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南無妙法蓮華経は成仏しているのでしょうか。曼荼羅本尊の主題のお名前は南無妙法蓮華経です。わたし…

南無妙法蓮華経は成仏しているのでしょうか。曼荼羅本尊の主題のお名前は南無妙法蓮華経です。わたしの解釈に間違いが無ければ、多分、仏様のお名前の様に見受けられます。そもそも釈迦は成仏していたのでしょうか。
自身で成仏したようにも思えますが、現代の私達が理解できるのはそんな伝統があり、弟子たちが経文に残した記述だけです。もともと、その経文にさえ、成仏義は曰く言い難しとくらいしか書いてないらしい。本当に釈迦は成仏していたの?と首を捻りたくなる。信じられるのはそんな歴史が語り継がれ、私にまで届いていること。釈迦を成仏させたのは仏教を語り継いできた人の歴史の中にこそありそうだ。日蓮は海辺の 旃 陀 羅 が子らしいです。京に上った弟子の京なまりを叱り、田舎坊主でかまわないじゃないか。むしろ、田舎坊主であるべきだと言っている。幕府の要人に、浄土宗や禅宗の寺院を焼き払って僧侶を由比ガ浜で斬首せよと言っている。真蹟として残る最後の御消息が栗鹿毛の馬の心配。お気に入りなので、ひとに盗られたらどうしよう、くたびれているようなので休ませてやりたい。一番心配なのは日蓮ご自身のことなのに、いい気なものです。およそ、坊主らしくないことをぬけぬけという、今生未練坊主です。だけど、自分の死は覚悟していたらしいです。凡夫のままの成仏ってこんなもので良いのではないでしょうか。仏らしさを勘違いしていませんか。娑婆に未練ありありだけど、自分の生死は一乗と思い定める。やるべきこと、できることはすべてやった。日蓮はいい坊主です。これ以上日蓮に何をさせたいですか。何をしなかったから成仏してないんでしょうか。何をしたから成仏できないのでしょうか。日蓮はリアルに信仰し、有言実行、釈迦の衣鉢を真正面から受け継ごうとした。こんな馬鹿正直なひとが居ていいのでしょうか。日蓮一人、成仏させられない仏教じゃしょうがないじゃありませんか。釈迦は悟りを伝えようとした。ならば、その悟りを実現する方が現れるはずではないでしょうか。仏滅後2000年何人かは成仏したらしい。2000年を過ぎて成仏する方はいないのでしょうか。それにしては仏滅後2000年より現在の方が幸せな浄土に近づいている気がする。現代人は仏を観られなくなる病気に罹っているのかもしれません。日蓮一門の連帯を希求します。このままの仏教の残り香を楽しむような信仰では静かに衰えるだけでしょうね。昭和とともに日蓮の宗教も死に体で博物館行きかしら。南無妙法蓮華経さえ成仏させられず、広宣流布さえ宣言できない。一門の宗義さえ明確にできない。後世、歴史家が平成の初めに広宣流布を発見しそうです。

  1. 匿名 より:

    白蓮さんこんにちは、

    上行ご自覚の日蓮上人が,末代に流布される一大秘法の曼荼羅本尊、
    この大書されている「南無妙法蓮華経」の法華経の題目。

    これについて、「私はああ想う、いや、こう想う」意見百出でしたが、いかがでしょう、

    図顕された上人ご本人の説明が
    日興師写本、大石寺蔵、57歳御作の「本尊問答抄」に詳しいですよ。

    結論から申し上げれば、大書されている「南無妙法蓮華経」は、不空の指摘した顕本以前の釈迦仏ではなく、法華経本門で明かされた「久遠常住仏」すなわち「久遠実成釈迦牟尼世尊」そのものなのですよ。と、

    かっての法兄に、上人自ら、二十数門の質問を設け、自答されていますね。

    字数の関係で、真言宗破折はとばして、今回の「法華経の題目」に焦点を当てて、掻い摘んで書いて見ます。

    まず、
    問うて云く、末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや。
    答えて云く、法華経の題目を以て本尊とすべし。
    ***
    有名な御文ですね、是を受けて、
    ***
    〔問〕それはどの経文、いずれの学僧の解釈によるのか?
    〔答〕法華経の第四巻の法師品第十には
    「薬王よ。この経を説き、あるいは読み、あるいは暗誦し、あるいは書くところ、またはこの経のある所はどこであっても、
    七種の宝石で飾られた高く広い立派な塔を建てて供養せよ。

