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舎人の地名の由来は?7つの説は絶対ちがう

日本語の意味

舎人の地名の由来は?

図書館に行けばわかると思ったのですが、確たる由来は不明とのことです。7つの説が書いてあったのですが、1と7の理由については、個人的な考えですが、「絶対ちがう」と思います。
(1)戦国時代の領主、舎人氏から
(7)聖徳太子がこの地を訪れた際に命名

(1)ですが、これを由来にするならば、なぜ、彼らは「舎人」という氏を名乗ったのかが、また疑問になってしまいます、つまり、答えになっていないのです。各国各地の歴史を学んできた経験上からいえば、ここの地名が舎人だから、彼らは舎人という氏を名乗った、そう考えるのが妥当だと思います。

(7)ですが、これは聖徳太子信仰から来るお話で間違いないと思います。
一般的に、聖徳太子、行基、空海、この三名の偉人は、北海道と沖縄を除く、日本各地に寺院を開いた等、何らかの足跡を残しています。これらのほとんどすべては、彼らの死後、弟子たちをはじめ数多くの人たちが聖徳太子、行基、空海に対し敬意を表し、またはあやかって、聖徳太子、行基、空海の名前を出したものです。聖徳太子は、畿内から出たことは無いでしょう。まして、はるか東の、あまたの川が入り組むデルタ地帯に、何しに?

私見では、奈良時代、この地にやってきて、治水工事に四苦八苦した舎人たちに基づく地名だと思います。彼らの苦労は、大自然の前に、幾度も無にされてしまう。高台に寺を開き、聖徳太子をまつって、治水を願う。室町から戦国の世にこの地にやってきた氏族は舎人という名前を名乗る。さんざん悩まされてきた暴れ川も、徳川幕府の大工事により、だいぶ落ち着く。

舎人の地理について

5月6日。「日暮里(にっぽり)・舎人(とねり)ライナー」という東京都交通局が運営している高架電車に乗車し、始発の日暮里駅から、舎人駅まで《終点である見沼代親水公園(みぬまだいしんすいこうえん)駅のひとつ前》乗車しました。これまでは、熊野前(くまのまえ)駅で降りてしまい、その先へは行ったことがありませんでしたが、やっと先へ進むことができました。

JRで上野のふたつ先にあるのが、日暮里。「ひぐらしの里」と書いて、「にっぽり」。付近には「ひぐらし」の名前がついている小学校があります。単に音読みしているだけとはいえ、変わった名前にきこえますね。日暮里舎人ライナーのほかに、常磐線も出ています(上野始発)。

3つ先が、熊野前。なぜいつもここで下車するのかといえば、この駅は都電荒川線の乗換駅だから、都電に乗り換えているのです。ここまでが荒川区の駅、この先は足立区の駅。

熊野前を過ぎて、しばらくすると隅田川を渡ります。そして、右手にケーズデンキ、左手に島忠ホームズがみえるところで、足立小台という駅に到着。どちらかか両方への買い物客のためにあるような駅です。

足立小台をすぎると、また川を渡ります、荒川(放水路)です。そして首都高速をまたぐのですが、このあたりはかなり高いところを通っています。やがて下っていったところで、扇大橋という駅に到着。

その3つ先が、西新井大師西駅。右手の奥のほうに、お寺の屋根がみえますが、それが西新井大師。帰りにここから乗車しましたが、駅から西新井大師までは10数分かかります。

その2つ先が舎人公園で、その次が舎人。舎人図書館が舎人駅のそばにあるということなので、舎人で下車しました。見沼代親水公園とは、江戸川の支流のひとつを公園として整備したものです。駅前だけでなく、舎人駅の方へも続いていますので、次の機会にひととおり歩いてみようと思います。



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