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昔、初代ファミコンが1980年代に登場し、数多くの作品が発売されましたが、ハードウェアは同じな…

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昔、初代ファミコンが1980年代に登場し、数多くの作品が発売されましたが、ハードウェアは同じなのに、初期、中期、後期の作品では、内容も表現力も操作性も何もかも段違いの差があります。(面白さやセールスとは比
例しませんが)

たとえばドラクエIとIVでは、単なるROMカートリッジの容量差以上の差があります。ベースボールの現実離れした打撃戦と緩慢な守備にうんざりしていたところにファミスタや燃えプロが登場してビックリ。信長の野望は全国版に始まり武将風雲録まで実現。移植ゲームではゼビウスも凄かったけど、グラディウス2でまたビックリ。

初期の頃の作品のプロの開発者は、まだハードの性能を使い切るほどの技術力がなかったけれど、後に技術を身につけたのでしょうか?それとも、初期の頃から作れるだけの技術は実はあったけれど、予算や市場規模、容量などの制約の都合で、泣く泣くこれでよしとしていたのでしょうか?

プログラム初心者が、やがて経験を積んで成長して難しいプログラム書けるようになったとかなら分かるのです。ファミコンのようにプロが作っているものについても、それだけの差があったということでしょうか?

  1. 匿名 より:

    まず、決定的な要素はROMカートリッジの容量です。
    既に回答されている方がいらっしゃいますが
    初期のファミコンのカートリッジの容量は確か192Kb=24KB、最終盤では8Mb=1MB、初期の凡そ41倍強になっています。それだけ内容も詰め込めれば、グラフィックも詰め込めます。
    ちなみにドラゴンクエストは512Kb=64KB、ドラゴンクエストIVは4Mb=500KB、ドラクエに比べてドラクエIVの容量は凡そ8倍弱にまで増えています。

    当初は容量が足りなかったから表現の手段が限られていた、が多分正解に一番近いようには思います。

    また、ファミコン後期に、各メーカーが、音源を中心に自社開発の独自チップを搭載したことが、表現力の向上に繋がりました。

    で、プログラマの技量の話ですが
    まあ、ファミコンのCPUは6502系ですけど、当時の日本の8ビットマイコンで使われていたCPUの主流はZ80でしたし、アセンブラはCPU依存の言語ですし、任天堂在籍のプログラマ以外は、確かに当初は6502に慣れている方が少なかったのかもしれません。
    ただ、当時天才とも呼ばれていた中村光一さんが6502に不慣れだったから、ドラゴンクエストがあのようにしかならなかったとは、私は思いませんし
    アップルIIでプログラム組んだ方もいたでしょうし
    多くのマイコン用ゲームは、CPUにZ80を積んだPC-8801などの機種だけでなく、6809を積んだFM-7への移植も速やかに行われましたし
    アーケードゲームは6809が主流でしたがZ80積んだ機種への移植も盛んに行われました。
    ファミコンが珍しい6502だったからプログラマが物凄く苦戦して、当初は表現できるものもできなかった、というわけではなかったのではないかと?

    初期と後期で劇的に各メーカーのプログラマの技量が上がったからゲームの表現も向上したのか?と問われると、私としては疑問符がつきます。

    確かにファミコンも初期と後期では表現がかなり違いますし、使われるテクニックも発展していったんでしょうけど、印象とすれば、元々の仕様の範囲内の発展に留まった感があります。

    MSXのように、CPUやVDPを騙して本来の仕様にない表現を実現したり、テレビの走査線の水平位置補正のコマンドを用いて1ドット単位の横スクロールを実現したり、なんて超絶技巧を凝らしたソフトは、ファミコンではちょっと記憶にありません。

  2. 匿名 より:

    ありがとうございます。中村光一氏が業界でも知られる天才だったというのは、「電脳遊戯考」という、ゲーム評論家山下章氏の本を読んで知りました。

    私はファミコン版はドラクエ3→4→1の順にプレイしました。(1は挫折)開発陣は、初代ドラクエの時点で、もっと容量ほしいなぁとか、主人公の向きを変えたいなぁとか、いちいちかいだんコマンド面倒くさいなぁ、、、とか、考えていたのでしょうね。
    また、専用筐体のアーケードゲームが、現実に楽しめるレベルでファミコンにも移植されたわけですから、むしろ拍手ものです。

    たしかにインフラの限界の問題を、プログラマの技量に原因を求めるのは酷ですね。インフラが整うほど、その上で表現できるものが増えるというのは、ゲームに限らず他の何にでも言えます。
    新幹線の高速走行時の乗客の快適さの裏には超長尺のロングレールの存在があり、、、というような感じでしょうか。,ドラクエIに関しては、フィールドでそのまま戦闘になる(戦闘の背景がある)ことで、パターン数の256種類に余裕がないのです。

    IIからは戦闘は丸ごと戦闘画面になるので、Iにあった戦闘の背景の部分を地形のパターンに回すことができ、その分、城、街、海岸線などの表現が豪華(?)になったわけです。,ありがとうございます。メモリ単価の問題は、もろに半導体技術の進歩の影響を受けますね。パソコンでも、搭載RAMの容量は、年を追うごとに二次関数的に増えてきました。

    私は、カセットの三倍の容量を誇るという「ディスクシステム」をグリーススタンプの引換でもらいました。

    しかしなんでその後もカセットが主流なのか、ローディングに待たされるディスクシステムとは何だったのか、ディスクのSDガンダムの続編SDガンダム2が、何でカセットなのか、当時は理解出来ませんでした。,ありがとうございます。カセットの中のチップが本体機能を拡張するというのは、なるほどと思いました!

