集団「巳厘野衆」の頭目で、クリステルの元夫。陰陽師篇にて登場。クリステルと離縁された腹いせにその呪力によりクリステルの天気予報を外させている。

平安時代の呪術師、非官人の陰陽師。

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クリステルの兄で陰陽師集団「結野衆」の頭目。陰陽師篇にて登場。一族歴代最強を誇る天才陰陽師である。

平安時代の陰陽師。鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖。

銀時、桂、高杉と共に攘夷戦争に参加していた人物。かなりの天然ボケかつ能天気な性格で、どんな状況にあっても「アッハッハッハッハ」と呑気に笑う楽天家。まず人を信じることを商いの基本としている。

土佐郷士に生まれ、脱藩した後は志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成した。薩長同盟の斡旋、大政奉還の成立に尽力するなど倒幕および明治維新に影響を与えた。大政奉還成立の1ヶ月後に近江屋事件で暗殺された。

江戸一番の発明家。

江戸時代中頃に活躍した本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。

「狂乱の貴公子」「攘夷志士の暁」「逃げの小太郎」の異名を持ち、幕府から指名手配されている攘夷志士・革命家。痩身白皙、女装をしても違和感の少ない中性的な容姿の持ち主で、ストレートの長い黒髪が特徴。

幕末から明治時代初期にかけての日本の武士、政治家。

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江戸幕府十三代目の先代将軍にして、現将軍茂茂の伯父。

江戸幕府の第13代征夷大将軍。

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建前上この国でトップの地位にある十四代目の現征夷大将軍。そよ姫の実兄。本人曰く「将軍家は代々もっさりブリーフ派で、代々アッチのほうは足軽」らしい。

第13代将軍・徳川家定の後継者問題が持ち上がった際、家定の従弟にあたる慶福は徳川氏の中で将軍家に最も近い血筋であることを根拠に、譜代筆頭の井伊直弼ら南紀派の支持を受けて13歳で第14代将軍となる。

九兵衛の祖父にして剣の師であり、彼女に神速の剣を叩き込んだ張本人。名前の通り性格や思考は極度に貧乏臭い。

剣術の新陰流継承者で、官位は但馬守。新陰流第2世。

九兵衛の父で、柳生家の現当主。九兵衛より背が低い。柳生家の剣とセレブの血筋を守ることに心血を注いでいるため、九兵衛に自身を「父上」ではなく「パパ上」と呼ばせるなど言動に細心の注意を払ったり、猫アレルギーにもかかわらずセレブらしく見せるために無理してペルシャ猫を抱いたりしている。

江戸時代初期の武将、大名、剣術家。徳川将軍家の兵法指南役。大和柳生藩初代藩主。剣術の面では将軍家御流儀としての柳生新陰流(江戸柳生)の地位を確立した。

先祖代々将軍家に仕えてきた名家・柳生家の次期当主。お妙の幼馴染み。髪型はポニーテールで、左目にかかる前髪をかき上げており、逆に右目の方には前髪がかかっている。一人称は「僕」であるが、性別は女。常に剣豪として正装しており、周囲には女性だとは気づかせないようにしている。

江戸時代前期の武士、剣豪、旗本(ただし、後述の事情により柳生藩第2代藩主として数える場合もある)。初名は七郎、通称は十兵衞(じゅうべえ)。江戸初期の著名な剣豪として知られ、三厳を題材とした講談や小説が多く作られた。

赤目で黒髪(アニメでは紺色)の見廻組女副長。暗殺部隊『天照院奈落』から引き抜かれた「殺しのエリート」で、その腕前は近藤に「暗殺剣」と言わしめるほどのもの。確実に相手の息の根を止めることに念頭を置いて攻撃を行う。人を斬ることを趣味のように好んでいるらしく、そよ姫との缶蹴りの際は「自分が鬼になって見つけた人を斬っていく」と危険なルール変更を申し出ていた。声帯模写も出来る様子。

江戸時代末期(幕末)から明治初期の武士(幕臣)。京都見廻組に参加しており、近江屋事件で暗躍したとされている。明治維新後は、自由民権運動を展開した三養社に携わり、榛原郡初倉村(現在の静岡県島田市初倉地域)の村長を務めた。