    なぜなら、この法華経の中には仏の全身がましますから、
    したがって、別に舎利(遺骨)を安置する必要などない」と説かれている。

    そして、涅槃経の第四巻の如来性品には
    「迦葉よ。諸仏が師とするものは法である。そのために諸仏は法を敬い供養する。
    法が常住永遠であるから諸仏もまた常住なのである」と説かれ、

    又同じように、天台大師の法華三昧懺儀には
    「道場の中によき高座を設けてただ法華経一部を安置せよ。

    仏像や舎利やその他の経典を安置する必要はなく、法華経一部だけで良い」と述べられている。
    * ******

    しかし、我が国の宗はみな本尊はまちまちであるが、それでも、どちらの宗も、釈迦如来、大日如来、阿弥陀仏、等と
    「法ではなくて、仏を本尊」としている。

    しかるになぜ天台宗のみ法華経を本尊とするや。

    答う、かれらは仏を本尊とするが、これは経を本尊とす。それには理由があるのです。

    問う、その理由とはなんですか?そもそも、仏と経とでは、いずれか勝れたるや。

    答て云く、本尊とは勝れたるを用ゆべし。釈迦を以て本尊とすべし。

    問う、本尊とは勝れたるを用ゆべしと言い、すなわち釈迦を以て本尊とするべし、と言いながら、実際には、「法華経の題目」を本尊としているでは無いか、どういうことなのか。

    答う、冒頭に述べたように、法華経の第四巻の法師品第十。続いての二例目は涅槃経の第四巻の如来性品。
    そして三例目は天台大師の法華三昧懺儀にあるように、

    たとえば、
    仏の遺骨を拝する必要などありません。この法華経は諸仏の親であり、釈迦仏の全身であります。
    遺骨ではなく、法華経を安置する事は、諸仏の師を奉じる事であり、釈迦仏の全身を礼拝することになるのです。と。

    簡単ですが以上です。

    ここでは、法と仏とはどちらが勝るのかと設問し、勝るを本尊とすると、そして、釈迦仏を本尊とすると明確に述べています。

    さらに、釈迦仏が本尊とした本尊と、天台が本尊とした本尊と、末法の日蓮もこれを本尊とすると語るのです。

    ここでも、「ああだこうだ」と言うよりも、釈迦仏の本尊か、天台の本尊か、
    末法日蓮の本尊かを見つければ良いでしょう。

    無難なところで、上人が説く天台宗の本尊が御書「一代五時鶏図」(632ページ)にあります。

    しかし、これは、上行日蓮だけが明かすことが出来る、「天台の本尊」なのです。

    天台は、此の「秘法」を知っていても明かさないので、俗に言う「幻の本尊」なのです。
    お気付きの様に、薬王天台も、上行日蓮も、「付属の儀式」には列席しているので、
    「顕本を明かした後の本仏」をご存知なのですね。

    さて、
    >釈迦仏は成仏したのか?
    ですが、菩提樹下での成仏は「応身釈迦仏」ですよね。迹化菩薩天台と異なり、
    「久遠常住仏」を本化上行日蓮は「無始」と見ます。

    諸仏は「何時何時、仏に成った」と言いますが、「久遠常住仏は成りません」元から仏なのです。
    ですから、今更「仏」になる必要が無いのです。「始成」と「久成」で区別しているのでしょうか。

    それから、「成仏出来ない人」と、『願って成仏しない人』との二種類の一闡提についてのご指南は
    「爾前二乗菩薩不作仏事」(424頁・曾存)
    「二種の一闡提と名(なづ)く・・・・」に詳しいですよ。

    本化上行大菩薩は誓願して私や、白蓮さんなど、衆生が成仏してから、成仏するらしいですね。

    出来ないのではなく、願って「しない」のですよ。

  2. 匿名 より:

    やはり広宣流布しているみたいです。菩薩誓願をよくよく考えると、言い出した、思いついた段階で成仏しているようです。思い出したり、気付いたりしなさい、ってことらしいです。人間が忘れっぽいだけなのかもしれません。それなので、題目ぐらい拝んで、唱題しなさいってことかしらん。ますます、日蓮が南無妙法連華経如来に見えてきてしまいました。以何令衆生 得入無上道 速成就仏身

  3. 匿名 より:

