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嫌儲ジジイの2chコピペまとめ「牛乳が高価だった」「満鉄に勤めてた」

マイナー2chコピペ

牛乳が高価だった

時代背景が今とは違う
豚肉なんて今とはぜんぜん違う価値

俺もバナナなんて食べたことなかった
小学生の時、クラスメイトが高熱で何日も寝込んで学校来れなくて
お見舞い行ったら「牛乳飲んだんだ」って自慢してて、とっても羨ましかった
その数日後にそいつは死んだけど、今思うとそれを予期してたから
親御さんは当時は高価だった牛乳を飲ませてやったんだろうなぁ
医者に見せる程の金はないけど、牛乳ならなんとか買ってやれる、そんな時代だった

2010年代生まれの若者は理解出来ないだろうな、俺ら嫌儲民の幼少時代の話は


>>2
悲しいけど、優しい時代だな


>2
牛乳が高価って昭和20年代とかだよな
びびるわ

カメラが買えず写真がない

うちは貧乏な母子家庭で、俺が生まれた時はカメラなんてなかった
だから写真の変わりに母さんが色鉛筆で俺の絵を描いて、アルバムにしてた
絵は上手じゃない
ただ、どうにかして形に残したかったらしい
ほぼ毎日、赤ん坊の俺を一生懸命描いてた
絵の隣に『キゲンが悪いのかな??』とか『すやすや眠ってます?』ってコメント付きで
小学四年生の時、家に遊びに来た友達数人に、そのアルバムを発見された
めちゃくちゃ笑われて、貧乏を馬鹿にされた
友達が帰って直ぐ、俺はアルバム三冊をバラバラに破いてゴミ箱に捨てた
パートから帰って来た母さんがそれを見つけて、泣きだした
破いた理由を言っても、変わらず泣き続けた
翌朝起きると、居間で母さんがゴミ箱から絵の破片を集めてセロハンテープでとめてた
「恥ずかしい思いさせてごめんね。でもね、これ、母さんの宝物なんよ」
申し訳なさそうに優しくそう言われると、涙が溢れ、俺はごめんなさいと謝った

野球、楽しかったよ

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。学もなく、技術もなかった
母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計を立てていた。それでも当時住んでいた
土地は、まだ人情が残っていたので、何とか母子二人で質素に暮らしていけた。

娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに
遊びに行っていた。給料をもらった次の日曜日には、クリームパンとコーラを買ってくれた。

ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。俺は生まれて初めての
プロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少しだけ豪華な弁当を作ってくれた。

野球場に着き、チケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。母がもらったのは
招待券ではなく優待券だった。チケット売り場で一人1000円ずつ払ってチケットを買わ
なければいけないと言われ、帰りの電車賃くらいしか持っていなかった俺たちは、外の
ベンチで弁当を食べて帰った。電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら、
母は「母ちゃん、バカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。

俺は母につらい思いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命に勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。結婚もして、母に孫を見せて
やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように
「野球、ごめんね」と言った。俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが、最後まで声にならなかった。

昔満鉄に勤めてた

昔満鉄に勤めてたけど戦況が悪化したら
当然のように兵役に取られたな
終戦の時、家族はなんとか本土に引き上げられたけど
俺はロシアに捕まってシベリアで地獄見たし
露助だけは今でも許せんわ


今50でここの皆んなよりちょっと歳が平均より行き過ぎてるのかな?って思ってたけど
>>1とか見るとまだまだヤングなんだな


>>1
ガラケーからスマホへの買い替えで
老人もネットサーフィンする人が増えたからな
嫌儲にも戦前生まれの人がある程度いるよ

60年代でもカラーテレビはあった

60年代でもカラーテレビはあったぞ
俺んちは68年の夏にカラーテレビが来てメキシコシティ五輪をギリカラーで見れた
まあお前らの家は貧乏だったから白黒だっただろうけど



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