見廻組局長。名門佐々木家の長男で、文武両道であり「三天の怪物」と渾名される生粋のエリート。鉄之助とは異母兄弟。日頃は目が半開きでつかみどころのない風体だが、性格は冷酷かつ傲慢。妾の息子である鉄之助を見下しゴミ同然に思っている。鉄之助が人質に取られた時にはテロリストグループを壊滅させる名目で、真選組もろとも鉄之助までまとめて始末しようとした。

江戸時代末期(幕末)の武士・旗本、京都見廻組隊士。泰昌、唯三郎とも。兄に手代木勝任(直右衛門)がいる。

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お妙の同僚。坂本辰馬の(一方的な)お気に入り。お妙とは親しく、彼女のツッコミ役に回ることが多い。しかし、お妙の怪力で酷い目に遭うこともある。

中川宮の侍医であった父が死んで困窮していた頃に坂本龍馬と出会い妻となる。薩長同盟成立直後の寺田屋遭難では彼女の機転により龍馬は危機を脱した。龍馬の負傷療養のため鹿児島周辺の温泉を二人で巡り、これは日本初の新婚旅行とされる。龍馬の暗殺後は各地を流転の後に大道商人・西村松兵衛と再婚して西村ツルを名乗る。晩年は落魄し、貧窮の内に没した

「かぶき町の暴君」の異名を持つ、溝鼠組の若頭。関西弁で話す。西郷や次郎長が一線を退いていることもあり、現役ではかぶき町最強と目され最も恐れられている。戦闘でも素手で華陀の部下を圧倒する程の実力を持っている。髪型は七三分けで、7対3を「黄金比」と称えるこだわりがある(モットーもそれになぞらえて、「三借りたら七返す」というもの)。ヤクザらしい非情さと情の厚さをもつ人物。愛犬のメスのダックスフント・メルちゃんにはメロメロの愛犬家でもある。

幕末の侠客、尊王攘夷派の志士。

かぶき町四天王の一人であり、町内でも恐れられている極道の組織である「溝鼠組(どぶねずみぐみ)」の組長。周囲からは「大侠客の泥水次郎長」という異名で通っており、勝男達からは「オジキ」と呼ばれている。お登勢とその夫の辰五郎の寺田夫妻とは、幼馴染(お登勢)と友人同士(辰五郎)という間柄。華陀の企みにいち早く気づき、銀時と共に華陀の軍勢を撃破。その直後の銀時との再戦で敗れた際に、辰五郎の形見のキセルを銀時に破壊されたことと、病院でのお登勢の言葉で長年自分を縛っていた鎖から解放され、四天王からも溝鼠組からも隠居することを決意する。その後、万事屋の計らいで平子と和解して共に旅をすることになった。

文政3年1月1日(1820年2月14日) – 明治26年(1893年)6月12日)
幕末・明治の侠客。

かぶき町四天王の一人であり、『かまっ娘倶楽部』のママ。周囲からは「鬼神マドマーゼル西郷」という異名で通っている。男よりも女よりも美しい心(魂)を持つオカマ。本人曰く「妻が亡くなり、自分が母親代わりにならなければならないという思いが行き過ぎてこうなってしまった」との事。若い頃は「白褌の西郷」と呼ばれた攘夷戦争の初期に活躍した攘夷志士で、銀時・桂ら若い世代の攘夷志士の大先輩にあたる人物。天人襲来時に彼らの戦艦に白いふんどし一丁で乗り込み、ふんどしが彼らの血で染まるまで倒し続けたという。四天王の中ではお登勢に次ぐ貴重な良心的存在。

日本の武士(薩摩藩士)、軍人、政治家。薩摩藩の盟友、大久保利通や長州藩の木戸孝允(桂小五郎)と並び、「維新の三傑」と称される。維新の十傑の1人でもある。

お登勢の夫。生前は岡っ引きであり、極道である次郎長とは立場が違っていたが、お互いにかぶき町に対する想いは強く、親友として共にかぶき町を護っていた。腕っ節はかなりのもののようであった。後に攘夷戦争に参加するも、敵の銃弾から次郎長を庇って致命傷を負い、最期の時次郎長にお登勢とかぶき町のことを頼み、息を引き取る。

江戸時代後期の町火消、鳶頭、香具師、侠客、浅草浅草寺門番である。父は飾職人・中村金八。町田仁右衛門の養子となる。娘の芳は江戸幕府15代将軍・徳川慶喜の妾となる。「新門」は金龍山浅草寺僧坊伝法院新門の門番である事に由来する