    末法500年の間に広宣流布されないと釈迦の教えは「釈迦は大妄語(大嘘つき)の仏、多宝仏の証明もはじけた泡沫」という事態が現実となって、「教主釋尊は無間地獄に墮おち、多寶佛は 阿鼻の炎にむせぶ」(報恩抄)事になるらしいです。仏教はインド、支那、朝鮮で途絶え、日本でも古文書研究の学問に名残を留めるだけのようなものになってしまうのでしょうか。南伝、チベットは大丈夫なのでしょうか。仏教って残り香を楽しむ、アロマテラピーとして完成し人の心を万年に渡り癒し続けていくのでしょうか。お香の名前に釈迦、龍樹、天台、最澄、空海、日蓮ってのも面白いかもしれません。エキゾチック、スパイシー、フルーティー、眠りに誘うような、こくに深みがあるとか味わえばいいのでしょうか・・・・・・・・・・・・・。広宣流布しているのじゃないかしら。南伝だって大東亜戦争なんて言って止むに止まれず戦って、負けて勝ったみたいな、複雑な流れがあるんじゃないでしょうか。広宣流布の実体論みたいな、なにか物差しが見えにくくなっているだけじゃないのかな。江戸、明治、大正、昭和、広宣流布していました何てのが発見されたりして、面白いかもしれません。

  4. 匿名 より:

    みんな、本当に南無妙法蓮華経が好きなんだ。嬉しいです。儒下内およそ人間の理解できる道理の通った考えは丁寧に読み解いていけば、人間に体得できないはずがない。と言う人間に対する楽観論が大聖人にはあります。慈悲広大ということでしょうか。南無妙法蓮華経を素直に読めている人は既に菩薩でしょう。人の考えは進化・深化・熟成します。残念ながら、偉大な人の教えは固着し、進化・深化・熟成を拒むところがあるようです。日蓮は偉いです。麻のごとく乱れて、解決の糸口が見えなくなっていた時代を、人間を読み解いたのです。巡り合わせが良かったのでしょうか。彼も、感謝感激して泣いていました。仏教の中に「法華経」を見つけたのです。解ってしまったんです。解ってしまった場合、人はどうすればいいのでしょう。広宣流布しかありません。進化の袋小路に迷い込み破綻が見えている仮の教えに樹冠を譲る訳にはいきません。すくすく育つ人間の木の樹幹の最頂部は燦然と南無妙法蓮華経の枝葉が茂っていなければならない。人が仏菩薩、南無妙法蓮華経になるのです。わたしは日蓮を仏菩薩、南無妙法蓮華経と見ます。曼荼羅本尊は日蓮己心の釈尊を表したものと見ます。釈尊も拝みたくなる畢竟です。釈尊も環境が整っていれば表したかったのかもしれない。まだ、釈尊の生み出した仏教は菩薩として歴劫修行を積み重ねる必要があったのでしょう。教えとか経典は生きて完成されなければいけません。法華経を身にもって読み、その中で生きたのは誰でしょうか。法華経を成仏させたのは日蓮です。法華経が成仏し南無妙法蓮華経になります。南無妙法蓮華経は日蓮の戒名です。曼荼羅本尊は今となっては日蓮の位牌です。大石寺の大御本尊なんか丸っきりそのまんまでしょう。黒漆で塗り固めた板に金文字と言えば位牌か老舗の看板と決まっています。日蓮は成仏してますか。血脈を継ぐ方々が成仏させなきゃだめじゃないですか。南無妙法蓮華経物語に広宣流布の落ちをつけないでどうします。地涌の菩薩すでに湧いて出てるんじゃないでしょうか。広宣流布してるんじゃないでしょうか。内証神秘の類一切合財公開されています。宗義は広宣流布してるってことです。御本尊のお姿だっていつでも見られるじゃないですか。曼荼羅本尊・日蓮己心の釈尊を拝んで、私にも見えたような気がしましたといえば言いだけです。大聖人の己心と同じものが私の中に湧いて出てきてしまいました。凡夫のままの成仏です。特別なことなどありません。今日もいい日になるんじゃないか。明日もいい日になるんじゃないか。そのくらいかもしれません。わたしは僧形日蓮が大好きです。釈迦如来像の顔を日蓮風にして大聖人だと言われても、納得できません。日蓮は坊主姿できまりです。末法の成仏って菩薩に戻って良いんじゃないでしょうか。のこのこ娑婆で暮らしている仏様が菩薩。娑婆を浄土にしてしまうんだから、ありだよね。それから、日蓮の再誕もよろしくお願いします。どんなお姿で登場してくれるんでしょうか。想像しただけで、わくわくが止まらない。仏教ならできそうです。不可能を可能にする信心です。手始めにアニメなんかでどうでしょう。

