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仏教で大乗仏教と小乗仏教の違いを教えて下さい。

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仏教で大乗仏教と小乗仏教の違いを教えて下さい。

  1. 匿名 より:

    小乗仏教は小中学生の義務教育の教科書であるといえます。小中学校で基本的な真理を学びます。卒業生を阿羅漢といいます。

    大乗は義務教育の小中学校を卒業した人の教科書です。主に人々に真理を教える教師の立場の人です。これを菩薩といいます。

    ☆阿含経(小乗)**********************************************

    人間は「六道(地獄・畜生・餓鬼・人間・阿修羅・欲天)」の世界に生まれ死に生まれ死にを繰り返しているのです。
    その原因は「貪(性欲)瞋(怒り)癡(無知)」の力によります。
    そこで、四諦、八正道などを修行して、死後六道から解脱して寿命の長い天界に生まれなさい。
    これが阿含経の修行です。

    ☆大般若経(大乗)**********************************************

    阿含経の修行が終わって、仏になるためには大般若経の修行をしなさい。
    この世界は空(幻)の世界です。つまり煩悩が造った幻の世界なのです。
    だから一切は映像であり、すべては存在しないのです。したがって、仏の教えも幻の教えなのです。
    だから、人々は幻の苦しみによって苦しんでいるので、人々に阿含経(小乗)の修行を教えて、苦から救って下さい。衆生を苦から救うことが仏になる道であり、菩薩の修行です。

    ☆法華経(大乗)**********************************************

    阿含経から大般若経の修行をしてきた菩薩の皆さんに最後に本当のことを教えます。
    この世界は幻の世界ですから今まで幻の修行法を説いてまいりました。
    しかし、幻を見るには幻ではない実在の世界がなくてはなりません。なぜなら、幻は実在の世界においてのみ見ることが出来るからです。
    だから、真実、あなた方は実在の世界に住んでいるのです。

    『真実を明かすこの法華経は最終的なもっとも大事なお経です。だからこのお経に書いてあることを忘れないようにしなさい。』

    忘れそうになったら、土で塔を造って、それを見て法華経の内容を思い出しなさい。また、法華経の題目「妙法蓮華經」だけを記憶しておき、法華経の内容を忘れそうになったら、「南無妙法蓮華經」と唱え法華経の内容を思い出しなさい。
    **********************************************

    そういうわけで、小乗の阿含経は苦を離れ、死後天界に生まれる。修行法です。

    また、大乗の大般若経や法華経などは、阿含経(小乗)を卒業して阿羅漢果を得た者が菩薩(教師)となって行う修行です。

  2. 匿名 より:

    皆さまそれぞれ詳しく回答して頂けてありがとうございました。
    大乗仏教と小乗仏教の違いを少しは理解することが出来ました。
    ベストアンサーに迷いましたので、今回は一番初めに回答して頂いた方にベストアンサーを差し上げたいと思います。

  3. 匿名 より:

    小乗仏教は釈迦の唯物論です。
    神仏と永遠の生命(輪廻)を否定しました。

    大乗は作者不明の阿弥陀様信仰です。
    神仏と永遠の生命(輪廻)を肯定しました。

    法華経は子供騙しです。

    仏教全体に言える事なんですが、
    哲学性が低いのです、子供の話に過ぎないと云う事です。
    それゆえに厭世観に支配されて葬式仏教に成り下がっています。
    それに比べればキリスト教の方が少し哲学性が高いのです。
    葬式キリスト教に成り下がってはいませんし・・。
    キリスト教が先祖供養しなさいとは聞いた事ありません。

  4. 匿名 より:

    明治以降僧侶がイギリス(当時のインドはイギリスの植民地)等に留学できるようになりインドの歴史が判るようになって初めて判ったことなのですが、

    大乗仏教 = 学術名を大衆部仏教と言い仏陀が入滅して500年以上して造られた仏教で多くの経典が作者不明。

    小乗仏教 = 学術名上座部仏教、又は原始仏教と言いを仏陀入滅の後、直ちに直弟子達により造られた仏教。

    大乗仏教という名称は大乗仏教を造った人たちの自称で、小乗仏教と言う名称は大乗仏教を作った人たちに依って付けられた別称です。

    私の前に投稿した人たちの考えは間違いでは有りませんが、大乗仏教の僧侶の意見です。

  5. 匿名 より:

    こんにちわ

    初期の仏教は、一生懸命勉強し、修行を重ねて
    悟りに至ることを目指していました
    それは、修行をしている本人が、「悟り」を得ることに
    とどまります

    この考えにある意味不満をもった人たちが考えたのが
    全ての人が、悟りを得て、幸福になるべきだという思想で
    それを「大乗仏教」と呼びました

    「大乗」に対して、前者を相対的に「小乗仏教」と呼ぶように
    なったのです

  6. 匿名 より:

    まず小乗や大乗と言った考え方、この乗は「乗りもの」の例えです。

    約二千五百年前にインドにお生まれになったお釈迦様が、悟りをひらかれ、その教えが現在まで伝えられてきたのが仏教です。

    お釈迦様は八十一歳でお亡くなり(入滅)になるまで、色々な所で大勢の人々に教えを説かれました。

    その教えを受けて、お弟子が次々に伝え、それがまとめられたのがお経です。 一口に八万四千のお経があるといわれています、これは直接お釈迦様の口から説かれたもの(小乗経典)ばかりでなく、お釈迦様の教えに従って、その教えをより深く説き明かしていってつくられたお経や、その解説書など(大乗経典)がたくさん含まれています。

    更に伝え伝わる中には、その文化圏における考え方を基礎とした個人の主観を元に説かれた持論もあります、五時八教判釈や本地垂迹などは一つの見方で経典にはありません。

    釈迦は「口伝」を旨として、書き残すことを強く戒めました。

    実際問題、直接書き残されたものは無い(イエスキリストも同じく)んです。

    最新でも100年後に成立したものでして、直接の説法を伝えたものではありませんが、お釈迦様のお心を誤りなく伝えているということから、お釈迦様のご説法と同じように受け継ごうとした自称お弟子さんが編纂結集して行ったのです。

    ですから、お経の始めは「如是我聞ーこのように私は聞きました」という言葉で始まっているのはこのためなんですよ。

    釈迦様が入滅してから、釈迦様の教えを文字通り忠実に守ろうとした人々と、説かれた教えを生かしていこうとする人々に分かれていきました。

    前の人々のことを部派仏教あるいは小乗仏教とよび、お釈迦様の教えの心を中心にしていこうとする人々の仏教を大乗仏教とよんでいましたが、大乗・小乗の乗というのは、「乗り物」という意味から、私達の迷っているこの岸から、悟りの彼岸に渡してくれる教えを乗り物に例え、大乗は大きな乗り物・優れた乗り物、小乗は小さな・劣った乗り物という考え方になります。

    大乗に対して小乗というのは、大乗の考え方に則った方が小乗のことを軽蔑して言っているので、現在では、小乗という言葉を使わずに、部派仏教あるいは長老派仏教・南方仏教などとよんでいます。

    大乗や小乗と言った考え方自体が仏教に反する事に気付き、在るべき考え方に目覚めた、そう言った方々が居るのは有難いことです。

    持論の展開も乗りものの別け隔ても、また多くの経典も人のもつ『観念の所産』に因るもの。

    ある意味、大小優劣を付けたがる大乗の考え方自体が小乗とも言えますね。

    如何に教えを知り知識があっても、その自分を律することができなければ本末転倒、教条主義に多い傾向です。

    この質問、大事な着眼点です、頑張って下さい。



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