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将棋ウォーズのエフェクトで金矢倉が夏目漱石、金無双がボブ・サップに見えるのですが合っていますか?

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将棋ウォーズのエフェクトで金矢倉が夏目漱石、金無双がボブ・サップに見えるのですが合っていますか?何か意味があるのでしょうか?

  1. 匿名 より:

    米長邦雄さんの名言「矢倉は将棋の純文学」から金矢倉以外も矢倉系は夏目漱石さんが多いです。
    金無双は格闘家のボブ・サップさんではなく、プロボクサーのマイク・タイソンさんが弱点のうさぎの耳を持っています。

  2. 匿名 より:

    ありがとうございました。,ありがとうございました。

  3. 匿名 より:

    ありがとうございます、ちゃんと理由があるのですね。

  4. 匿名 より:

    金無双は、左目周囲の刺青(イレズミ)からして、マイク・タイソンだと思うよ。ボブ・サップでは、とてもじゃないが、無双ということにはならないでしょ。

    また、矢倉に対して、昔から、これを純文学という向きがあり、それで明治の大作家、夏目漱石にしたのでしょうが、漱石は純文学作家ではないのですから、これは、何かの間違いでしょうね。日本の純文学とは、所謂、私小説のことです。私小説は、自らの恥を赤裸々に曝します。自身の生き様の問題を、そのまま嘘偽り無く作品にします。だから、作品全体に一貫性や統一感があります。一方、ただ大衆に面白がってもらうことを目的にしている大衆小説との違いになります。大衆小説には、作品全体の一貫性は不要です。主人公の思想哲学がコロコロ変わっても一向に構いません。

    いずれにせよ、勿論、漱石にも私小説的な作品はありますが、しかし、漱石を純文学作家(つまり、私小説作家)と見る専門家はいないんですね。私小説というものが台頭するのは、大正時代(大正私小説)に入ってからですしね。

    因みに、個々の生き様の問題(思想哲学)を、そのまま将棋の指し手に反映させるという、そういう純文学的な将棋指しの存在が当たり前の常識だった時代があり、それを覆したのが羽生さんでした。生き様の問題で指し手が決定してしまいますと、事前研究により、明確に対策を講じられて勝てなくなるということを発見したのが羽生さんでした。で、生き様とは関係ない指し手を見せる羽生さんに対し、世間は、それを「羽生マジック」と揶揄(?)したり、逆に、絶賛(?)したりしていたんですね。

  5. 匿名 より:

    マイクタイソンです
    相手ボクサーの耳に噛み付いて食い違って大問題になりましたが
    金無双の弱点の端から四番めの歩をうさぎの耳と言いますが
    それにかけてます



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