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『信長の野望』をやっていればわかりますが、柴田勝家が当時の状況下で秀吉を倒すのは無理ではないで…

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『信長の野望』をやっていればわかりますが、柴田勝家が当時の状況下で秀吉を倒すのは無理ではないでしょうか?
柴田勝家は特別な勝算があったのでしょうか。
まだ、関ヶ原の三成の方が可能性があったと思いますが・・・

  1. 匿名 より:

    勝算があると言うより、待っていても状況が悪化するのが確定的だったからだと思います。
    この時点では、四国の長宗我部、紀州の根来などの宗教勢力、土豪など畿内周辺の有力者はまだ恭順していません。また、中国の毛利も講和を結んだだけで、完全に秀吉の味方になったわけではありません。
    しかし、時間が経てばそれらの勢力は平定され、ただでさえ人口が多く経済力が豊かな畿内を抑えてる秀吉に対抗するのは不可能になります。
    感情的に下につきたくないというのも大きいでしょうが、分が悪くとも賭けが成立しそうな最後のタイミングが賤ヶ岳の戦いを起こしたあたりであると思います。

  2. 匿名 より:

    納得です。京都を取られたら終わりです。,確かに、19万石と250万石では厳しいですね。
    ましてや相手は織田信長以降の百戦錬磨です。
    せめて、望地輝元を引っ張り出さないと、と思います。,佐久間盛の賤ヶ岳砦攻撃が唯一の見せ場でしょうか・・・
    回答ありがとうございます。,そう思います。
    ありがとうございます。,ありがとうございます。

    例えば、元亀争乱の頃武田信玄は信長包囲網を完成させ信玄は上洛作戦を開始しました。

    小牧長久手のときも羽柴包囲網なるものを聞いたことがあります。

    しかし、賤ヶ岳のころは柴田は包囲網を敷けておらず背後に上杉の脅威を残したままとなっています。

    びびって柴田勝豊降伏、前田利家まで敵前逃亡してしまう始末です。

    関ヶ原のときも、勝つかどうかわからない人、絶対勝とうと言う意志がない人は動かない傾向があります。

    柴田勝家はよほど自信があったか、義憤に駆られたとしか思えません。,やはり、西南戦争のときのように感情的な面が強いのですね。
    ありがとうございます。

  3. 匿名 より:

    みなさま、回答ありがとうございました。

  4. 匿名 より:

    関が原で三成の勝つ可能性なんて限りなく0だと思いますよ。
    あれは天下を取るために徳川家康の上手くのせられて挙兵しただけ。兵力だって徳川家康は自前の兵力で充分戦える兵力を持っていたけど、三成は所詮19万石、総大将に祭り上げた毛利家を初めとする他の大名家頼りでした。まだ勝家のほうが少しは可能性があったでしょう。

  5. 匿名 より:

    というか賤ケ岳の時の秀吉はとんでもないぞ。
    勝家に奪われた長浜城は得意の調略で一日で無血開城。それも勝家と養子・勝豊の不仲をついて寝返らせるという離れ業。その後、難攻不落の岐阜城を数日で攻め落として切り札の三法師を確保。そして、滝川一益を攻めると見せかけて勝家を誘い出すと、迅速に反転して賤ケ岳で対峙。最後は勝家の重臣・前田利家を裏切らせて決着をつけた。常に先手を取って敵を思い通りに掌の上で転がす尋常ではない思考と決断力。仮に相手が勝家でなかったとしても秀吉には勝てなかったと思う。

    まだ関ヶ原の三成の方が勝ち目があったに一票。

  6. 匿名 より:

    関ヶ原で三成が勝つ確率: 0.1%
    しずがたけで、勝家が勝つ確率: 5%

    というところかなぁ~。
    もし、仮に丹羽長秀が、勝家側に付いていたら、分からなかったと思うニャー。
    秀吉は、味方に取りこむことに天才的な能力を持っていたんだニャー。

  7. 匿名 より:

    「信長の野望」にしろ何にしろ、ゲームの設定やパラメーターは、所詮は結果を知ってる者がそれに合わせて決めるものでしょ? なにか、結果を知ってる現代人が、上から目線で過去の人間を評価するのって、どうなんすかね。
    石田三成の場合はですね。世の中に三成ファンが多いんで、「上手くやれば三成が勝てる」ような設定にしなければ、そのゲームが売れないからですよ。

  8. 匿名 より:

    【勝算】ではなく【秀吉の風下には立ちたくない】という感情論ではないのですかね。勝家は織田家累代の重役です。

    他の織田家中のお歴々は草莽から取り立てられた実力主義の登用者が多く(つまり秀吉と変わりない)この人らは秀吉が手綱をとってくれても違和感が無いわけです。滝川一益は同じ境遇であっても秀吉を良しとしなかったでしょうが老齢と関東での失態で発言権を喪失していました。

    下剋上を絵に画いたような織田家の家中の武将達が、その下剋上を現出し身にまとっている秀吉と、旧態依然の家中秩序のなかにある勝家のどちらを担ぐのか?という事なのだと思います。



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