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ドラゴンクエスト

ドラゴンクエスト ユアストーリーについて
最近、こんな記事を見つけました。

何となくモヤモヤしていたものが納得できたというか…。
あの映画そんなにダメでしたでしょうかね?

  1. 匿名 より:

    長年のドラクエファンで、映画館で観ましたが、楽しめましたよ。
    戦闘シーンの迫力はあったし、原作との違い(ストーリー展開や他ナンバリングBGM)にも自分の中で注意深く見る動機にもなったし、全体的には楽しめました。
    最後にラスボスが姿を現して語っているシーンだけは冷めましたが、その後の主人公の反論で終わり方は良かったかと思います。

  2. 匿名 より:

    ありがとうございます。
    何となくなんですが、あのドラクエの全盛期の時代ってゲームをする事がどこか恥ずかしい時代だったんじゃないかって思うんですよね。今ほど認められていないと言いますか。
    私もそういった家庭で育ち、長らくその価値観に囚われ続けていたので、あの映画のラストシーンを見て、世間に隠れてでもドラクエが好きだった自分を肯定してくれた事がすごく嬉しかったんですよ。
    だからあのラストこそがあの映画の真髄だと思うというか、あそこがあれだけ否定されるっていうのがとても理解できなくてモヤモヤしてたんですよね…,どうして鳥山明の絵を使わない事が観客を見下している事になるのかが分かりません。鳥山先生の絵はああいう3Dポリゴンの絵で生きるとは思えないのでむしろ正解だと思います。

    二時間足らずの映画でドラクエ5をやるんですよ?ストーリーが圧縮されることくらい分かっていたはずかと。
    ハリーポッターの様な連作でもない限りああなる事は分かっていたはず。むしろその中でよく纏めたと思いますけれど。
    ウイルス駆除が開発元の役目って…あの瞬間に突発的に発生したエラーがあって、それを世界を愛する主人公が直そうとすることになんの罪があるんですか?

    テキトーではなく、限られた状況で最適解を模索した結果なだけではないでしょうか。こうなった以上読み違えた感はありますが、それでも変な邪推や偏見で実際のものより過小評価されてる気がします。,うーん、どうなんでしょう。ffのフリオニールやセシルを自分だと思ってプレイした事はないですし、ff自体もそう扱ってはいないと思います。はなから主人公をプレイヤーとしているドラクエとは違うと思いますけど。

     それに「大人になれ」を否定する話でしょ、ユアストーリーは。
     なのに「大人になれ」がお茶を濁して嫌いって…それは話をただ読み込めてないだけでは?
     CRPGとかそこまで難しい話ではなく、「ドラクエでのプレイは思い出であって、無駄なんかじゃない」って伝えたい映画だったことくらいは、冷静にストーリーを追えばわかると思うのですが。

    ライブスペクタクルも別に悪いとは思いません。すぎやまさんはそもそも新曲を書いた訳ではないですから記述が少なくてもおかしくないですし、それは推測でしかないのでは。,鳥山さんのデザインがあの3D絵で生きるとは思えなかったのでビジュアル云々はむしろ一番ましな部分だったのではないかと思いますけども

    オチがどうして酷いのかの理由が知りたいです。

  3. 匿名 より:

    難が多い映画ではあると思いますが、その中身はドラクエの時代からゲームを続けてきた人々にとっての応援であり、それはもっと伝えられるべきじゃないかなと思います。
    「この映画の良し悪しを決めるのは、あなた自身がドラクエが好きかどうか」という数少ない肯定意見を以前どこかで読みました。過剰な印象低下に振り回されずに冷静に映画を観たからこそ受け取れたメッセージだと思いますし、その通りだと感じました。

  4. 匿名 より:

    > あの映画そんなにダメでしたでしょうかね?
    はい。少なくとも自分にとっては。

    まず、ストーリーを圧縮し過ぎて、(原作には間違いなくあった)観ていて感動するところがありませんでした。
    終盤でストーリー圧縮の物語上の理由付けは分かるんですが、それが分かったところでつまんないものはつまんないんです。(唯一、天空の剣を抜くところは、ベタだと分かっていても熱くなりました。)

    で、問題のクライマックスのVR問題ですが、VRオチ自体が陳腐で個人的に好きじゃない、ということは一旦置いておくとしても、「その世界はVRだった」というアイデアが、全く練られていないんです。
    「ゲームを壊そうとするコンピュータウイルスを倒せ」って言われて、主人公はなんか主張しながらその通りやっちゃうんですが、「そもそもウイルス駆除は開発元の役目であってプレイヤーのやることじゃない」という現実が邪魔して、終始「ハア?」でした。
    でもって、この世界が作中で「主人公のプレイするVRゲーム」という設定なら、少なくともモンスターのデザインは鳥山明氏の画に似せるべきで(じゃないとドラクエVの”人気にあやかって”作られた未来のゲーム、という設定に説得力がない)、ところが出てくるモンスターのデザインは「原作を元にしてるっぽい」という程度の質の悪さ。主人公がプレイ前になんでそんなにワクワクしてるのか、全く共感出来ません。
    他にも言いたいことは(クライマックスだけでも)山ほどありますが、とにかく終始テキトー感満載で、監督の「所詮(自分がやったことない)ゲーム原作。これくらいでいーでしょ。」という、”観客を見下してる感”が映画全体を覆っていて、とても不快でした。

  5. 匿名 より:

    記事の筆者はコンピューターRPGとしてのメタな展開こそ評価されるべき旨の持論を展開していますが、それ自体が月並みですね。
    FFですら初代やⅢ(ものによってはデフォルト名も変更できるタイトルだってある)でプレイヤーを引き込める”本質”自体は全く同じです。垣根というものはありません。

    またフォローしているウィザードリィなどは自由度の極致でそれこそ元祖。
    そのウィザードリィの二次創作にも一種のメタいコミカライズ版はありましたが流石にプレイヤーを唐突なVRネタで「大人になれ」などと狭量且つ軽率な横やりでお茶を濁す展開はない。つまり破綻してはいかんのですよ。もしあの映画について論ずるならドラクエのみならずCRPG(下手をすれば他のジャンルも巻き込んだ)そのもののアイデンティティに斬り込む覚悟を持たねば意味がない。

    あの制作陣に相応の器量があったとは思えません。
    この時点で企画倒れだったという事になります。

    それに「ドラゴンクエスト」のお題目を真っ向勝負に持ち込むなら”ドラクエⅤ”をテーマにした意義もその程度です。何故ならⅤありきで成り立ってるシリーズではないので。ツボを完全に外しています。
    まだ素直に物語に準えたオリジナル展開の方が真摯な姿でしょう。
    既にノベライズ、ドラマCDといった前例がありながらもそれは大雑把にスルーした内幕は版権騒動の悶着が起きた事実が証明済ですから。

    全国興業のライブスペクタクルもそうですが、この時期のドラクエは制作者の晩節を危うくする肥大化した企画ものが頻発しています。ユアストーリーもその延長です。すぎやま先生もパンフでのコメントが少ない。あの方は最も目の肥えたゲーマーですから、クオリティを悟っていたことは明白です。

  6. 匿名 より:

    ダメでしたね
    内容もそうですが、キャラデザから鳥山明を外したのもダメですね
    まあ結果としてはあんな駄作に鳥山明が関わっていなくてよかったと心からホッとしていますけれど

    声優に芸能人を使ったのも好きじゃないですね
    下手くそでただでさえしょうもない内容に集中できなかったですし
    オチは歴史に残る酷さでした

    まあ山崎貴の通常営業って感じの作品だったのでは



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