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宗像氏続の墓は何処に存在しますか?

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宗像氏続の墓は何処に存在しますか?

  1. 匿名 より:

    宗像氏続は宗像大宮司家騒動の時、ひそかに白山城を脱出し彦山に逃れていましたが、天文二十二年(1553)十二月二十日、宗像氏貞が差し向けた土橋氏康一党により殺害されました。天文二十三年三月、氏続の死を伝え聞いた、奥方の弁の前と、子の千代松丸は鞍手郡山口村畑(現・宮若市大字山口字畑)の山林まで逃げ延びましたが、林の草むらの中に潜んでいたところを追手に発見され、母子もろとも殺害されました。氏貞後室の憂いは深く、千代松丸とその母弁の前が殺害された山口村畑に両人の霊を神として祀り今宮殿を建立。さらに天正十六年(1588)十月、宗像氏続・弁の前・千代松丸の菩提を弔うため、宗像大穂にある曹洞宗・宗生寺の和尚を招請し、聖観世音菩薩を本尊に円通院を建立しました。弁の前の戒名は円通院花屋貞顔禅定尼、千代松丸は林昌院春幻智生禅童子と言われていますが、氏続の戒名は伝わっていませんし、お墓の存在も不明です。弁の前と千代松丸の拝み墓は円通院境内の片隅にあり、殺害され埋められた地点を、たつ(太刀)の脇と言い、近くに、おちどんと言われる供養塔が建てられてましたが、埋められた地点は県道工事により不明になり、供養塔も農地整理の時に移動させられました。現在、福岡県道92号宗像・篠栗線沿いにかなり風化が進んでいる供養塔が存在しています。

    (補足)宗像大宮司家最後の当主、宗像氏貞のお墓は宗像市上八にある臨済宗大徳寺派に属している承福寺近くの御塔と呼ばれるところにあります。墓石はかなり風化していて、戒名など文字の判読もかなり困難です。しかし承福寺には氏貞と77代大宮司・正氏の位牌が安置してあります。戒名は正氏「隆尚庵殿尖甫祥公大居士」。氏貞「即心院殿一以鼎恕大居士」。

  2. 匿名 より:

    氏続は、尾張国の某氏の養子として向かい活躍しました。祖父の地に墓が在るのか探して居りました。有難う。

  3. 匿名 より:

    資料によるとその人物は宗像神社大宮司職であったが、前職の兄に除外され、職を奪われたようです。おいの氏貞に子がなく、宗像氏も衰えたので、墓があるのかわかりません。



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