龍が如く極での錦山についての質問です。
錦山はよく10年前のあの日からだれも信用していないと言いますが、
自分は錦山のいうあの日とは堂島会長を撃った日だと思っています。
だれも信用しなくなったのはゲームの途中途中に挟まれるムービーを見る限り、
自分は錦山の妹が死んだ日(若しくは医者に騙されてたことを知り妹が完全に治らないと分かった日)なのではと思います。
そうすると時間的に人を信じなくなったのは10年前ではなく9年前(経過時間忘れてるのでもっと少ないかも)になるのではないかと思います。
となると「10年前のあの日」と「だれも信用していない」に時間的な整合性が無いのではと思うのですがどうなんでしょうか。流石に自分にとってキーとなる日について(大雑把に)10年とてきとうに言ってるとは思えないのですが解説お願いします。
龍が如く極の錦山豹変エピソードは全て後付けの話です。
龍が如く初代なら、堂島組長を殺害した日から誰も信用しなくなったというのは納得出来ますが、龍が如く極では実際に堂島組長を殺害した後も柏木さんや日吉の事を信頼していたわけですし、やはり後付けのストーリーで無理がある話になったと推測します。
あの日から誰も信用していないといった、シーンは7章の桐生と錦山が10年ぶりに再会するシーンと13章のアレスでのシーンは初代からそのまま極に受け継がれているシーンなので、このような矛盾が生まれました。
最終的に錦山が人を信じなくなったのは日吉に騙されて、妹が亡くなった1996年頃でしょう。
僕は初代の設定より極の設定を信じます。
長文失礼しました。
初代は理由なく豹変に近かったんですね…。
自分も豹変する理由としては極みのほうが納得しやすいですね。
なるほど、ありがとうございます。