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戦国ブームですが 前田慶次って実際に居たのですか? 漫画で読む限りは痛快ですが、こんな人いなR…

漫画

戦国ブームですが

前田慶次って実際に居たのですか?
漫画で読む限りは痛快ですが、こんな人いないよなーと思ってしまいます。

他の登場人物は実在したので、前田慶次も居たんだろうとは思いますが
余りにもなので、

どうぞ教えてください。

  1. 匿名 より:

    前田慶次(1543?~1612)諱は利貞ですが、諸本では、利大・利太・利治・利興など様々ですが、亀岡文珠(山形県高畠町)に納めた自筆の短冊に「利貞」とありますから、これが本名でしょう。
    尾張愛知郡荒子に滝川儀太夫益氏の子として生まれます。その後、前田利家の兄・前田利久の養子に迎えられ、利久の姪を妻にしましたが、養父の利久が織田信長の勘気を蒙って領地を没収され、諸国を放浪する羽目になるものの、前田利家に迎えられましたが、奇行を重ねて前田家を出奔しました。1598年、慶次にほれこんだ直江兼続を通じて上杉景勝に仕官。景勝に仕えてからも慶次の奇行は止まらなかったようです。1600年、長谷堂城の攻防戦の折、殿(しんがり)を引き受けて最上義光の本陣へ馬を乗り入れ、赤柄の長槍をふるって阿修羅の如く荒れ狂ったといわれます。
    関ヶ原の合戦以後、捨て扶持をもらい米沢城外の堂森に隠遁し、堂森の居宅を「無苦庵」と名づけますが、奇行は死ぬまで続きました。1612(慶長17年)年6月4日、前田慶次は波乱に満ちた生涯を閉じます。70歳前後であったと伝えられます。
    前田慶次は自由の美学を貫いた風流武者であり、天下一の「傾奇者」と呼ばれていますが、数々の奇行が伝えられていますのでいくつか紹介します。
    ・前田利家に茶の招待をしましたが、茶の前に風呂を勧めます。寒い日に風呂は何よりの馳走と湯殿に入りましたが、寒風が容赦なく吹き込み、湯舟には薄氷が張っていました。利家が激怒したのは言うまでもありません。
    ・上杉に仕えた時、慶次は旗指物に「大ふへん者」と書いていましたが、上杉の将兵は「大ふへん者」を「大武辺者」という意味と思い込み、「自らを大武辺者と称するのは怪しからん」と抗議しますが、慶次は「お主らは大武辺者と読んだのか。それは違うぞ。わしは浪々生活が長引いたので大不便者と記したまでだ」と頓智のきいた答えを返しました。

  2. 匿名 より:

    面白い人生を送った人物ですね。本当にこんな人居たんだ!漫画より興味が湧きます。
    タイムマシーンがあれば会いに行きたいくらい。
    皆様ありがとうございました。

  3. 匿名 より:

    実在はしましたが当時の資料では年齢不詳で親が誰かもはっきりはしてないようです。
    よく聞く話はずっとあとになってから(100年後とか)に書かれた噂話的集的な書物に書かれていることなので信憑性は低いです。
    でも破天荒だったから数十年たっても噂話が存在してたんだと思いますよ。

  4. 匿名 より:

    実在してますよ
    叔父の前田利家をだまして冷風呂に入れたことで有名です。

  5. 匿名 より:

    実在はしておりますが、前田慶次郎(利益)という名前が本当の名前です。
    少年誌向けに慶次としたそうです。

    見てきたわけではないので本物がああいう痛快な人物だったのかは
    もちろんわかりませんが、漫画と実物で一つ確実に違うのは年齢で、
    前田慶次郎は秀吉や利家と同世代に近い人物です。



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