【世界史】大航海時代に活躍した船乗り達まとめ

コロンブス、ヴェスプッチ、バルトロメウディアスなど、活躍した船乗りまとめ

■主な航海者達

定説ではイタリアのジェノヴァ出身。大航海時代においてキリスト教世界の白人としては最初にアメリカ海域へ到達したひとり。

1492年10月11日陸地を発見。コロンブスはその島に上陸し、ここを占領してサン・サルバドル島と名づける。

トスカネリの地球球体説を信用し、『東方見聞録』にある黄の国・ジパングに惹かれていたコロンブスはここに西廻りでアジアに向かう計画を立てる。支援者は、カスティーリャのイサベル王。

コロンビアは、コロンブスの名に由来して命名された国、アメリゴ・ヴェスプッチが虚偽の発表をしなければ、これが大陸名になっていたかも知れない。

アメリカ州を探検したイタリアの探検家にして商人。フィレンツェ生まれ。
1497年 – 1504年の間に、4度、新大陸へ航海。

ヴェスプッチはコロンブスより1年早い1491年に、新大陸(アメリカ)を発見していたと虚偽の発表をした。

後々、嘘は暴かれるが、その頃には彼の名前からとった、「アメリカ」という名前が定着してしまっていた。

北アメリカ大陸の発見者として知られる。イタリア語読みではジョヴァンニ・カボート、英語読みではジョン・カボットとなる。北アメリカ大陸の発見者。

セバスチャン・カボットは息子。息子とともに北アメリカ大陸発見者として名を残す

16世紀のイギリスの航海者。父ジョヴァンニ(ジョン)・カボットと共に北アメリカ大陸の発見者に名を連ねる。イタリア名はセバスティアーノ・カボート。

ポルトガルの航海者で、ヨーロッパ人として初めて喜望峰に到達した。 資料によっては、英語名のバーソロミュー・ディアス (Bartholomew Diaz) と表記される。

1487年8月ジョアン2世の命により、アフリカ周回の航海へ出発。
1488年2月、嵐に遭遇し漂流。アフリカ南端を通過し(気づかぬうちに通りすぎ)アフリカ大陸南のモッセル湾に到達。

1488年5月、帰路に喜望峰を発見する。「ディアスの喜望峰発見」はこの時を指す。ディアスはジョアン2世に、嵐の岬、と報告していたが、ジョアン2世により、喜望峰と名付けられた

ヴァスコ・ダ・ガマの航海には水先案内人として同乗している。

ポルトガルの航海者、探検家である。ヨーロッパからアフリカ南岸を経てインドへ航海した記録に残る最初のヨーロッパ人。

インドへの航路をヨーロッパ人として初めて「発見」した人物であるとされ、カリカットへ到達。

このインド航路の開拓によって、ポルトガル海上帝国の基礎が築かれた。

ポルトガル王マヌエル1世に顧問官として仕えたキリスト騎士団の一員で、彼が隊長として率いた第2回インド遠征隊は1500年4月22日、ブラジルに「漂着」した。
第1回インド遠征隊を率いたのはヴァスコ・ダ・ガマ。

ブラジル、という国名は「カブラル」が語源ではなく、カブラルの航海に同行していた貿易商人が「ブラジル木」(赤色染料の原料となる植物)を見つけて、この地を“ブラジルの地”と呼んだことが始まり。

ポルトガルの航海者、探検家であり、マゼランが率いた艦隊が1522年に史上初の世界一周を成し遂げた。

マゼランはヨーロッパからモルッカ諸島への西回りでの渡航ルート発見を目指し1519年スペイン船5隻の艦隊を率いてスペイン・セビリアを出発した。

マゼランは南アメリカ大陸南端のマゼラン海峡を発見して太平洋に到達し、途中1521年フィリピンで戦死したが、残された艦隊が1522年に史上初めての世界一周を達成したため、世界一周の達成者として名を残す。

■おまけ。大航海時代を後押しした人物

ポルトガルの王子であり、自らは航海しなかったが、大航海時代の初期における重要人物の1人。

名は単に「エンリケ(王子)」(Infante Dom Henrique)だが、歴史史料などにおいても、「航海王子」(Infante de SagresもしくはInfante de Navegador)の称とともに呼ばれていることが常である。

アヴィシュ朝のポルトガル王。「無欠王」と称される。

エンリケ航海王子のアフリカ西海岸開拓事業を継承して、1484年にコンゴ河口、1488年にはバルトロメウ・ディアスの航海により、喜望峰に到達する。

クリストファー・コロンブスの航海事業には協力しなかったため、大西洋開拓ではスペインに遅れをとった。

1495年、41歳で死去した。精力的で覇気に溢れた名君として高く評価されている。

■おまけ2。大航海時代以降の航海者

エリザベス朝のイギリスの航海者、海賊(私掠船船長)、海軍提督。イギリス人として初めて世界一周を達成し、アルマダの海戦では艦隊の司令官としてスペインの無敵艦隊を撃破した。

フェルディナンド・マゼランに続く史上二番目の世界一周を達成した。この途中、1578年にホーン岬とドレーク海峡を発見している。

エリザベス王公認で海賊行為を許され(その代わりにイギリスに奪った財宝の一部を納める)、略奪行為の遠征に出たついでに世界一周を成し遂げる。

オランダの探検家。特にオランダ東インド会社(VOC)の元で行った1642年と1644年の航海が有名である。

1643年には現在のタスマニア島とニュージーランド、フィジーへ到達した最初のヨーロッパ人となった。

オーストラリア東海岸に到達、ハワイ諸島を発見し、自筆原稿による世界周航の航海日誌を残し、ニューファンドランド島とニュージーランドの海図を作製した。

柑橘類やザワークラウトなどを食べるように部下に促し、史上初めて壊血病による死者を出さずに世界周航を成し遂げた。

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