  5. 匿名 より:

    南無妙法蓮華経はいっちゃってますね。

    法華経というのは、ブッダが他界してのち、1000年ほどたってから作られた書物です。法華経は、生前のブッダの語られた言葉ではなく、誰が書いたかも解らない書物とされます。一説によれば、その当時悟った人がいて、その人にブッダが霊体で現れて語った言葉を書物にしたものとされています。そのことを日蓮氏は知らなかったと考えられます。また、妙法蓮華経というのは、霊のブッダがつけたお経の名前ではなく、誰が考えたかわからないお経の本の名前であるということです。(宇宙一の仏とされる日蓮氏がそれを知らなかったということになりますね。)それはさておいて、法華経の教えは釈迦牟尼の発見した法にそうものであるかどうかについてみるならば、添うものであるといえるようです。
    法華経がこんな有様ですから、当然、南無妙法蓮華教という経文はありませんし、南無妙法蓮華教を「法」と見ることには、無理があります。
    余談ですが、歴史的に例えるならば、1000年ほど前、鎌倉時代に生きた人で、(源の頼朝)なり、(日蓮)なりが霊体で現れて言葉をかたったとします。語った言葉を今の時代の人が、「大日蓮教」とでもなずけて書物にしました。そうして、誰が書いたかも解らない「大日蓮経」ですが、今から1000年後(西暦3000年頃)になると、これこそが本当の教えだ!これが日蓮の教えの真髄だ、という風に信仰者が言い出すようになって、いつしか、本当に日蓮の説いた教え、ということになってしまうようなものと考えると良いかと思います。(かえって解りづらかったかも・・・)

    早い話、ブッダが生きて広めたお経文ではなくて、死んで1000年してから、どこかの人が(KKのように)「ブッダの霊言」という書物をつくったところ、ベストセラーとなったので、それがいつしかもっとも尊い「真のブッダの教え」になってしまった、ということです。

  6. 匿名 より:

    あなたのいう御本尊はどちらの御本尊ですか?曼荼羅本尊は仏の内証を有しておられますが、日蓮大聖人御述作の御本尊か大聖人から代々血脈付嘱を受けられた方の御本尊でないと成仏はしていません。家庭に御安置させていただく御本尊については、御僧侶による入仏式を執り行っていただかないといけません。それから、曼荼羅本尊の主題のお名前は南無妙法蓮華経とありますが、違います。南無妙法蓮華経日蓮までです。あなたの述べていることは似て非なるものであると仏様が叱咤されているところの宗教の誤った知識のように思われます。大聖人を末法の御本仏であると読みとれていないあたりなどがそうですね。それでは皆目見当違いでしょう。そして成仏に欠かせないのは信だよと、言われています。あなたには心からの信がありませんね。おそらく偽本尊を拝んで、偽の教学を学んでいるのではないでしょうか。その他にも田舎坊主の話や寺を焼き払う等など、あたかも事実のように述べるのはやめることをすすめす。「一門の宗義さえ明確にできない。後世、歴史家が平成の初 めに広宣流布を発見しそうです。」とありますが、このような嘘、デマを真に受けるのですか?これこそ、日蓮大聖人の御精神からも、邪義、邪法、邪師に惑わされた大謗法であると言わねばなりません。どこの誰がそのようなことを言ってるのですか?その歴史家とは誰かをはっきりさせてください。自信があるのなら、日蓮大聖人の名前は挙げて、その歴史家とやらの名前を出さないのは可笑しいではないですか。大聖人の時代から広宣流布は始まっているのですよ。一刻も早く改めてください。邪義を主張し続ければ深い罪障を積んで、現証がでますよ。

  7. 匿名 より:

    釈迦は、輪廻?転生?宿業?六道?十界?死後の世界などと一言も言及していませんが?そもそも、今、生きている己の時間と立場において、物事に対して、遜って真摯に取り組む修行もせずに、日蓮とやらと己の意に沿わないだけのチッポケな理由で、畜生?凡夫?島国根性?腐れ外道?聖教新聞の邪悪なコラムの表題で残忍な虐殺の兵器である寸鉄とやらで痛めつけてやる?などと真顔で吠える者どもが妄信、盲従する、何妙法蓮華経?曼荼羅本尊?は釈迦が戦った、ウッパニシャド哲学、バラモン教の邪義であるのは一遍の曇りのない歴史の事実ではありませんか?



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