万事屋の1階にあるスナックのママで、万事屋の大家。かぶき町四天王の一人でもあり、周囲からは「女帝お登勢」という異名で通っている。本名は寺田綾乃。一見怖そうな外見だが、人情に厚く面倒見の良い性格。従業員のキャサリンやたまを娘のように思っており、楽しく暮らして欲しいと願っている。その性格や銀時の活躍からかぶき町の顔役として名が通っている。50年前の外見は今の姿からは想像できない程の和風美女であり、かぶき町のアイドルだったらしい。同じ四天王にして溝鼠組の組長の次郎長とは幼なじみであり、小さい頃から彼のそばで居続け、彼が曲がってしまわぬよう怒鳴り続けた唯一の人物でもある。

大津で旅館を経営していた大本重兵衛の次女として生まれた。京都伏見の船宿である寺田屋第6代目の主人・寺田屋伊助の妻となったが、夫は放蕩者で経営を悪化させたうえ、酒を飲みすぎたために病に倒れて若死にし、以後は彼女が寺田屋の経営を取り仕切った。人の世話をすることが大好きだったことから、坂本龍馬をはじめとする幕府から睨まれていた尊皇攘夷派の志士たちを保護した。このため、幕府から一時は危険人物と見なされて、牢に入れられかけたこともある。

幕府直轄の警察庁長官。長谷川と同じくサングラスがトレードマーク。性格は過激そのもので、仕事の際は艦隊を引き連れて全てを塵と化して帰っていくことから「破壊神」の異名を持つ。本人単体での戦闘力も相当なもので、拳銃一丁の状態からでも、テロリストグループを壊滅させられるほど。

幕末の大名。陸奥国会津藩の第9代(最後の)藩主。京都守護職。高須四兄弟の1人。血統的には水戸藩主・徳川治保の子孫。現在の徳川宗家は容保の男系子孫である。

侍魂を学ぼうと銀時の元で働く、眼鏡をかけた一見気弱そうで地味な少年。作中では数少ないツッコミ役兼常識人。通称「ぱっつあん」、女装時の名称は「パチ恵」一人称は基本的に「僕」で敬語口調、時には「俺」になる。作中のあらゆるキャラのベース。存在感が薄く、「ダメガネ」や「ヘタレ」などと揶揄されている。最近では周囲から存在を「メガネ」と認識されている有様。ツッコミを入れる能力に長けているものの、最近は自身がボケ役になることも多い。機械(からくり)は苦手と自称しているが、人並みの操作は出来るようである

幕末の武士(松前藩士、新選組隊士)。松前藩を脱藩後、新選組に入隊し、二番隊組長及び撃剣師範を務めた。明治期に杉村義衛と改名し、樺戸集治監の撃剣師範を務めた。

鬼兵隊の首領。「攘夷志士の中で最も過激で最も危険な男」と称される。左目には包帯を巻いており、包帯の下がどうなっているのかは不明[1]。女物を思わすような派手な着物を着用し、キセルを咥え、常に艶めかしい笑いを浮かべている。どこか正常さを失った狂人の様な雰囲気を漂わせているが、同時に様々な危険人物達を惹きつけるカリスマを兼ね揃えている。剣の腕前も銀時や桂に匹敵する実力で、天人相手にも物怖じする事無く、戦いに酔いしれるかの如く、冷酷無比に惨殺していく。洞察力にも優れており、他人の心理を的確に読み取る事にも長けている。戸や窓に立て掛けるや夜中にまだ食事をするや海に浮かぶ船で眠る等の習慣がある。

江戸時代後期の長州藩士。幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍した。奇兵隊など諸隊を創設し、長州藩を倒幕に方向付けた

出典yaplog.jp

少年時代の銀時・高杉・桂らの恩師であり、彼らの人生に大きな影響を与えた人物。既に故人ではあるが、この作品のキーパーソン的な存在。素顔は童顔でどことなく沖田の顔に似ている。長髪で、髪の色は薄く灰色がかっている。性別は男性で、一人称は「私」。口調はとても丁寧で、敬語で話していることから、穏やかな性格であったと思われる。故人になった経緯は一国傾城篇にて寛政の大獄で処刑されたことが明かされた。高杉や桂は当時の教本をまだ持っているが、銀時は「ラーメンをこぼして捨てた」と言っている。

日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者、兵学者、地域研究家。一般的に明治維新の精神的指導者・理論者として知られる。



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