    武将風雲録の縦長カセットは、単に武将の人数が増えてデータ量が足りないからだと当時は思っていました。

    グラディウスは、初代ファミコン版はハードの限界でオプションが2つに制限されたとらしいというのは当時から知ってましたが(ゲームセンターで見たらオプションが画面縦幅一杯に展開されてて驚いた)じゃあなんで沙羅曼蛇やグラ2では、オプション増えてるの?って不思議でした。

    スプライトの説明動画も見ましたが、本来ゲームのデザインそのものに集中したいであろうに、ハードの制約をパスするための工夫が涙ぐましくもあり、機知に富んでるとも思いました。

  3. 匿名 より:

    容量、カセット側のチップによるハードウェアの拡張、プログラマの技量と、わかりやすくカテゴライズして解説していただいたのでBAとさせていただきます。

    そして、容量、ハードの制約の中で、持てる技術を総動員して実装した当時のクリエイターの方々の作品も、Best Solutionとさせていただきます!

  4. 匿名 より:

    ファミコンの背景は8×8ドット4色(3色+透明色)のパターン256種類、
    スプライトも同様に8×8ドット4色(3色+透明色)のパターン256種類です。

    初期のゲームはこの背景やスプライトのキャラクターパターンがROMだったので256種類が固定でした。

    途中から、メモリー管理用チップを組み込んで複数のROMの切り替え式にしたり、RAMにして外からパターンを書き込むことで、必要に応じてキャラクターパターン自体を入れ替えて256種類を超えるパターンを使ったり、背景をアニメーションさせたりできるようになりました。グラディウスIIでいえば人工太陽の燃え盛るところですね。

  5. 匿名 より:

    >>初期の頃の作品のプロの開発者は、まだハードの性能を使い切るほどの技術力がなかったけれど、後に技術を身につけたのでしょうか?

    そういうことですね。

    FC(ファミコン)の性能を限界まで引き出すような工夫が、FC発売後から年月が経って、できるようになっていった、ということです。

    あとは、カートリッジ容量がどんどんと増大していったことも、あります。

    カートリッジ内部に入っているメモリの大容量化が、年月とともに、進んでいったのです。

    大容量メモリの価格が下がっていき、FCのカートリッジにも使いやすくなっていった、ということです。

    初期のFCのカートリッジは、512Kb(キロビット)、つまり64KB(キロバイト)なんてのが当たり前でした。
    ハード発売直後のカートリッジには、もっと小容量のものもあります。

    64KBというのは、一昔前の「ガラケー」の待ち受け画面写真1枚分と同程度です。

    そんな、ごく限られた容量の中に、ゲームプログラムおよび各種データを収めていたのですから、当時の開発者たちは、相当に苦労を強いられたはずです。

    それが、1Mb(メガビット)、2Mbと、大容量(当時としては、ですが)のカートリッジが使われるようになっていきました。

    それにより、ゲームプログラムに使えるメモリが増え、FCの性能を、さらに引き出せるようになっていったのです。

    そして、さまざまなソフトを開発していくことで、ゲームプログラマたちには「ノウハウ」が蓄積されていきました。

    それにより、FCの限られた性能の中でも、可能な限りそれを引き出すような工夫が、できるようになっていったのです。

    >>初期の頃から作れるだけの技術は実はあったけれど、予算や市場規模、容量などの制約の都合で、泣く泣くこれでよしとしていたのでしょうか?

    そうですね。

    まずは、「容量の制約」が大きかったのだと思われます。
    上述した、カートリッジ容量のことです。

    それは同時に、予算とも関連します。

    大容量カートリッジは高価だったので、子供がプレイヤの中心であるFC用のソフトには、簡単には使えなかったのです。

    大人向けのものなら、多少値が張っても、出来が良ければ売れますが、FCは、子供向けの「玩具」のひとつだったわけですので、おのずと、価格設定は控えめにせざるを得ません。

    そうなれば、小容量のカートリッジを使わざるを得ず、「泣く泣く」、大きな制約がある中で、ソフトが制作されたのでしょう。

    それが、大容量カートリッジが安価になり、FC用ソフトにも使えるようになったことで、よりよいソフトが作れるようになっていったわけです。

  6. 匿名 より:

    少なくとも技術力がなかったのであろうと言えるゲームは存在します。

    例:エグゼドエグゼス
    https://www.nicovideo.jp/watch/sm10600766

    これを改造したり作り替えた人がいます。
    https://www.nicovideo.jp/watch/sm23158432
    https://www.nicovideo.jp/watch/sm34000673

    なおグラディウスIIはカセットの中に本体機能を拡張するチップが入ってます。
    https://www.wizforest.com/OldGood/ntsc/famicom.html;p4
    ファミコン後期の、いわゆるファミコン互換機で動かないゲームは、そういうものが多いです。
    信長の野望や三国志など、光栄のでかいカセットにも、もれなくMMC5という拡張チップが入っています。だから互換機では動きません。

    ドラクエ4については容量と技術の合わせ技だと思います。
    https://www.nicovideo.jp/watch/sm13640458
    この動画の最後らへんにドラクエ4が出てきますが、それに限らず動画全体でファミコンソフトの工夫が分かるようになっています。



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